ひとしれずこそ・・・1




「泰明さん?」

あかねは泰明の顔を覗き込んだ。
泰明ははっとして顔をあげた。

「どうかしたんですか?」

あかねは心配そうに泰明の視界いっぱいになるほど顔を寄せる。

「いや・・・、なんでもない。」

泰明はすっと視線をそらした。

霜月のおわり。
京には雪が降り積もり、銀世界を作り上げる。
そう、もうすぐ師走となる。
あかねがこの京に召還されて9ヶ月が経とうとしている。
最近の泰明は年末ということもあって、仕事に忙殺される毎日である。
今日も、左大臣からの仕事の依頼で泰明は土御門に訪れたのであって、あかねに会いにきたわけではないのだ。
左大臣に急用が入り、左大臣が帰ってくるまであかねが泰明の相手をするように、との言伝でこうして二人、向かい合っているというわけである。
久しぶりに会えたというのに、泰明は気もそぞろ、といった風情であかねとろくに話もしない。
あかねは泰明の様子に不安を覚えた。
いつもは真剣すぎるほど、まっすぐに目を見て話をする泰明である。
あかねが質問すれば泰明はきちんと答えるし、、何よりこんな風にあかねとともにいて、居心地の悪そうな態度をとるなんてないのである。

視線をそらした泰明をあかねはじっと見つめた。
その顔には呪いがいまだ施されている。否自分で施している。
理由はこのほうが仕事をしやすいということであるが、呪いの施されていてもなお、その秀麗な美貌は人の目に多くとまる。
泰明の呪いのかかった顔が自分を拒否しているようにあかねには感じられた。
世間一般では恋人同士といえど、何かを約束したわけでもなにもない。
ましてこの時代であれば家同士のつながりの為の結婚もまま、あるわけで恋人同士だからといって一緒になれるというものではないのだ。
あかねは泰明が口を開くのを待った。
『何かあったのですか?』
こう聞けばいいのであるが、その先にある答えをもう、今日は何度も聞かされてしまったから。
あかねと泰明の間に重い沈黙が流れる。

重い沈黙を破ったのは泰明だった。

「神子、私はーー・・・。」

泰明が言いかけたときだった。
衣擦れの音も優雅に、女房が現れて、

「殿のおなりにございます。」

と告げた。
女房が言うが早いか、左大臣が現れ、あかねは慌てて扇で顔を隠した。
いくら恋人同士と世間が認めていても、男性にこのように顔をさらして会うのは非常識なので、左大臣に注意されるからである。
もちろん、左大臣もあかねがいまひとつこの京での常識になじめないでいることはわかっていたし、泰明がそのようなことにこだわる人間でないことも重々承知しているので、苦笑しただけで何も咎めたりはしなかった。

「遅れて申し訳ないね、泰明殿。」

女房がしつらえた上座の席に悠然と座ると、左大臣はにこやかに微笑んだ。

「神子殿、あなたはもう下がりなさい。私の変わりに泰明殿のお相手を務めてくれてありがとう。」

左大臣はそう言ってあかねに出て行くようにやんわりと促した。
あかねは先ほど泰明が言いかけた言葉が気になって、立ち上がりつつもそっと泰明に視線を送る。
しかし泰明はそのまま左大臣に平伏している。
だから泰明が何を言いたかったのかあかねにはまるでわからない。
どうして泰明が居心地悪そうにしていたのか?
あかねは女房らに促されるまま、袴の裾を蹴さばき部屋をあとにする。
そしてもう一度だけ泰明のほうへ振り返った。
しかしあかねが見たものは、泰明の呪いの施された怜悧な厳しい表情であった。


あかねが部屋に戻ると部屋には藤姫が待っていた。

「お帰りなさませ・・・神子様!泰明殿と何かあったのでございますか?!」

あかねに与えられている東北の対では、藤姫があかねが戻ってくるのを待っていた。
父、左大臣が帰宅するまで来訪した泰明のもてなしをしに行った、と藤姫は女房から聞かされていた。
だから、あかねがご機嫌に戻ってくると信じて疑わなかったから、あかねの困ったような、泣き出しそうな表情に藤姫は驚いたのである。

「あ、藤姫・・・。ううん、なんでもないよ・・・。」

あかねは力なく首を振った。

「なんでもないはずはないでですわっ!神子様!泰明殿は何か神子様を傷つけるようなことでもおっしゃったのですか?!」

藤姫は力なく座り込むあかねの肩を抱いて、小さな唇を震わせた。
姉とも敬愛するあかねを傷つけるものは、たとえあかねの恋人としての地位を確立した泰明でも許しがたいようである。

「藤姫、本当になんでもないの。ただ、ちょっと泰明さんの様子がおかしかっただけ・・・。」

あかねは激昂する藤姫を取り成すように言った。
可愛い妹とも思う藤姫が、自分の愛する人を怒るのはあまり気持ちのいいものではない。
あかねは藤姫を必死で宥めた。

「本当になんでもないの。きっと泰明さん疲れてたのよ。」

疲れを滅多なことで表面に出さない泰明なので、こんな言い訳が通用するとはあかねにはとても思えなかったけれど。
今は藤姫にそれで納得してもらうしかなかった。
このまま泰明が藤姫の不興を買えば、泰明はあかねの部屋に出入り禁止にされかねない。
もちろん、今後泰明があかねのもとに訪れるつもりがあればの話であるが。

「神子様・・・。」

藤姫は驚いたようにあかねの顔をまじまじと見返した。
泰明に傷つけられたであろうはずなのに、あかねはあくまで泰明を庇う側に立っている。
恋をしらない藤姫は初めて会ったときよりも、ぐんと女らしくなったあかねを見つめた。
恋とはなんと不思議なものであろうか。
傷つけられても、それでもなお泰明の立場を守ろうとするあかねが、ひどく遠い存在のように藤姫には感じられた。

「大丈夫だから。ね?」

かなり無理してつくったであろう、あかねの微笑みに藤姫はそれ以上何も言えなかった。
あかねは女房を呼ぶと、双六を準備させた。
年より大人びた少女とひと時を楽しむ為に。
それから・・・。
それから泰明のことは考えようと思った。



「宇治?」

あかねは御簾越しに友雅に尋ねた。
友雅は優雅に庇の間に座し、女房らに囲まれて右から左から酒を注がれている。
相変わらずつかみどころのない、如才ない微笑を女房らに向けながらも、友雅はあかねに向かって軽くウインクをした。

「先日、こちらの左大臣様の別邸が出来上がってね。椿が見事だということで、藤姫が先ほど左大臣様のお許しを得てお出かけになることが決まったのだよ。で、私が供に頼まれたというわけでね。というわけで、藤姫からのご伝言で、藤姫と一緒に宇治へ行かないかい?姫君。」

あかねはうーんと考えた。
勘違いでなければ藤姫の初の外出ではなかろうか。
そう思うと、藤姫を妹とも思っているあかねはにわかについていきたくなった。
あの日以来、泰明の訪れはない。
文もない。
あかねは泰明が今日来るか、明日は文でも遣すかと、心待ちにしていて邸すらここ最近は抜け出せずにいる。
だから宇治へ出かけるのは少々躊躇われた。
自分が土御門にいない間に泰明が来たらあまりにも残念だからだ。

「泰明殿が心配かい?」

友雅のからかうような声にあかねはぱっと頬を染めた。
御簾越しであるから頬を染めたことなど、友雅にはわからないであろうが、それでもあかねは恥ずかしくてあかねは思わず手にしていた扇で顔を隠してしまった。
思っていたことをそのままずばり口にされるのは恥ずかしいものである。

「まあ、少将様。神子様になんておっしゃりようですの?藤姫様にお叱りを受けるのは私達ですのに。」

と女房の言葉で遊ぶような声を聞けば、あかねはさらに恥ずかしくて、ますます肩を小さくすぼめる。

「おやおや、私よりも君達のほうが姫君を困らせているようだよ?姫君、大丈夫ですよ。土御門の女房らは優秀な方々が揃っていらっしゃる。もちろん姫君に負けず劣らずの美女ぶりもね?姫の恋しい方の来訪や文を貴女にお伝えしないものはいませんよ。ね?そうだろう?君達。」

友雅はにこやかに女房らに微笑みかけた。
とたん女房らが黄色い声をあげる。

ーーあいかわらずだなあ、友雅さんは。

あかねは女房らのきゃあきゃあいう声を、半分あきれ、半分感心しながら思考をめぐらせた。
そう。
ここの土御門の女房らは友雅の言うように優秀なのだ。
このように友雅にはりついて黄色い声をあげていようとも、仕事となればきっちりこなし、主君の動きをいち早く察知して動くことの出来る、機微に富んだ女房らである。
あかねが不在中に泰明から連絡があれば必ず宇治のほうまで連絡を遣してくれるだろう。
何かあれば宇治はそんなに遠くない。
いつでも京に戻れるのだし。

「わかりました、友雅さん。私も宇治へ連れて行ってくださいね。」

あかねの言葉に友雅はくすりと微笑んだ。

「姫君のお望みであればたとえ地獄の果てでもお供いたしますよ?」

「もう、友雅さんったら!」

あかねはくすくすと微笑んだ。
少し京を離れて気分を変えるのもいいかもしれない。
きっといつも泰明を想ってばかりで、泰明にいらない負担をかけていたのかもしれない。
相手を想うあまり、相手に負担を強いるのはままあること。
もしかしたら泰明を束縛しすぎたのかもしれない。
だから。
思考を少し泰明から離れるのもいいかもしれないと考える。
あかねは宇治へ行くのが楽しみになった。








泰明は髪をいつものように片側で角髪(みずら)に結った。
昨夜書いた符を丁寧に懐に閉まう。

「泰明様」

簀子縁から式神が声をかけた。

「わかった。今行く。」

泰明は首飾りを手にとり、首にかけた。
そしてそのまま部屋を出る。
廊を歩いていると不意に晴明に呼び止められた。

「泰明、すでにあちらの新宅には左大臣様の客人もおる。失礼のないようにな。」

晴明の言葉に泰明はわずかに眉宇を顰めた。
せめて新宅の祓いが終わるまで客人を招くのを、なぜ左大臣が待てないのか不審に思って。
泰明の表情に晴明はやれやれといったように、扇を広げて口元を隠して苦笑した。

「左大臣様がお世話されている方が最近元気がないそうでね、丁度椿も見頃ということもあって、お招きになったのだそうだよ?お心を病んでいる方がおられるのだ。だから失礼のないようにな、泰明。」

「祓いを行うだけだ。問題ない。」

泰明はそのまま晴明をあしらうと、厩へと向かった。







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