去り行く人のために 3
次の日の朝、泰明は土御門邸を訪れた。
「あれ?泰明何してんだよ、こんなとこで?」
丁度天真が夜勤明けで帰ってきたところ、車寄せのところで泰明を見つけたので声をかけたのである。
「天真か。」
泰明はちらっと天真に一瞥をくれただけで、歩みをとめることもせず邸内へと入ってゆく。 そんな泰明を天真が追いかける。
「泰明、出仕はどうしたんだよ?」
仕事の多い陰陽師は、陰陽寮の依頼とは別に、個人的に貴族の依頼を受けることも多い。 まして左大臣は泰明の師匠、安倍晴明を重用していることもあって、泰明が師の使いと称して、朝から左大臣家である土御門邸に訪れても何の不思議もないのではある。 しかしあまりそういう事情を知らない天真は、純粋に泰明が朝から土御門邸に訪れたことに興味を覚えたらしい。
天真が泰明に追いついて肩を並べる。
「今日は休んだ。」
天真は一瞬耳を疑った。
「はあっ?」
次の瞬間には驚きの声を上げてしまった。 この忙しいはずの陰陽師が出仕を休むという事態が呑み込めない。 天真は何があったのか思い巡らせる。 思いつくことはただひとつ。
「昨日、あかねが落ち込んでたから・・・って、おいっ!まさかっ?!」
天真は泰明を睨みつけた。
「あかねに病気が治せるわえねえだろっ!」
声を荒げて天真が泰明につっかかる。 泰明はうるさそうに、ちらりと天真を見るがやはりその足を止めない。
「見に行くだけだ。もし流行り病の類であれば,、その子供を早々に引き離さなければならぬ。」
冷静な泰明の言葉が、天真にはひどく癇にさわる。
「あかねが行く必要はないだろっ!あのアキラってやつ・・・。」
天真はそこまで言って言葉を飲み込んだ。
ーーこいつは知らない。あかねが何を言われてどれだけ傷ついたかを・・・!
天真が泰明の肩を乱暴に掴んで振り向かせる。 しかし泰明は落ち着いた顔で天真を見た。
「天真は神子の力を信じていないのか?」
表情も変えず、泰明にしてみればあくまでわからないから聞いているだけなのであるが、その言葉は天真の理性を切れさせるのに十分であった。
「てめえっ・・・!」
ぶんっ!
天真の拳が泰明に向けて振り下ろされる。 しかし泰明は無駄のない動作でその拳をさっとよけると、胸の前で印を結び小さく呪言をとなえた。 そして。 見事に天真は足を取られてすっ転んだ。 泰明が呪いで天真を転ばせたのである。 床に転がった天真を相変わらず冷たい表情のまま、泰明は見下ろす。
「神子は自分でできることをしたいと言った。だから私は神子を護るために行動をともにする。神子を邸内に閉じ込めておいてもなんの解決にもならぬ。」
泰明の言う通りだった。 天真はすっ転んだ状態のままぎりっと奥歯を噛みしめる。 泰明が天真に手を差し出す。 その様子に天真は泰明をむっとした表情で睨む。 そのまま泰明の手を無視して立ち上がる。
「ならオレもついていく。いいだろ?」
昨日の傷ついたあかねの顔が、天真はいまだ頭から離れない。 もう二度とあかねにあんな顔をさせたくなかった。 泰明はじっと天真を見ていたが、
「勝手にしろ。」
とだけ言った。 そしてそのまま天真に背を向けるとあかねの待つ東北の対へと足を運んでいった。
***
ーーあ〜なんでついていくなんて言ったんだ、オレは。
後悔先に立たず。 天真は頭を抱え込みたくなった。 なぜなら天真は完全にお邪魔虫と化していたからである。 別に天真の前を歩くあかねと泰明に邪険にされているわけではない。 ぴったりよりそう二人について歩くのは、それだけで忍耐を必要とする作業なのである。
なるほどあかねは昨日の落ち込みが嘘のように、いつものあかねらしくなっている。 時折不安げな表情をのぞかせるものの。 それは市井の人々が自分を指して、なにやら話しているような素振りを見たときに現れる。 そんなときは泰明がなにやら話し掛けては、あかねの注意をそらす。 それがまた天真の癇にさわる。
ーー見たくない。
そう感じるのはきっと天真だけではないだろう。 他の八葉とて、あかねに少なからずの好意を抱いていたはずだ。 まさか一番恋愛という言葉に縁の遠そうな泰明に取られるとは、天真とて想像がつかなかったが。
ーー泣かせたら承知しねえからな。
心の中で泰明に言う。 あかねの涙は見たくない。 あかねが幸せであること、それが天真ならず八葉の願いなのだ。 泰明も含めて。
天真の手には真っ白の立葵が握られている。 京では唐葵というらしいが、あかねが見舞いに行くから何か花を選んで欲しいと藤姫に頼み、邸内の庭に咲く、真っ白の立葵をもらってきたのだった。 それをあかねは天真に持ってもらっている。
天真は真っ白の立葵をまじまじと見た。
ーーこれって・・・。まさか知ってて選んだわけじゃないよなあ?
立葵は人類がはじめて死者を埋葬したときにたむけられた花。 死者を悼む花である。 あかねが知ってるとは思えないし、ましてこの花を選んだ藤姫や、女房たちが知っているとは思えない。
「天真くーん、イノリ君のお師匠様のおうちってこのあたり?」
あかねがくるりと天真のほうを振り返る。 不意打ちをくらったかのように、天真はどきりとする。 今日のあかねはめずらしく髢(かもじ)をつけみずらに結い、水干姿も控えめな衣で、ちょっと見、中流貴族の少年風である。(どうみても女の子なのだけれど) 事情を聞いた藤姫がいつもの水干姿ではよくないと判断したらしい。
天真はあかねの視線をよけるように、首を回してあたりを見回す。
このあたりは七条で、庶民の多くが暮らしている。 イノリは姉、セリがイクティダールと旅立ってからは、一人でイノリの師匠にところに住み込んで修行をしている。
アキラという少年を探すのなら、事情を知っているイノリに会ってアキラの住んでるところを教えてもらおうとなったのだ。
天真が辺りを見回すと見覚えのある崩れかけた門を見つけた。
「ああ、ここだ。イノリは多分仕事中だろうからオレが見てくる。おまえらこの辺で待っててくれ。」
天真は泰明とあかねに言い置くと、鍛冶師の仕事場へと入っていった。 鍛冶場は神聖な場である。 特に女性が入ることを敬遠するところもある。 鍛冶は神聖なもので、鍛冶師はその仕事がとても厳しいものであるにもかかわらず、正装をして仕事をする。 それは彼らの仕事がいかに神聖なものであるかの現れである。
天真は中をそっとのぞくと、イノリが師匠の刀を打つ側で雑用をしているのを見つけた。 イノリの視界に入りやすい位置へ移動し、天真が手で合図する。 天真に気づいたイノリはおやっとした顔をしたが、すぐにこくりと頷いた。
鍛冶場から出てきた天真を泰明とあかねが迎える。
「イノリ君いた?」 「ああ、もうすぐ出てくるだろ。」
天真の言葉どおり、イノリが鍛冶場から顔を出した。
額に汗を浮かせたイノリは天真たちを見つけると駆け寄ってきた。
「あかねっ!」
昨日のあかねの様子が心配だったのは天真と変わらない。 今日は泰明も一緒で、いつもと少し違ういでたちで現れたあかねに、イノリはとまどいを隠せない。
「泰明も一緒なんだ・・・。あの・・・昨日は悪かったな、本当に。あのよ・・・、もしかしてアキラに会いに来たのか?」
イノリは言いにくそうにあかねに聞く。 あかねの代わりに泰明が答える。
「そのものの祖母が病気だと聞いた。昨年の流行り病はおまえも知っているだろう?今年もその病が流行るやもしれぬ。だから確認しに来た。アキラという子供のいるところを教えろ。」
イノリはぎょっとした。 昨年の流行り病は恐ろしいものであった。 体の弱い姉、セリがかかっては、と、あれこれ注意した覚えがある。 必要以上に市や、人の集まる場所に出向かないようにしたり、死体の放置されている川原などには一切近寄らないようにした。 去年流行ったからといって、今年が流行らないとは限らない。 まだ本格的な夏ではないが、これから流行る可能性は十分考えられる。 疫神は夏に猛威を振るうのだ。 そして年寄りや子供など、身体の弱いものから倒れてゆく。 そしてアキラの祖母が去年の流行り病と同じものであれば、アキラが危険なのはあきらかであった。 イノリにしてみればあかねに暴言を吐いたとはいえ、アキラは可愛い弟分である。
「待てよ。俺も行く。ちょっと待っててくれ。」
イノリはそういうと慌てて鍛冶場へと引き返して行った。
あかねはきゅっと唇をかんだ。 正直なとこ、アキラに会うのが怖かった。 自分が何も出来ないことをどう説明したらいいか、皆目見当もつかない。 けれど、今自分に出来ることはアキラとその祖母の様子を見に行くことだけである。
ーー怖い・・・。
人の期待が、これほどまで自分を追い詰めるとは知らなかった。
「神子、余計なことを考えるな。」
泰明があかねに声をかける。 あかねははっとして顔を上げた。 目の前には大好きな人。 泰明があかねの唇を指でなぞる。
「赤くなっている・・・。」
あかねはかあっと頬を染めた。 側には天真がいる。 天真はそっぽ向いているが。
「心配するな。何も問題は無い。」
あかねの心に不思議な安心感が芽生える。 泰明の言葉はあかねの心に響く。 あかねはこくんと頷いた。
ーー自分が出来ることをすればいいんだ・・・。
あかねは泰明に微笑んだ。 上手く笑えたか心配だったけれど。 それでも。 愛しい人が側にいれば怖くない。
ーー私は一人じゃないから。
イノリが師匠の許しを得て鍛冶場から出てきた。 そして泰明とあかねの様子にあきれた声をだした。
「おまえら何してんだよ、真昼間に・・・。もう少し人目を考えろよ。」
イノリの容赦のない言葉が飛ぶ。
ーーったく天真もほんとかあいそーによ。
天真は居心地悪そうにそっぽむいたままである。 あかねはあわてて泰明から離れて照れ笑いを浮かべている。 そして泰明はと言うと。
「問題ない。」
のひとことで済ましてしまうのであった。
***
アキラの住む家は桂の里の近くであった。
「ここだよ。おーいアキラいるか?!」
イノリが泰明、あかね、天真を引き連れて訪れた家は粗末で小さな家であった。 イノリが家の中に声をかけるとひとりの中年の男が現れた。 驚いたのはイノリのほうである。 男はあまり立派ではないが狩衣を身に着け、烏帽子を被っており、人目で里のものではないことが判断できた。
「おぬしら何者か?」
男は4人を見比べて聞いてきた。
「おっさんこそ誰だよ?アキラはどうしたんだ?」
イノリがむっとした調子で聞き返した。 男は別段気を悪くする風でもなく、鷹揚に答えた。
「私はアキラの叔父だ。アキラは今、里の知り合いのものに薬をもらいに行ってる。で、おまえたちは一体アキラのなんだ?」
アキラの叔父だと名乗る男はイノリの質問に答えると、再び4人の顔を見比べた。 一人はみずらに結った水干姿の一見、少年風の少女。 一人は狩衣をすっきりと着こなした、無愛想な青年。 一人は着物を着崩した、血の気の多そうな青年。 そして自分に話かけてきた少年は、水干姿に高下駄の元気な少年。 どう見てもどのような関係の者か、得体のしれない一行である。
「アキラに叔父?初めて聞いたな。俺はイノリ。昨日俺の連れがアキラと会って、アキラのばーちゃんが病気って聞いて見舞いに来たんだよ。中に入ってもいいか?」
イノリは”俺の連れ”と称して泰明、あかね、天真を顎でしゃくって見せた。 天真は手にしていた立葵の花を振って見せる。
「母の見舞い?そうか。それはありがたい。看取る者が多ければ母も喜ぶだろう。」
アキラの叔父は家の中をちらりと見やった。 その顔は、悲しそうなあきらめた顔であった。
「私は陰陽師だ。そのものの様子を見よう。」
泰明が一言いうと、男の脇を通り抜けてさっさと家の中に入った。 驚いたのは男のほうである。
「あっ・・?おい!」
あわてて泰明のあとについて家の中に入っていった。
家の中は粗末ではあるがきちんと整えられており、アキラという少年が祖母を大切にしていることが伺える。 部屋の隅に褥がしつらえてあり、一人の痩せた老女が横たわっていた。 泰明が近づくと老女は泰明の顔を不思議そうに見た。 泰明は何も言わず老女の顔を見た。 もがさ特有の赤斑は見受けられなかった。
ーー昨年の流行り病ではない・・・。
泰明がそっと老女の額に手を乗せる。 ひんやりと冷たい額であった。 それは生命の灯火が消えかかっている印である。 怨霊や生霊が憑いている様子も無い。 命の限界がそこにはあった。
「陰陽師殿ですか。来てくださってありがたいことです。しかし、母はもう長くはありません・・・。」
男は泰明に膝をついて頭をたれた。 泰明は男に答えず、立ち上がると戸口の方へと向かった。 手の施しようがないと、泰明が態度で言っているようで、男はありがたい反面、いいようのない寂しい気持ちを抱いた。 しかし、泰明はすぐに戻ってきた。 今度は先ほどの少女を連れて。 少女の手には真っ白の立葵が握られている。 立葵、ー唐葵は一般の庶民はあまり見かけることのない花である。 唐渡りのその花は、貴族が好んで庭に植えるものであるからだ。
ーーどこぞの身分の高い方なのであろうか?
泰明は少女を老女のもとへと導いた。
「はじめまして、おばあちゃん。私、あかねって言います。昨日、はじめてアキラ君と会ったんです。いきなり来ちゃってごめんなさい。」
あかねは泰明に導かれて老女の枕もとに座りながら話し掛けた。 老女のほうは信じられないといった顔をしている。 話す力がもうないのか、何も言えないではいたが、老女はその手をあかねのほうへ必死に伸ばした。 あかねはそんな老女の手をそっと握った。 そして老女に見えるように真っ白の立葵の花を見せる。 老女は目から涙をこぼして微笑んだ。 あかねが握る手に力がこめられる。
そのとき戸口で甲高い子供の声がした。
「あ、まてっ!」
どうやら天真の静止を振り切ったらしい。 アキラが現れたのだ。
「へえ、龍神の神子様、何も出来ないくせに俺んち来てどうするんだよ?」
アキラは皮肉たっぷりに腕を組んであかねを睨みつけた。 泰明の瞳に鋭い光が宿る。 しかしあかねはにっこりとアキラに微笑んだ。
「うん。私は何もできないよ。だからこうしてお見舞いに来たの。」
あかねは老女のほうを見てにっこりと笑った。 老女があかねから手を離して、弱々しくアキラに手を差し出す。 アキラは慌てて祖母である老女の側に駆け寄った。
「ばーちゃん、苦しいか?今薬をもらってきたから。さあこれを飲んでよ。」
アキラが懐から丸薬を取り出す。 しかし老女は首を振った。
「ダメだよ。飲まなきゃ・・・。この薬、里の長老が特別に調合してくれたんだ。ね?飲んでよ。そして元気になって・・・!」
アキラの叔父である男がアキラからそっと薬を取り上げる。
「逝かせてやれ、アキラ。」
アキラは首を激しく振った。
「いやだよ!ばーちゃん!オレを置いていかないでよっ!」
アキラがぽろぽろと涙をこぼしながら祖母に取りすがる。 そのとき、真っ白の立葵がアキラの視界に入った。 祖母の痩せて骨ばった手がその立葵の花を握っている。
「これ、もらったのか?」
アキラは祖母に聞いた。 祖母は弱々しい微笑で頷いた。 大事そうに立葵の花を握っている。
「あ・・・、り、が・・・、と、・・・う・・・。」
掠れ気味の弱々しい声では会ったが、老女はひとことづつゆっくりと言葉を吐いた。 アキラが驚いた顔で祖母を見つめる。 老女はそのままゆっくりと瞼を閉じた。 生命の灯火が今消えていった。 そして残されるものがいる・・・。
200110.31
ごめんなさいっっ!!! みるみる、おおぼらふきです!全3話で終わらなかった・・・。(T-T) ごめんなさいっ!本当にごめんなさいっ!!
戻る 次頁へ |