夏の衣4 ーー泰明さん・・・。 あかねは泰明の背中を見つめた。 あれから。 比丘尼はあかねに言いたいことがいっぱいあるようで、なにひとつ言葉にできぬまま、膝をついて頭を下げた。 鷹通が比丘尼に寄りそい、今夜は彼女を知り合いの尼寺へ任せることにしますと言って、早々に帰ってしまい、あかねは泰明に連れられて土御門の邸に戻ることになった。 お互い何も口をきかないまま、土御門の邸を目の前にする。 すでにあたりは闇が広がり、天上では星が瞬き、十三夜の月が二人を照らす。 邸の門の手前あたりで泰明が歩みを止める。 あかねも歩みを止める。 「神子・・・。」 苦しげな泰明の言葉にあかねはどきりとする。 そう、あかねの中で泰明と比丘尼の関係の疑惑が晴れていないのだ。 それを泰明に、比丘尼に問いただすこともできないままで。 聞きたい。 けれど恐い。 そんな思いがないまぜになって、あかねの口を重くする。 恥ずかしかった。 嫉妬している自分を泰明に知られたくなかった。 泰明があかねに振り返る。 そしてあかねの頬にそっと触れる。 「なぜ白龍を召喚することを考えた?」 あかねはびくりとした。 泰明の手はいつもとかわらず温かく、優しかったが、その言葉には咎めるような響きがあったから。 そんなことを言われたら。 ーー期待しちゃうじゃない・・・。 泰明の比丘尼を見つめる眼差しが悔しかった。 泰明にあんな表情をさせることのできる比丘尼が羨ましかった。 あかねは泰明の手から逃れるように、一歩後退った。 泰明が眉を顰める。 泰明は気がついていた。 あかねが比丘尼に対して嫉妬していることを。 しかし比丘尼に対する感情をあかねにどう説明していいか泰明にはわからない。 わからないまま、自分を信用してもらいたくて。 自分が愛する人はあかねだけだとわかって欲しくて。 「み・・・、」 「私泰明さんが好き!」 泰明が言いかけた言葉を聞きたくないかのように、あかねが大きな声で叫ぶように言った。 「それだけです!今日は送ってくれてありがとうございました!」 あかねは逃げるように泰明の脇をすり抜けた。 泰明の手があかねの二の腕を掴むより一瞬早く。 走り去るあかねの姿が土御門の邸の門の向こうへ消えるまで呆然とその後姿を見送った。 泰明は行き場のなくなった右手を見ると、ぎゅっと握り拳を作った。 自分がわからなかった。 今はとにかくあかねが愛しかった。 たまらなく愛したいという気持ちが湧き出てくる。 こんなことははじめてだった。 あかねが比丘尼に対して嫉妬していると泰明が気がついてから、泰明は自分の中に生まれた不思議な感情に自らをもてあました。 もしあかねの腕を掴めていたなら、そのままあかねを攫っていきたいような、自分の中に閉じ込めて、自分があかねをどれだけ愛しているかその身も心にも刻み付けたいような、そんな気分になったのだった。 ーー神子と出会ってから私は教えられることばかりだ。 泰明はあかねの腕を掴むはずだった自らの右手を見つめて溜息をついた。 土御門の庭には美しい薔薇(そうび)が咲き始めていた。 階の側に植えられた紅色の薔薇の花に、あかねは小さく溜息をついていた。 あの日以来泰明から届けられる文の返事を書いていない。 これでは先日の自分と全く逆である。 わかってはいるのだ。 ただ知られたくないのだ。 嫉妬している自分を。 あかねは薔薇にそっと顔を寄せた。 華やかで芳しい香りが鼻腔いっぱいに広がる。 普段ならそれで心が満たされ、つい顔も綻ぶであろうに、どうしても溜息がもれてしまう。 「神子殿・・・。」 頼久があかねに声をかけた。 あかねは驚いて振り向いた。 「神子殿、お手が・・・。」 頼久は遠慮がちにあかねの手を取った。 頼久が手を取った方の指先には薔薇の刺が刺さったのか、引っかき傷ができて血が滲んでいた。 「あ・・・わっ!」 あかねは怪我に気がつくと慌てて頼久の手振りほどき、背中に自分の手を隠してしまった。 「あ、あとで自分で手当てしておくから・・・。ぼーっとしていて気がつかなかった・・・かな。あは、は・・・。」 あかねはじりじりと階へ移動し、勢いよく頼久に向かってお辞儀をすると脱兎のごとく自分の部屋へと入っていった。 頼久は困ったように前髪をかきあげ、溜息をついた。 あかねを困らせるつもりは毛頭なかったが、どうやらあかねが自分の怪我にすら気づかず、物思いにふけっていたことは窺えた。 あかねの物思いの相手は実は毎日のように土御門に日参しているのだ。 どうやらいつも追いかえされているようではあるが。 今日も泰明は土御門に自らの書いた文を携えて来ているはずであった。 頼久は藤姫のもとへと急いだ。 「お目通りは許しません。」 藤姫の固い声音が凛と響く。 泰明は黙ったまま微動だにしない。 頼久はその様子を庭から確認するかのように見ていた。 そして何度目かの問答の末、泰明が懐から淡香色の文を御簾内へとそっと差し入れる。 そしてその場を立ち去るのである。 もう何度このように追い返される泰明を頼久は見たであろう。 今日もいつものように泰明が文を藤姫に託して立ち上がったのを見計らうと、頼久は泰明の通るであろう透渡殿に面した庭で泰明を待ち伏せた。 「何用だ、頼久?」 泰明の冷たい声音は感情を感じさせないが、同じ八葉としてともに戦った身であれば、泰明がかなり機嫌が悪いことは見て取れる。 その不機嫌があかねと目通りが叶わぬことであるので、頼久は別段咎めるでもなく礼儀正しく頭を下げた。 「神子殿のことでお話があります。」 頼久の言葉に泰明がわずかに眉を顰めた。 そしてあたりに人がいないことを確認する。 そしてすっとその場に膝をついた。 頼久が泰明の側によって耳打ちをする。 泰明の表情がにわかにくもりだす。 そして。 「わかった。」 泰明はそういうと庭に下りた。 頼久は一礼をしてその場から立ち去る。 泰明は庭からあかねのいる対の屋へと迷いなく歩を進めた。 あかねは二階厨子の中から膏薬を出した。 血の滲んだ指先を口に含むと、ちりちりと痛みだす。 「何故泰明と会わないの?」 あかねの頭上から突然声が降ってきた。 あかねは驚いて見上げると、天上の梁にちょこんと腰掛けた比丘尼を見つけた。 比丘尼は軽い身のこなしで梁から飛び降りると、あかねの顔を呆れたように見遣った。 「私のせい?」 比丘尼は髪をかきあげながらそっぽ向いた。 「ち、違うよ!そんなんじゃ・・・。」 あかねはあわてて比丘尼の言葉を否定した。 確かに比丘尼に泰明の本質を見極めていないと言われたとき、あかねは泰明に頼ってばかりの自分が恥ずかしかった。 泰明のために何もしてあげられない自分が恥ずかしくて、そして悲しかった。 比丘尼に嫉妬している。 優れた陰陽師で、稀なるその生は泰明のその出生と異にするも理解しあえる立場の比丘尼に。 いやそれよりも。 嫉妬している自分がたまらなく恥ずかしく、こんな自分を泰明に見られたくないのだ。 「あなたが疑うようなことは何もなかった・・・って私が言ってもあまり効果はなさそうね。」 比丘尼は困ったように天を仰いだ。 「比丘尼さんは嘘ついてない。」 あかねは静かに首を振った。 先日比丘尼があかねに浴びせた言葉は確かに痛烈ではあったが、嘘ではなかった。 今ならわかる。 比丘尼はあかねを挑発してあかねのなかの龍神を呼び出したかったのだと。 泰明と何もなかったという比丘尼の言葉は嘘ではないことも素直に受け止められる。 ただ、泰明が何を考えていたのかあかねにはわかっていなかった。 泰明は比丘尼と会っていた。 比丘尼が自分にはないものをたくさん持っていると知れば知るほど、あかねは自分の中で生まれる醜い感情にもてあました。 自分が泰明を頼ってばかりの存在だと気づかされてしまった。 自分が泰明にとって何かプラスになる存在であると自信を持っていれば、こんな気持ちになることはなかったであろう。 自分の無力さを知って、自分にはない力をもつ比丘尼に嫉妬した。 そんな自分が醜くて、浅ましくて、恥ずかしくて泰明に会えないのだ。 「ただ、嫉妬していた自分が恥ずかしくて・・・。」 あかねは溜息をついた。 「だから泰明と会わないの?」 比丘尼が尋ねた。 「ううん。会えないの。」 あかねは比丘尼の言葉に苦笑した。 「私は泰明さんにとってあかねという存在でありたいけど、同時に泰明さんの神子でもありたいの・・・。こんな嫌な自分のままでは泰明さんに会えないよ・・・。私は神子かもしれないけど普通の女の子なの。嫉妬もするし、嫌なことを考えちゃうような、そんな子なの。けどそんな私のままでは泰明さんの神子でいる資格はない・・・。」 「神子は私の神子だ。」 背後で泰明の声がした。 あかねは驚いて振り返った。 御簾の向こうで泰明がいたからである。 「神子、おまえがどのような感情を抱いても、神子は私の神子だ。私の愛する神子だ。」 あかねは泰明の言葉に真っ赤になった。 泰明の言葉はあかねに恥ずかしい気持ちにさせた。 そして同時にとても嬉しかった。 泰明は御簾内へと入りあかねの表情を見つめた。 しかしあかねはまともに泰明の顔が見られない。 ーー私の神子。 その言葉がどれだけあかねの心を温かく、そして力づけるであろうか。 「私が神子の文に返事を出さなかったのは、浅ましい感情を抱いていたからだ・・・。」 泰明の言葉にあかねは顔をあげた。 泰明のまっすぐな視線とぶつかる。 ぶつかった視線はそらすことも許されず、あかねは震える視線で泰明を見つめた。 「私はお師匠を超えたかった・・・。」 泰明はぽつりと呟いた。 「私が力をつけたいという浅ましい思いが神子を傷つけた。」 すると今まで黙っていた比丘尼がつかつかと泰明の方へ歩をすすめた。 瞬間、ぱんっ、という乾いた音が響いた。 比丘尼が泰明の頬を打ったのだった。 「力が欲しいという思いのどこが浅ましいの?何故力をつけたかったのか、何故晴明を越えたかったのかはっきり神子に伝えたらどうなの?」 泰明は打たれた頬の痛みに驚いて比丘尼を見返した。 「あ、あの・・・っ!」 あかねは比丘尼の行動に驚いて思わず泰明と比丘尼の間に割って入った。 泰明は何も言わず比丘尼を睨みつけていたが、やがてゆっくりと息を吐いた。 「神子。私は・・・、私は何ものからも神子を守れる力が欲しかった・・・。」 泰明の言葉に比丘尼がフンと鼻を鳴らした。 あかねは泰明の言葉に目の前が真っ赤になる思いであった。 多分、これ以上にないほどの泰明の告白であった。 あかねの瞳からは大粒の涙がぽろぽろと溢れ出す。 そして泰明とあかねの様子に比丘尼は満足すると、音もなく部屋を出て行った。 「私は所詮お師匠の庇護のもとに生かされているにすぎぬ。神子、こんな私でも神子を娶ることを許してくれるか。」 泰明の言葉にあかねはたまらず泰明の胸へと飛び込んだ。 「泰明さんは泰明さんのままでいいです。泰明さん・・・!」 泰明の腕があかねをそっと優しく抱きしめる。 柔らかなその髪を泰明の細くしなやかな指が梳いていく。 「わっ、私こそ、こっ、こんなつまらないことで嫉妬しちゃうような私でもいいですか?」 あかねはしゃくりあげながら泰明の顔を見上げた。 呪いの解かれたその美しい顔に色違いの瞳が優しく煌く。 「私は・・・、神子・・・。何故だろう?嬉しかったのだ・・・。」 泰明は言葉を探すように、ゆっくりと、自分の心を吐露していった。 「神子が比丘尼に嫉妬していると気が付いたとき、私は何故か嬉しかったのだ。」 泰明がそっとあかねの髪に口付ける。 「私はどうかしているな・・・。神子が傷ついているというのに・・・。」 泰明は瞳を伏せた。 長い睫が影を落とす。 自分の抱いた感情をもてあまし、苦しむ泰明を見てあかねはくすりと笑った。 「泰明さん。」 あかねは泰明の顔をのぞきこんだ。 異彩の瞳が開かれあかねの視線を捉える。 「おかしくなんかないですよ。私嬉しいです。泰明さんがそう思ってくれて。」 あかねは泰明の頬をそっとはさみこんだ。 こんなにも泰明が愛しい。 「嫉妬なんてもうしたくないけど、私が泰明さんのことをとても好きだという証になったのかな?わかってくれましたか?」 あかねは頬を染めて泰明に噛んで含めるようないい方をする。 「私は・・・、神子を愛している。しかし、神子も私を愛してくれていると自惚れていいのだろうか?」 泰明の手があかねの手を捉える。 あかねはこっくりと頷いた。 「多分、泰明さんが思う以上に私は泰明さんのことが好きですよ?」 あかねの言葉に押されるように。 泰明はあかねのその桃色の唇に自らのそれを重ねる。 啄ばむような優しい口付けを繰り返し。 「思いの強さは時に奇跡を起こす力となる・・・。神子、お前だけが私に力をくれる存在だ。私はなんと愚かなのか。それに気づくまで神子を傷つけてしまった・・・。神子、私に力を与えてくれ。お前が私のすべて。私の光。私が私であるための源だ・・・。」 泰明はあかねの身体を抱きしめる手に力を入れた。 夏の薄い衣があかねの華奢な身体を感じさせる。 薔薇の移り香が泰明の鼻腔をくすぐる。 夏の衣は薄いけれど、その身も心もずっと近くに感じられる。 自分のすべてをあかねに。 あかねのすべてを自分に。 泰明は今まで以上にあかねを近くに感じた。 FIN 2002.6.16 ああ〜〜〜苦しかった。 なんとかかきあげました。 加筆修正をすればするほど書き込みたくなる作品でした。 恋愛とはきれいで甘やかなだけのものとは思っていないみるみる、やすあか大推奨なんだけど、やはりそれなりに二人には恋愛の試練を課したいと思っていました。 それぞれ二人に自分の心の醜い部分を相手に認めてもらう、というのが今回のテーマでして、じゃあ泰明に浮気させちゃおうvなどと軽く考えてたのがマズかった。(泣) 浮気しないんだもん<泰明 でもまあ、あかねちゃんが比丘尼に嫉妬してもらわないとこのお話は成立しないので、なんとか嫉妬していただくことができました。 泰明サイドは陰陽師としての力を渇望する泰明、なんてのにしてみましたが泰明っぽくないかも。 でもいつまでも晴明の弟子、と呼ばれているのって泰明さんが認められてないみたいで寂しいじゃあありませんか☆ 男なら父親を超えたい、という欲があるように、泰明にだって晴明を越える陰陽師になりたいと思ってもらってもいいような気がしたんですよぅ(汗) なんだか今回の泰明はやたら饒舌(?)で泰明らしくなくてすみません><;; でも最後はラブラブになった・・・よね・・・? 戻る |