長月の子守唄 ー参ー


唄が聴こえる
優しく、懐かしく、響く唄。
私はこの唄を知っている。
あたたかく、やわらかく、すべてから守られたどこかで聴いていた。
いったいどこで・・・?



泰明は気がつくと野辺に立っていた。
そこには少女が立っていた。
桔梗の花が風に揺れている。
粗末な身なり、しかし少女の髪は豊かに波打ち、あどけない微笑みは邪気が全く感じられない。

ーーここは?
泰明はあたりを見回した。
少女が自分の方をじっと見つめている。
ーーこの少女は・・・あの怨霊の生前の姿か?

「だあれ?」
少女が問い掛けた。
泰明は答えようとして、自分の声がでないことに気がついた。
「晴明、という。」
泰明は驚いて振り返った。
そこには間違いなく、師、安倍晴明が立っていた。
ただ、泰明の見知った晴明ではなく、かなり若い、少年と青年の中間、そう、永泉や、天真くらいの年頃だろうか。
晴明も少女も泰明に気がついていない。
ーー私は過去にあったことを見ているのか・・・。

晴明は少女に歩み寄った。
「お前の名は?」
晴明が優しく少女に聞く。
少女は花をも魅了する笑顔で答えた。
「みんな、私をあさがほっていうの。」
「あさがほ、桔梗のことか。よい名だ・・・。」
「・・・?」
少女は不思議そうな顔をしている。

ここにきて泰明はやっと気がついた。
ーー神々の愛児(めぐしご)か・・・!
この少女から全く邪気が感じられなかったからである。
では何故この少女が怨霊となったのか?
泰明の思考を無視して、少女と晴明の会話が繰り広げられていく。

「ききょう、というのだよ。この花のことだよ。」
晴明は桔梗の花を一輪手折ると、少女の髪に挿した。
「き、きょ、う?きれいなことばね。えっと・・・」
少女は小首を傾げて晴明を見る。
「私は晴明という。せ、い、め、い。」
晴明は少女に噛んで含めるように教える。
「せ、い、め、い、様?」
少女はつかえつかえ、晴明の名をたどたどしく繰り返す。
「そうだよ。」
少女の手が晴明の頬に触れた。
「きれいな名前ね。あなたもとってもきれい・・・。」
晴明はのばされた少女の手を取るとその手の平に口付けた。
「私がきれい?妙なことをいう・・・。おまえはきれいなものが好きなのか?」
少女はこくんと頷いた。
それを見て晴明は優しく微笑んだ。
「ならば私はお前のものだ。」

ーーお師匠!?
泰明は驚いて声をあげようとした。

「ほんとう?せ、せいめい様はあさがほのものね?」
「ああ、私はおまえのものだ。」


暗転した。
泰明の身体が傾いだ。
一瞬の浮遊感のあと、身体に硬いものを感じて、泰明は目を開けた。
そこは先ほどあかねとともに訪れた野辺であった。
どうやら自分は怨霊に連れ去られて、ここに寝かされていたらしい。
顔を横に向けると、先ほどあかねと訪れた墓標が視界に入った。
まわりには桔梗の花。
そばには先ほどの怨霊の少女が伏して泣いていた。
ーーお師匠の恋人か。やっかいなことだ。
泰明は身体を起こした。
『私のあかさま・・・』
少女は泰明の動きで顔を上げ、つぶやいた。
「お前の欲するものはなんだ?我が師、安倍晴明様か?」
泰明は怨霊に近づくと冷たく言い放った。
『あかさま・・・。』
ーー?
泰明は眉を顰めた。
あかさま、赤子のこと。しかしこの少女に赤子がいたのであろうか?ということは師、晴明の子であろうか。
ーー北の方様に憎悪を向けたのはこのためか。
北の方には現在二人の御子がいる。
今まで師、晴明に北の方以外に恋人が何人かいることは知っていた。
まさかずいぶん若いうちに、神々の愛児(めぐしご)である少女にまで、手を出すとは思ってもいなかった。
さらに孕ませることまでしているとは。
ーーまったくもって、我が師ながらわからぬ。
泰明は溜息をついた。
なんにしろ、この少女は自分の赤子をさがしているのだ。
調伏するのは容易いが、もともとは神々の愛児(めぐしご)、無体な真似はできない。
それに、
ーーなぜだろうか?
泰明はこの少女に親近感を持ったのである。
惹かれる、ではなく、慕わしい、胸が温かくなるような、優しい気持ちである。
龍神の神子、あかねに惹かれたときと似てはいたが、似て否なるものであった。
『あかさま・・・。』
不意に少女は泰明に抱きついた。
『あかさま、あかさま、』
少女は泰明を抱きしめながら何度もつぶやく。
少女に抱きしめられて、泰明は不思議な感覚に陥った。
ずっと探していたものが見つかったような、与えられなかったものが与えられたような。
そんな不思議な感覚だった。
ーーわたしは・・・。
ーーなぜだ・・・?
泰明はゆっくりと目を瞑った。
ーーこの少女を調伏できない・・・。



「申し訳ありません・・・!」
北の方は晴明に伏して何度も詫びた。
「そなたの優しい心に私は感謝したいくらいだよ?大丈夫、泰明は無事だから。そなたは心配しなくてもよい。」
晴明はそう北の方をなぐさめる。
「けれど、あの方は泰明さんを探していました・・・、あなたも・・・。私は・・・私のしたことは・・・!」
北の方はなおも泣き続けた。
そのとき、晴明の付き人が縁に現れた。
「一条の邸より、北の方様と龍神の神子様を迎えに参られました。」
式神の言葉に晴明が頷くと、北の方の肩を優しくなぜた。
「さあ、迎えが到着した。そなたは邸に帰りなさい。私は泰明を連れ戻しに行こう。」
晴明は泣き続ける北の方を抱き上げた。
「神子殿もさあ。」
晴明はあかねに振り返ると、あかねにも帰るように促した。
「いいえ。帰りません。」
あかねは静かに首を振った。
「泰明のことなら心配ないよ。大丈夫、私の播いた種だ。必ず神子殿のもとへ連れ戻すから。」
晴明は困ったようにあかねに言う。
あかねは袂にしまっていた玉を出した。
「これのせいではないですか?」
あかねが晴明に見せたのは、大小の琥珀を連ねた泰明の首飾りの玉のひとつだった。
小さい方の玉のひとつ、そこにははっきりとわかる亀裂が走っていた
「泰明さんの首飾りが切れたとき、北の方様の悲鳴が聞こえました。」
あかねはぐっと顔をあげて晴明を見据えた。
「この玉に封印されていたものですね?」
あかねにまっすぐに見据えられて、晴明は口元をわずかに緩ませた。
そして北の方に顔をむけた。
「あなたに差し上げた数珠を、今一度私に返していただけないだろうか?」
北の方ははっとして顔をあげた。
晴明は優しい微笑みを浮かべているが、その瞳は限りなく真剣なもので、有無を言わさないものであった。
「讃岐・・・これへ・・・。」
北の方は侍女を呼んだ。
侍女は先ほど北の方が怨霊に投げつけ、床に転がった北の方の琥珀の数珠を懐から出し、恭しく晴明に差し出した。
北の方が晴明の代わりにそれを受け取ると、晴明の懐に数珠を差し入れた。
「必ず、必ずや泰明さんを・・・。」
「ああ、大丈夫だ。神子殿もいらっしゃる。泰明の帰る場所は神子殿のもとしかないのだから。」
晴明はそういうとそのままあかねを残し、牛車の待つ寺の門へと行ってしまった。
あかねは僧侶とともに房に残された。
つまり、泰明を連れ戻すのに残ってもいいということである。
あかねは僧侶に改めて向き直った。
「あの・・・申し訳ないのですが、この首飾りを繋げる糸が欲しいのです。何かないでしょうか。」
僧侶はこっくりと頷いた。
「わかりました。先日、仁和寺の僧正様より、数珠を作るためにいただいた銀糸があります。お出ししましょう。」
僧侶はあかねに一礼して房を出て行った。
泰明の式神が顔を上げた。
「泰明様が気がつかれたようです。」
「泰明さんの居場所は特定できそう?」
式神は目を細めた。
しばらくそのままで、大きく息を吐いた。
「近い・・・ですね。しかしとても強固な結界ができています。むやみに近づかない方がよろしいでしょう。」
あかねはほっとした。
泰明は近くにいる。
それだけで勇気が湧いてくるから不思議だった。
「ありがとう。あとは晴明様におまかせします。」
あかねがそういうと、式神はその姿を一枚の符に姿を変えた。
あかねは符を懐にしまった。
あとは、自分にできることをしようと考える。
あの玉が、間違いなく何か関係している。
晴明の態度が物語っていた。
そのとき、妻戸が開いて、晴明が入ってきた。
手には北の方の数珠が握られている。
晴明はあかねの前に平伏した。
「龍神の神子殿、泰明を連れ戻すため、お力をお借りしたい。よろしいか?」
さきほどとは全く違う、真摯な眼差しであった。
「泰明さんの帰るところが私のところであるように、私もまた、泰明さんのところしか帰る場所はありません。私でお力になれるならば。」
あかねも居住まいをただし、晴明に頭を下げた。
そのとき、僧侶が戻ってきた。
手にしているのは美しい漆塗りの木箱で、中には懐紙に包まれた銀糸が入っていた。
「龍神の神子殿、さあ、これをどうぞ。」
僧侶はあかねに木箱を手渡した。
あかねはその木箱に泰明の首飾りの玉をすべて出した。
晴明はひびの入った小さい玉を手に取った。
「あなたにはすべてお話しなくてはならない。」
晴明は苦しげにそのひびの入った玉を握り締めた。
その眦(まなじり)には光るものがあった。


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