ひとしれずこそ・・・3 左大臣家の宇治の別邸の祓いと、結界を張る仕事を終えるころ、雪がしんしんと降りだしていた。 泰明は藤姫に仕事の終了を告げ、辞すると厩へと向かった。 するとあかねが駆けてきた。 「神子。」 泰明はあかねを見た。 あかねは泰明の側に駆け寄ると、肩で息をしながら、呼吸を整えるべく大きく深呼吸をした。 「神子、年が明けたら・・・。年が明けるのを待っていてくれないか。」 泰明はあかねが何か言うよりも早く言った。 あかねの言葉を封ずるように言葉を紡ぐ。 「年が明けたら会おう、神子。必ず会いに行くから。」 あかねは不思議そうに泰明を見上げた。 「そのときはお前の声を聞かせてくれ。」 泰明はそれだけ言うと、あかねの言葉を待たずに馬上の人となった。 「泰明さん!?」 泰明はあかねに微笑んだ。 それはとても優しい微笑。 泰明は手綱をひき、馬を嘶かせた。 そしてそのまま馬の頭を京に向ける。 そして馬のわき腹を蹴ると走り出していった。 「泰明さん!待ってるから!私待ってるから!」 あかねは馬を駆って遠くなる泰明の背に向かって言った。 「待ってるから・・・。」 あかねは雪の降る中、遠くなる馬の影に向かって呟いた。 宇治からあかねたちが帰京すると、追儺の準備で忙しかった。 一年の穢れを祓い、来る新年に向けて清めを行う。 いつの時代も変わらぬ、年末年始の忙しさである。 そして新年を迎えれば。 これがまたとてつもなく忙しいのである。 帝の覚えもめでたい龍神の神子であれば、今上帝から賀歌は届けられるし、京の主要な貴族や宮などからも届けられる。会ったことなどない人々から届けられる賀歌は女房達が返歌してしのぐが、さすがに今上帝はそうはいかない。 失礼のないように、それでいて言祝ぐ歌を作るというのは実に難しい。 また返歌が遅れても失礼にあたるのであるから。 そんな東北の対の喧騒とは裏腹に、母屋では今上帝に新年の挨拶をすませて戻ってきた左大臣が多くの中流貴族らからの新年の挨拶を受けていた。 多くの人間が出入りする中、呪いの施された泰明の存在は異質である。 多くの者が気味悪そうに、あるいは興味深そうに泰明を見た。 それでも泰明は左大臣に新年の挨拶を述べる訪問客らの列に連なることもせず、ただ庭に降り立ち、冬枯れの藤の木を見つめていた。 夏になれば匂いやかな美しい薄紫の花房を垂らす藤。 いつか自分が藤を好きだといったことを思い出していた。 いつから藤を好ましいと思ったのかよく覚えてはいない。 藤は藤原家の象徴。 師である安部晴明が守護する一流貴族。 この京の政界における重要な一族だから晴明が左大臣と懇意にしているわけではない、ということにいつから気が付いたのだろう。 晴明に連れられてこの邸を何度訪れたであろうか。 容姿の異質な泰明を何も言わず、晴明の弟子として認めてくれたのは他ならぬ左大臣であった。 人を思いやる心があってこその大貴族藤原氏。 人心の離れた政治家であれば晴明はあっさりと藤原氏との縁を切るであろう。 泰明が藤が好ましいと思ったのはそんな一人の人間を思いやることの出来る左大臣に敬意を感じたからではなかろうか? 今、心から思うこと。 その左大臣が大切にしている真白の藤が欲しかった。 薄紫の藤の咲く左大臣家にただひとつある神の宿る白藤。 神気に溢れ、それでいて華やかに、自分にその細い腕を伸ばすかのように垂れる白藤に憧れ、敬愛してやまない。 ところどころ降り積もる雪を踏みしめ、泰明は東北の対を見遣った。 ーー神子・・・。 「待たせたね、泰明殿。」 何時の間にか人はほとんどいなくなり、短い冬の日は終わろうとして夕闇が迫っていた。 高欄に手をかけて左大臣その人が泰明を呼んだ。 泰明はさっとその場で膝をついた。 「もっと近こう、それでは話も出来ぬ。」 左大臣は優雅に笑った。 泰明は左大臣の言葉どおり、左大臣の立つ高欄のすぐ下まで移動し、改めてそこで膝をついた。 「先日は宇治の別邸の祓いをよくやってくれたね。礼をいうよ、ありがとう。」 左大臣は穏やかに告げた。 「まさかそなたが自ら志願してくるとは思わなかったのだがね。」 左大臣がくすくすと笑った。 宇治の別邸を建てる際、左大臣は安部晴明に相談をした。 晴明はそれでは方位や吉日を占いますからと述べ、後日左大臣家に訪れたのは晴明の最後にして最強の弟子、泰明であった。 話をすれば泰明が今回の件について占い、祓いなどすべて行うという。 珍しいこともあるものだと左大臣はそのときは思ったが、すぐに思い当たった。 「褒美がまだだったね、泰明殿。」 左大臣の言葉に泰明はぴくりと反応を示した。 いつも陰陽寮で見かける泰明は心を閉ざし、冷たい人形のようであった。 晴明と劣らぬ凄まじいまでの陰陽師としての力が、周囲に嫉妬を呼び起こし、泰明の心を凍りつかせていた。 そんな泰明を左大臣はかつての晴明の姿と重ねていた。 身のうちに宿る大きすぎるほどの陰陽の力におびえ、苦しんでいた若かりし頃の晴明に。 力があることがいけないことであろうか? そうではない。 それは力のないものの嫉妬だ。 力のないものがいかにも力があるような素振りでいることのほうがよほど罪である。 左大臣は泰明が心配であったし、晴明と同様に泰明を大切にしていくつもりであった。 泰明の望みもわかっていた。 泰明が藤に捉われることを拒むのであれば、龍神の神子を攫って京を出奔してもよいと思う。 だが泰明はこうして左大臣家に訪れた。 泰明が筋を通すというのであれば、左大臣もそれに従うつもりである。 「この邸にあるものであればなんでもよい、そなたにくれてやろう。」 泰明はゆっくりと顔を上げた。 視線は東北の対へとまっすぐに注がれる。 「左大臣様の新しく植えられた白藤一房を頂きたい。」 泰明は答えた。 泰明の肩が震える。 泰明の望みは本来であれば叶えられない、身に過ぎた望みであった。 従七位の陰陽師風情が、養女とはいえ今上帝の覚えもある左大臣家の姫を望むことは本来許されるべきではない。 「そうか、私の自慢の白藤か。」 左大臣はゆっくりと反芻するように答えた。 「藤の季節になったならばそなたを藤の宴にお招きしようぞ。その折にでも好きな藤の花を手折るがよい。」 泰明は左大臣の顔を見上げた。 穏やかに微笑む左大臣を泰明は一瞬まじまじとみて、そして深く頭を垂れた。 それはまぎれもないあかねとの結婚の許しである。 「ありがとうございます。」 泰明は震える声で答えた。 「そなたを待っているのではないかな?早く顔を見せてやりなさい。」 左大臣は泰明にそういうとそのまま御簾内へと姿を消した。 泰明は左大臣が下がったのを確認すると、そのままあかねの待つ東北の対へと走った。 庭を横切れば東北の対はそんなに遠くない。 東北の対まで来て泰明は階に手をかけた。 そのとき御簾がぱらりとめくれ、紅梅の襲ねも鮮やかな衣が見えたかと思うと、ひょっこりとあかねが顔を出したのである。 「神子?!」 驚いたのは泰明のほうであった。 会いたいと思えばまるで知っていたかのようにこうして顔を出したのであるから。 いや、それよりも夕暮れとはいえ、まだ邸内に客人の残る邸である。 あかねの姿が他の公達に見られれるのでは、と思うと泰明は階をすばやく駆け上り、あかねの二の腕を捕らえると御簾の内へ引っ張り込んだ。 「や、やすあきさんっ!」 いきなりの泰明の行動にあかねは戸惑った。 「今日は客人が多い。外に出るな、神子。」 泰明は自然厳しい顔つきになってあかねを叱った。 あかねはうっとなって、上目遣いに泰明を見上げた。 ただ、なぜか自分が呼ばれた気がしてあかねは御簾をくぐって外へと出たのである。 まさか御簾をくぐったらそこには泰明がいる、とは考えてもいなかったのであかねもとても驚いた。 でも怒られても、呆れられても。 泰明の姿を見れたことが嬉しかった。 泰明があかねの住まう東北の対にいるということは、間違いなく泰明があかねに会いにきたということ。 「やすあきさん・・・。」 あかねの瞳から涙がこぼれた。 あかねの涙に泰明は驚いた。 自分はそんなにもきつくあかねを叱ったのだろうかと。 「神子・・・。」 「ごめんなさい、泰明さん。違うの。嬉しいの。泰明さんが来てくれたことが・・・。」 あかねは袖口でそっと涙を拭った。 泰明はあかねを掻き抱いた。 「神子は私のものだ。誰の目にも触れさせぬ。私だけのものだ。」 あかねを抱きしめながら泰明は呟くように言う。 それを聞いたあかねは真っ赤になった。 今まで恋人と思っていた人からこんな熱烈な告白を受けるとは思っていなかったから。 「や、やすあきさん・・・?」 すっと泰明の腕の力が緩んだかと思うと、泰明の指があかねの顎を捉えた。 近づく泰明の唇にあかねは驚き、そして。 きゅっと心がしなるような感じがしたかと思うと、全身が心臓になったかのように脈打つ。 何度も重ねたはずの口付けが、いつも以上に熱っぽく感じられる。 顎にかけられた泰明の指に力が入ると、あかねはわずかに唇を開いた。 その隙間を泰明の唇が侵入してくる。 「ううんっ!」 あかねは驚いて一瞬身体を硬くし、泰明の腕から逃れようともがいた。 けれどそれは一瞬のできごとで、次の瞬間にはとろけるような、甘い感覚に襲われる。 「うんっ・・・!」 舌を吸い上げられ、絡ませられてあかねは次第に頭がぼうっとなって、立っていられなくなる。 泰明の腕があかねの腰を支えていなければその場でくず折れてしまうほど、甘い官能があかねの四肢の自由を奪った。 「神子。」 ようやく唇を解放されて、目の端を紅く染めてとろんとした瞳を泰明に向けた。 「先ほど左大臣様より神子との結婚の承諾を頂いた。」 あかねはその言葉の意味がよくわからなくて、ぼんやりと泰明を見つめ返した。 「あとはお前の返事だけだ。」 何をいわれているのかわからないまま、あかねは泰明の腕が緩んだために床にへたりこんだ。 泰明は懐から淡香色の薄様を取り出し、あかねの手に握らせた。 「お前の返事を聞かせてくれ。」 あかねはまだぼんやりした頭で、握らされた文を見た。 震える指で文を開く。 そして。 顔をあげればすでに泰明はもういなかった。 あらたまの 年立ち返る 朝(あした)より 待たるる物は うぐひすの声 2002.1.18 ★あとがき すみませぬ〜〜〜><;;長くなった!何故にこんなに長くなったのよ? いらないシーンが多過ぎだってば、自分! 本当に書きたかったのは左大臣と泰明のやりとりだけなのよぅ(涙) というわけで、これが「初藤」へと繋がるわけです、はい。 サイトをオープンしたときから新年ネタはこれを書くつもりでいたのに、こんなに遅くなってしまいました。 すっかり新年という雰囲気じゃなくなってしまいました・・・。反省! もどる |