去り行く人のために 終章 「なぜ八葉が選ばれるかわかるか。」 泰明は誰にとも無く尋ねた。 天真とイノリは互いに顔を見合わせ、不思議そうな顔をしている。 「八葉とは神子を護るもの。神子を護らねばならないのは、神子の本質故だ。」 「アクラムもなんかそんなこと言ってたな。神子の本質がどうのって。」 イノリが首を傾げる。 「神子の本質とはその慈悲深さだ。他を労わり、救わんとする無償の愛だ。しかしその慈悲深さは神子を自滅させるものでもある。」 泰明がちらりとアキラの家を見る。 中ではあかねをはじめ、里の女たちがアキラの祖母の亡骸を清めている。 「神子はその身を滅ぼしてでも他を救おうとするであろう。それが神子の慈悲深さだ。だから神子には護りが必要なのだ。」 泰明の言葉には天真の思い当たる節があった。 それは妹蘭のことである。 「だから蘭には八葉がいないのか。」 天真が納得したようにつぶやいた。 黒龍の神子、蘭には八葉がいない。 それは蘭の黒龍の神子としての本質が、白龍の神子であるあかねと大きく違うことに起因する。 蘭はどちらかというと、物静かでうちへ、うちへとこもる傾向が確かにあった。 自分自身を護るため、蘭は自分の心を閉ざした。 孤独に耐えられなかった蘭は、その身に黒龍を宿らせた。 それは自らを護る鎧となって。 兄である天真には蘭の本質がよくわかっている。 逆に、あかねは天真爛漫で誰からも好かれる明るい少女であった。 蘭の行方不明が自分のせいだと、荒んでいた天真の心を、その優しさでもって救い出してくれたのがあかねであった。 だからあかねを護りたいと思ったし、あかねの傷つく顔は絶対に見たくない。 あかねはその本質故に自らを護る鎧を持たないのである。 だから八葉が選ばれ、神子の剣となり、盾となる。 「泰明、おまえさ、あかねがこういう件に首突っ込むのをどう思うんだよ?」 天真が泰明に聞く。 自分なら絶対に関わらせたくない。 今回は老女が流行り病でなかったからよかったようなものの、同じようなことがないとは限らない。 そのとき、あかねはやはり自分の身の危険を顧みず、何かしら行動を起こすことは目に見えている。 「私は関わらせたく無い。」 泰明は表情を崩すことなく答えた。 神子であるあかねは異世界から来た。 それゆえ、この京の気になじんではいない。 毎回物忌みともなれば外気にあたるだけで穢れを受けてしまう。 あかねをすべてのものから護りたい。 どこか自分しか知らないところへ閉じ込めてしまいたいとすら思う。 ーー私は狂っているのか・・? 泰明は自嘲した。 護りたい。 それは八葉としてだけではなく、一人の人間としてあかねを護りたいと思う気持ち。 そしていまだ満たされない、あかねを想う心。 泰明は溜息をついた。 これ以上考えては、あかねを傷つけかねない。 自分の中の狂気にも似た想いは考えれば考えるほど大きくなってゆく。 そして考えを振り切るように、泰明は顔を上げた。 「神子には自重してもらいたいが、私が神子を護る。問題ない。」 天真は何も言わず泰明を見つめた。 ーーこいつってさ、今自分の言ったことわかってるのか? 『私が神子を護る。』 以前の泰明なら八葉の、というところであるはずである。 それだけ泰明の中であかねの存在は大きいものだと感じずにはいられない。 ーーあかねは幸せなんだな・・・。 天真は苦笑した。 泰明を信じていないわけではない。 けれど。 ーー俺がそんな風に言いたかったな・・・。 イノリが天真の肩を叩いた。 天真は想いを振り切るかのように頭をがしがしとかく。 イノリも、天真も、泰明も、そして他の八葉も、みな想うことはひとつ。 あかねが幸せならばそれでいい。 *** 家の中からアキラとその叔父、あかねが出てくる。 「皆様、今日は本当にありがとうございました。おかげで母も安らかに逝くことができました。」 男は丁重にあかねをはじめ、泰明、天真、イノリに頭を下げた。 アキラの頬は涙で濡れていた。 さんざん泣いたあとである。 あかねがアキラの前にしゃがみこむと、アキラの頬をそっと袖で拭う。 アキラも、あかねも何も言わない。 「アキラ、あのさ、お前これからどうするんだ・・・?」 イノリが心配そうな顔をする。 アキラには両親がいない。 イノリが心配するのも無理はない。 男がアキラの代わりに答えた。 「先ほどアキラにも言いましたが、私のもとに引き取る所存でございます。」 男はアキラの肩を抱いた。 アキラはこれからの自分のことなど考えられないようで、何も言えないままである。 イノリがアキラの頭を撫でる。 「アキラ、ごめんな。オレがきちんと説明しなかったから・・・。おまえさ、誰かが自分の命の代わりにおまえのばーちゃんの命を救ってくれてもさ、嬉しくないだろ?ばーちゃんだって嬉しくないぜ、そんなの。」 イノリがアキラの顔を覗き込む。 アキラは顔をあげてイノリを見る。 イノリの言うことは理解できているようで。 「貴族のやつらの病気もあかねが治したわけじゃねえ。あいつらが病気になったのは呪詛のせいで、あかねはその呪詛を解いただけだ。」 イノリが続ける。 「え・・・?」 アキラは今まで貴族だから病気を龍神の神子に治してもらえるのかと思っていたのだ。 「あいつらは自分のいいように解釈してるからな。」 天真が笑った。 アキラはあかねに向き直った。 何も言えないまま、あかねをただ見つめる。 「アキラ君、やっぱり私は何もできないよ。私、京が好き。京の人々が好き。私が出来るのは大好きなこの京に住む、大好きな人たちが幸せであることを祈るだけ。」 あかねはアキラに微笑んだ。 それは心からの微笑。 お見舞いに、と思ってあまり深く考えずに持っていった花を老女は喜んでくれた。 そのときあかねは、確かに心が温かくなって、昨日からずっと悩んでいた自分を振り切ることが出来たのだ。 何もできなくても、こうして花を喜んでくれる人もいるのだと。 だから。 藤姫をはじめとする、あかねがこの世界で生きてゆくのに心を砕いてくれる人たちに思いはせる。 ーーみんな同じなのね? みなの優しさが心苦しいなんてどうして思ったのだろう? みなただ、あかねが好きだから心を砕いてくれるのだから。 ーー私、ここが好き。藤姫も、八葉のみんなも、京の人々も。 あかねは髢(かもじ)を取った。 肩までの髪が風に舞う。 ーー好きなのに偽っちゃいけないよね? 好きな人たちに自分を偽ることは無い。 ーー好き、それだけかもしれない。でも。 ーーねえ? あかねは泰明を見る。 そしてとびっきりの笑顔で。 ーー好きなの。ここにいたいの。あなたのそばにいたいの。 あかねの微笑みに泰明がかすかに笑った。 あかねも微笑む。 ーー不思議ね?あなたが好きだという想いはなんだか私を強くしてくれるみたい。 「おれさ、アキラとは結構長い付き合いだけど、あんたの顔を見るの初めてなんだけどよ?」 イノリが無遠慮に男をじろじろ見る。 男は苦笑した。 「私は若いときに家を飛び出ましてね。今は豊後の守に仕えております。先日ようやく上洛しましてね。そうしたら京では鬼がどうのという話がありまして、今更ながら母が心配でこうして再び敷居をまたいだというわけです。」 イノリは寂しそうな顔をした。 豊後の守に仕えていると男は言った。 受領に仕える身であればまた、どこかの国へ派遣され、アキラの叔父もそれに従って下向するだろう。 そうなればアキラと離れ離れになる。 姉セリがいなくなって、弟分のアキラがいなくなって。 不意に天真がイノリの頭を小突く。 「ってえなっ?!何するんだよっ!」 イノリがむっとした顔で振り向くと天真がにやにやと笑っていた。 「わかってるよ。」 イノリは唇を尖らせてそっぽ向いた。 来るものがいて、去るものがいる。 ーー幸せになるんだぜ、アキラ。 「龍神様のお導きでしょうかね?」 男は笑った。 「龍神の神子様にお目にかかれるとは思いもよりませんでした。」 一陣の風が吹く。 夏の匂いのする風が。 今年は疫神が京に猛威を振るうことはないであろう。 京には清浄な気が流れている。 あかねが取り戻した清浄なる五行の気が。 老女の亡骸には真っ白の立葵。 死者を悼む花。 京に夏が訪れる。 ーー神子。私がおまえを護る。 ーー誰よりも、何からも。 ーーFIN. 2001.10.31. |