去り行く人のために 1
洛中、東寺で行われる市は活気に溢れ、京に住まう人々の楽しみとなっている。 あかねは珍しく藤姫が外出の許可をしてくれたので、イノリと天真を護衛に、市へとやってきた。 アクラムとの戦いが終わって、毎日手習いだの、歌の練習だの、琴の練習だのと、左大臣家の養女としてひとかたならぬ教育を受けさせられ、日々鬱々としていたところへの、藤姫の提案はあかねを素直に喜ばせた。 久しぶりの外出にあかねは心躍らせ、藤姫へのおみやげは何にしようか、とすっかりはしゃいでいる。 「おいあかね、勝手にウロウロするな。」 天真が右へ、左へ、まるで花に惹かれる蝶のように、気になるお店を見て歩くあかねの水干の袖を引っ張った。 「え〜、もうちょっと見たい〜!!」 いくら京に住むことになったとはいえ、そこはやはり現代の女の子。ショッピングは大好きなのである。ついつい、同行する男性陣を振り回してしまうのはいたしかたないことであろう。 「あかねっ!こっちこっち!」 人ごみの向こうで、いつの間に、離れたものやら、イノリがぴょんぴょん跳ねながら大きく右手を振った。 あかねと天真は人ごみを分け入って、イノリの側までどうにか辿り着く。 そこは一軒の露天商の店先で、刀などの刃物が並べられていた。 「これを見てみろよ」 イノリが得意げに一振りの太刀、それも頼久のような武士の持つ、あかねから見ればとても大きな太刀を、鞘からすらりと抜いた。 つばには美しい文様が施され、刃文も美しく、太刀には何の知識もないあかねでもその美しさに目を見張った。 「イノリ君が作ったの?すごいっ!」 あかねは感心して溜息をついた。 「オレじゃない、これはおれの師匠の作だ。キレイだろ?オレもいつかこんなスゴイ太刀を打てるようになりたいんだ!」 目をキラキラと輝かせてイノリは笑った。 店主がそんなイノリを見ながら、一振りの太刀を抜いて見せた。 「で、こっちがイノリの作なんですよ、娘さん。」 イノリが店主の言葉に驚いて、あわてて師匠の作った太刀を鞘にしまうと、あわててあかねの前に立ちはだかった。 「わわっ!見るなっ!見るんじゃねえ!」 「いいじゃん、売り物なんだし、減るもんじゃねえし。」 天真がニヤッと笑うとイノリの襟首を掴んで、ずるずると引っ張り、移動させ、あかねがイノリの打った刀を見やすいようにしてやる。 「わっ!天真っ!なにすんだよっ!」 イノリが抗議するも、天真は素知らぬ顔で口笛を吹いている。 「わ〜イノリ君すごいっ!」 あかねはようやくイノリの打った太刀を目にして感嘆の声をあげた。 「でしょう?娘さん。若いがいい腕してるよ。まだまだイノリの師匠には及ぶほどじゃあないが、将来が楽しみな鍛冶師になることは間違いないねえ。」 店主は機嫌よく笑った。 イノリは店主の言葉に照れて、何も言えないのか、そっぽ向いている。 「ね、ね、天真君、買ったら?イノリ君の打った刀!」 あかねが嬉しそうに天真に提案する。 天真はあかねや詩文、蘭とともにこの京に残った際、、友雅の口利きで検非違使に任官されたのである。検非違使ともなれば、やっぱり刀は必要なはずで、アクラムとの戦いまでは天真は頼久から刀を借りての練習だったのである。 「天真ならもう、持ってるぜ?前に頼まれて作ったから。」 イノリはあかねが自分の打った刀を持っていることを知らなかったことに、少々驚きながら天真の代わりに答えた。 「えーっ?!なんで教えてくれないのよっ!」 イノリの言葉に、あかねが唇を尖らせて天真に抗議する。 まるで自分だけのけ者にされたような、そんな抗議のしかたである。 「おまえ忙しくて、ろくに話もできるような状態じゃねえだろ?」 「あ、確かに。オレもあかねとこうして出かけたりするの、すっげえ久しぶりだっ!」 天真の言葉にイノリも同調する。 そう、確かにあかねは毎日忙しい。 手習いからはじまって、歌を詠むために古今和歌集の暗記や、実際に歌を詠んでみたり、友雅や藤姫相手に、返歌の練習もしなくてはならない。貴族の姫君の教養として、琴の練習もしなくてはならないし、古典(それも文語体だっ!)も読んで、覚えなくてはならない。もちろん、香や染物、縫物なども覚えなくてはならなくて、毎日やることがいっぱいなのである。 それこそ、怨霊封じよりも忙しく、おまけに外に出ることはほとんど許されず、なおかつ、屋敷内では袿姿でいなければならず、暑くなってきたこの頃はその姿でいるのもなかなか拷問に等しいのである。 一方天真も忙しく、友雅の口利きで検非違使として本格的に職につき、妹の蘭は左大臣家ゆかりの桂にある尼僧院に身を寄せているため、出かけることも多く、あかねとはすれ違いの毎日なのである。 他の八葉も似たり寄ったりで、京の危機が救われた今、皆それぞれの忙しい毎日を送っているのである。 が、 あかねのもとへ足繁く通うものが二人いる。 友雅と泰明だ。 友雅は「あかねの教養の先生」という役(?)といってはあかねのもとによく訪れる。 実際彼の指導のもと、あかねはまだまだではあるが歌も詠めるようになったし、琴も弾くことができるようになった。 で泰明はというと、忙しい陰陽師のはずなのに暇を見つけてはあかねのもとに通っている。 何をするわけでもなく、ただ話をするだけなのではあるが・・・。 なんのことはない、二人は周りが認める恋人同士なのだ。 どちらにしろ、天真からすれば羨ましい存在である。 天真はあかねと同じ敷地内で生活しながら、ほとんど顔をあわせないのだから。 よくよく考えれば、あかねと(イノリもいるのではあるが)外出するのは怨霊封じ以来、初めてなのである。もちろん、怨霊封じであかねと出かけたことはあっても、いつも泰明が一緒で、天真はオマケみたいなものであったが。 ーーあーっ不毛だっ!くそっ! 天真は頭をガリガリとかくとあさっての方を見る。 「だからっ!大した腕でもないのに自分の刀を持ってるって言い難かっただけだって。わざわざ伝えれるか、そんなこと。」 「何言ってるのよ、頼久さんがすごいの。天真君だって相当なものだと思うよ?」 あかねが屈託なく笑うので、天真としては困ってしまう。 封じたはずの想いがこみあげてきそうになる。 ーーあーあ、天真のヤツもかあいそーに。 イノリは溜息まじりで二人の様子を見る。 その時だった。 「親分!」 甲高い子供の声が響いた。 「あれっ?アキラ?」 イノリが声のした方を見ると、7、8歳の子供がイノリのほうへ駆け寄ってくるところだった。 「おいっ!アキラどうしたっ!?」 イノリは駆け寄ってきた、アキラという子供の目線に近づくようにアキラの前にしゃがんだ。 そしてアキラの顔をのぞきこんだイノリは眉をひそめた。 アキラの顔に明らかに泣いた跡があったのだ。 「親分・・・、親分、龍神の神子様に仕えてるんだろう?ねえ、会わせてよ、ねえ。」 イノリはあわててアキラの口を押さえた。 「バカッ!ここでそんなことを言うんじゃねえ!」 イノリは小声でアキラを怒鳴りつけた。 龍神の神子の噂は、京中に広まっている。 鬼からこの京を守り、いまだ守護していると京の人々は噂をし合っている。 もちろんその噂は正確ではない。 その身に龍神を宿らせたまま、彼女は京に留まり続けている理由は、彼女がここで生きる理由を見つけてしまったから。 地の玄武、安倍泰明と恋に落ちたからであった。 イノリの姉のセリが、鬼であるイクティダールとともにこの京を去ったように、龍神の神子であるあかねもまた、自分の生まれ育った世界を捨てて、この京に愛する人ともに在ることを選んだ。 しかし京の噂は、もっとそこに住む人々の都合のいいように解釈されて流れている。 あかねの耳に入ればそれだけで、彼女の罪悪感を持たせるような解釈が。 京の人々は龍神の神子を、まるで神の化身か、聖なる斎姫のように、崇拝しているのである。 神子に仕えた八葉というだけで、そのツテを辿って神子に会いたがる輩は数知れず、こんな往来で龍神の神子に仕えていた、なんて話をされては騒ぎになるのは目に見えているのだ。 まして、すぐ側には本人までいる。 こんなところで騒ぎを起こしたら、神子であるあかね本人が噂を知らないだけに、とんでもない騒ぎになってしまうのだ。 イノリはアキラの口を塞いだまま、人気のない、路地へと入った。 人のいないのを確かめて、アキラの口を解放してやる。 そして大きく溜息をつくと、アキラの両肩に手をかけ、再び覗き込んだ。 「あのなあ、アキラ、龍神の神子に会って、どーするんだよ?」 泣いた跡のあるアキラに、いきなりダメとは言えず、とりあえず事情を聞いてみることにしたイノリの言葉に、アキラの目から涙が零れた。 「婆ちゃんを・・・、婆ちゃんを助けてほしいんだよ。神子様に、龍神様にお願いしてもらうんだ、婆ちゃんの病気が治るように。」 アキラは堰を切ったようにぽろぽろと涙を零しながら言った。 信頼する親分であるイノリは八葉として、龍神の神子に仕えていたと聞いている。 そんな彼ならきっと自分を、祖母を助けてくれると信じて。 「ばかやろう!お前なんてこと言うんだっ!あかねは神様じゃねえっ!」 イノリはあわててアキラをたしなめた。 期待した言葉と裏腹に投げつけられた言葉に、アキラはカッとなって言い返す。 「だからっ!龍神様にお願いしてって頼むんだよ!」 イノリは立ち上がって天を仰いだ。 「あのな、アキラ。それはできねえ、絶対できねえ。神子は龍神にお願いは出来ないんだ・・・。」 「なんでだよ!龍神の神子様なんだろ!なんでできないんだよ!」 アキラはイノリの袖を掴んで揺さぶった。 しかしイノリはアキラの問いに答えられなかった。 下手にアキラの耳に入れてしまえば、どんな噂が流れるかわからないのだ。 噂は好意的なものだけではない。 悪意のこもった噂になりうることもあるのだ。 そのときだった。 明るい少女の声がイノリの。名を呼んだ。 「イノリくーん!ここにいたのね!天真君!こっちこっち〜!」 イノリはあかねの声に驚いて振り返った。 よりによって、一番現れてほしくない人物が大きく腕を振って、こちらへ向かって駆けてくる。 そのあとから天真も現れる。 二人の前から突然イノリが消えたわけだから、二人がイノリを探すのは至極当然である。 だから消えたイノリを探して、二人が自分たちの前に現れるのは簡単に予想できるのであるが、今のイノリにはまさにバッドタイミングであった。 「イノリ、いきなり消えちまうから探したぜ・・・って、誰だコイツ?」 天真が二人を見比べて、声をかけた。 不意に現れた二人の男女に、イノリの焦った顔を見てアキラが察したのであろうか。 それとも子供の感は鋭く、常人にはわからないその神気を感じ取ったのであろうか。 アキラはイノリから離れ、少女の袖を掴んだ。 「あんたもしかして龍神の神子様?!」 あかねは驚いて、子供の顔を見た。 「イ、イノリ君?この子・・・?」 あかねはイノリと子供、アキラの顔を見比べた。 子供はたった今泣いていたと思われる涙のあとが残っている。 そして前触れもなく龍神の神子か、と言われても、今その役目を終えたと思っているあかねには、とまどうばかりですぐに答えられない。 「悪い、あかね。そいつオレの子分の一人でアキラっていうんだ。さあアキラ、今日はもう帰れ。オレはこいつらと用事があるしな。」 イノリは無理やりアキラとの会話を切り上げようとした。 アキラにあかねが龍神の神子であることを知られたくないし、あかねがアキラの件に首を突っ込むのを避けさせねばならなかったからだ。 イノリはアキラの腕を掴んであかねから引き剥がした。 が、 アキラはイノリの腕を振り解いて再びあかねの側に駆け寄った。 「あんたが龍神の神子様なんだろう?お願いだよ、助けてよ、オレの婆ちゃんが病気なんだよ。助けてよ。龍神様にお願いしてよ!」 アキラはあかねの袖を掴んで一気にまくしたてた。 しかし、その言葉はあかねに衝撃を与えるのには十分だった。 龍神の神子だからといって、龍神に願い事をすればあかねはその身を龍神に捧げなければならない。 アクラムが蘭を使って黒龍を召喚したときですら、あかねは龍神に願うことができなかった、否、泰明によって阻まれた言っていいだろう。 結果、龍の玉をそれぞれ持つ八葉が、力を合わせることによって、黒龍の瘴気を祓うことができた。 つまり、あかねは龍神の神子と言われながらも、何も出来なかったのである。 龍神が神子の身を望む限り、あかねは龍神を呼ぶことはできない。 地の玄武、安倍泰明を置いて、その身を龍神に捧げることは絶対出来ないのである。 そして、それを泰明が許さないことは八葉でなくとも、あかねの身近にいるものならば誰もが知っている事実である もちろん、泰明だけでなく他の八葉もそんなことは許しはしないが。 当然ながら、本人であるあかね自身も、自分が龍神を呼ぶことが出来ないのは痛いほどわかっていて、だからこそアキラの言葉はいくつもの刺となってあかねの心に突き刺さった。 「アキラッ!」 イノリの声に怒気が混じり、アキラの肩を思わず掴む。 「いいかげんにしろよっ!龍神の神子だろうが、なんだろうが、できないことはあるんだっ!」 ぐっとアキラの肩を掴んだ手に力が入る。 アキラはそれをさらに勢いよく振り解き、今度はイノリを睨みつけた。 「なんでだよっ!京を救った人じゃないか!貴族様たちの病気も治したって聞いたっ!なのになんでオレの婆ちゃんは助けられないんだよっ!全部嘘だっていうのかよっ!親分のウソツキ!」 アキラはそれだけいうと、そのまま背を向けて走り去っていった。 「あっ!待って!」 あかねの制止はアキラに届かなかったようで、アキラは立ち止まることなく、路地を曲がって市の開かれている賑わいの中に消えていってしまった。 あかねは呆然としていた。 アキラの言葉はあかねには堪えた。 アキラの去っていた方を見ながら、あかねはただそこに立ちすくむしかなかった。 くしゃ。 天真があかねの髪に手を入れた。 「あかね、気にするなよ・・・といってもお前の性格上それは無理かもしれないけどな。お前の力は俺たちが一番よく知っている。ただ、市井に流れる噂は無責任なものが多いからな・・・。」 「あかねごめん。あいつ両親がいなくて、たった一人の身内が病気で、寂しいだけなんだよ・・・。オレも最近、仕事が忙しくなってきて相手してやれないし。気にすんじゃねえぞ。」 しかし、天真の言葉もイノリの言葉もあかねの心には素通りするだけで。 心に突き刺さった刺を抜くには至らない。 「イノリ、オレがこいつ連れて帰るから。」 天真があかねの肩を抱く。 あかねは自分がなにされているのかもわからないようで、ただぼんやりとしている。 「あ、ああ、わかった・・・。あかね、本当にごめん・・・。」 イノリがあかねとアキラを遭遇させてしまったことを詫びた。 しかしあかねは何も答えられなくて。 天真はイノリに目配せをするとあかねを引っ張って背を向けた。 「じゃな、イノリ。」 天真はイノリに親指を立ててみせると、あかねの腕を引っ張って土御門への家路についた。 「ほんと、ごめん・・・あかね・・・。」 小さくなる二人の後姿に、イノリは自分も泣きそうな顔で呟いた。 後ろ姿の天真が大きく腕を振って見せる。 イノリに向かって。 2001.10.29
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