79 鳴く声は まだ聞かねども 蝉の羽の
       薄き衣は たちぞ着てける
                          大中臣能宣
蝉の鳴く声はまだ聞かないけれども、衣更えの今日、その羽音のように薄い夏の衣は裁ち縫って着たことだ。
80 我が宿の 垣根や春を 隔つらん
        夏来にけりと 見ゆる卯の花
                              順
我が家の垣根は春を隔ててしまったのだろうか。夏がやって来たと見えるような、一面の卯の花だよ。
81 花の色に 染めし袂の 惜しければ
        衣かへうき 今日(けふ)にもある哉
                           源 重之
春の花の形見として桜色に染めた袂が惜しいので、衣更えをしたくない今日であることだ。
82 花散ると 厭ひし物を 夏衣
       たつや遅きと 風を待つ哉
                          盛明の親王
花が散るといって嫌ったものなのに、衣更えの今日になって、夏の衣を裁ち着たとたんに、吹くのが遅いと、涼しい風を待つことだ。
83 夏にこそ 咲きかゝりけれ 藤の花
       松にとのみも 思ひける哉
                            重 之
なんとまあ、春から夏にかけて咲きかかるものだったよ、藤の花は。松に咲きかかるものとばかり、思っていたのだが。
84 住吉の 岸の藤浪 我が宿の
       松の梢に 色はまさらじ
                          平 兼盛
あの名高い住吉の岸の藤の花も、私の家の松の梢にかかる藤の花に比べて、色が勝ることはあるまい。
85 紫の 藤咲く松の 梢には
     もとの緑も 見えずぞありける
                             順
紫色の藤の花が群がり咲く松の梢は花にすっかり覆われてしまって、本来の松の緑色が見えないでいることだ。
86 薄く濃く 乱れて咲ける 藤花(ふぢのはな)
       ひとしき色は あらじとぞ思(おもふ)
                        小野宮太政大臣
薄く濃く、色とりどりに乱れて咲いている、この内裏の見事な藤の花に匹敵するような色の花は、外にはどこもあるまいと思う。
87 手もふれで 惜しむかひなく 藤花
         底にうつれば 浪ぞ折りける
                            躬 恒
手も触れないで惜しんだ甲斐もなく、藤の花の影が水底に映ると、波が折ってしまったことだ。
88 たこの浦の 底さへにほふ 藤浪を
         かざして行かん 見ぬ人のため
                           柿本人麻呂
たこの浦の水底まで照り映えるような、この色美しい藤の花を、手折って髪に挿していこう、まだ見ていない人のために。
89 卯花(うのはな)を 散りにし梅(むめ)に まがへてや
             夏の垣根に 鶯の鳴く
                            平 公誠
卯の花をもう散ってしまった梅の花に見まがえてなのか、夏の垣根に季節外れの鶯が鳴いていることだ。
90 卯の花の 咲ける垣根は 陸奥の
        籬(まがき)の島の 浪かとぞ思ふ
                          よみ人知らず
卯の花が咲いている垣根は、陸奥の籬の島の波かといわんばかりに見える。
91 神まつる 卯月に咲ける 卯花は
        白くもきねが しらげたる哉
                           躬 恒
神事が行われる四月に咲いている卯の花は、巫女が搗く饌米のように、精白してあることだ。
92 神まつる 宿の卯花(うのはな) 白妙の
        御幣(みてぐら)かとぞ あやまたれける
                           貫 之
神をまつる家の卯の花は真白い御幣かと見間違えてしまったことだ。
93 山がつの 垣根に咲ける 卯花(うのはな)は
        誰が白妙の 衣かけしぞ
                         よみ人しらず
山人の垣根に裂いている卯の花は、いったい誰が白栲(しろたえ)の衣服をかけたのか。
94 時分かず 降れる雪かと 見るまでに
        垣根もたわに 咲ける卯花
時節の区別もなく、降っている雪かと見るほどまで、垣根も垂れ下がらんばかりに、咲き満ちている卯の花だ。
95 春かけて 聞かむともこそ 思ひしか
        山郭項(やまほととぎす) 遅く鳴くらん
春のうちから心にかけて聞こうと思って熱心に思っていたのに、どうして夏になっても山時鳥は遅く鳴くのだろう。
96 初声の 聞かまほしさに 郭公(ほととぎす)
       夜深く目をも さましつる哉
初声が聞きたいばかりに、時鳥よ、まだ夜が明けない時分から、目を覚ましてしまったことだ。
97 家に来て 何を語らむ あしひきの
        山郭公(やまほととぎす) 一声もがな
                         久米広縄
家に帰ってきて何を土産話に語ろうか。山時鳥よ、一声でもよいから鳴いておくれ。
98 山里に 知る人も哉(がな) 郭公(ほととぎす)
      鳴きぬと聞かば 告げに来るがに
                           貫 之
山里に知人でもいればよいのだが。時鳥が鳴いたと聞けばすぐに告げに来てくれるように。
99 山里に やどらざりせば 郭公(ほととぎす)
       聞く人もなき 音をや鳴かまし
                         よみ人知らず
もし私が山里に宿らなかったならば、時鳥は誰も聞く人もない鳴き声を立てることになっただろうな。
100 髣髴(ほのか)にぞ 鳴渡(なきわたる)なる 郭公(ほととぎす)
             山を出づる 今朝の初声
                          坂上望城
かすかな声で鳴き続けているようだ。時鳥の山から出てきて鳴く、今朝の初声のすばらしさよ。
101 み山出(い)でて 夜半(は)には来つる 郭公(ほととぎす)
             暁かけて 声の聞(きこ)ゆる
                          平 兼盛
山を出て夜中にやってきたのだろうか、時鳥は暁方にわたって、鳴き声が聞こえてくる。
102 宮こ人 寝で待つらめや 郭公(ほととぎす)
      今ぞ山辺を 鳴きて出(い)づなる
                         右大将道綱母
都の人はまだ寝ないで待っていることだろうか。時鳥は今まさに山辺を鳴きながら出て行くところのようだ。
103 山がつと 人はいへども 郭公(ほととぎす)
        待つ初声は 我のみぞ聞く
                         坂上是則
山人といって、都の人は蔑むけれども、時鳥の、皆が待ちわびる初声は私だけが聞くのだよ。
104 さ夜更けて 寝覚めざりせば 郭公(ほととぎす)
          人づてにこそ 聞くべかりけれ
                         壬生忠見
もし夜が更けて寝覚めることがなかったならば、時鳥の鳴き声は人を通じて噂で聞くだけになってしまうところだった。
105 二声と 聞くとはなしに 郭公(ほととぎす)
      夜深く目をも さましつる哉(かな)
                          伊 勢
一声聞いただけでさらにまた二声を聞くこともなくて、時鳥よ、夜がまだ明けきらぬ時分から、目を覚ましてしまったことだ。
106 行(ゆき)やらで 山地(やまぢ)暮らしつ 郭公(ほととぎす)
            今一声の 聞かまほしさに
                        源公忠朝臣
そのまま先に行くことができないで、山道で日を暮らしてしまった。時鳥のもう一声が聞きたいばかりに。
107 この里に いかなる人か 家居(いへゐ)して
        山郭公(やまほととぎす) たえず聞くらむ
                          貫 之
この山里にいったいどのような人が家住まいして、山時鳥の鳴く声を、いつも聞いているのだろうか。
108 五月雨は 近くなるらし 淀河の
        菖蒲(あやめ)の草も みくさ生ひにけり
                          よみ人知らず
五月雨の時期が近づいてきたらしい。淀川の菖蒲のもとにも水草が生い茂って、夏もようやく深くなったようだから。
109 昨日まで よそに思(おもひ)し 菖蒲(あやめ)草
        今日(けふ)我が宿の つまと見る哉
                           大中臣能宣
昨日までは関わりがないと思っていた菖蒲草を、今日五月五日、我が家の軒の端(つま)ならぬ妻を見ることだ。
110 今日(けふ)見れば 玉の台(うてな)も なかりけり
              菖蒲の草の 庵(いほり)のみして
                          よみ人知らず
今日五月五日、あたりを見渡せば、玉の台もないことだ。どの家も菖蒲を軒端に葺き、草の庵ばかりであって。
111 葦引きの 山郭公(やまほととぎす) 今日とてや
        菖蒲(あやめ)の草の ねにたてて鳴く
                          延喜御製
山時鳥は今日が五月五日ということからか、菖蒲草の根にあやかって、音(ね)を立てて声高く鳴くことだ。
112 誰が袖に 思(おもひ)よそへて 郭公(ほととぎす)
        花橘(はなたちばな)の 枝に鳴くらん
                          よみ人知らず
いったい誰の袖かと思いなぞらえて、時鳥は花橘の枝に鳴いているのであろうか。
113 いづ方に 鳴きて行(ゆ)くらむ 郭公(ほととぎす)
        淀の渡りの まだ夜深(よぶか)きに
                           壬生忠見
いったいどちらの方角に向かって鳴いて行くのだろうか、時鳥は。淀の渡し場の辺りは、まだ夜が明けはててないのに。
114 しけるごと 真子菰(まこも)の生(お)ふる 淀野には
        つゆの宿りを 人ぞかりける
薦(こも)を敷いたように、真菰の生い茂る淀野では、夜殿として、はかない一夜の宿を人が狩りならぬ、借りることだ。
115 かの方に はや漕ぎ寄せよ 郭公(ほととぎす)
        道に鳴きつと 人にかたらん
                           貫 之
向こう岸に舟を早く漕ぎ寄せておくれ。時鳥が道端で鳴いていた、と人に語り知らせようと思うから。
116 郭公(ほととぎす) をちかへり鳴け うなひ子が
             うちたれ髪の 五月雨の空
                           躬 恒
時鳥よ、繰り返し鳴け。童児の垂らし髪の乱れているように、五月雨の降る空に。
117 鳴けや鳴け 高田の山の 郭公(ほととぎす)
         この五月雨に 声な惜しみそ
                          よみ人知らず
声高く、鳴けよ鳴け、高田の山の時鳥よ、このように降る五月雨に声を惜しむな。
118 五月雨は 寝(い)こそ寝られぬ 郭公(ほととぎす)
        夜深く鳴かむ 声を松とて
五月雨の夜はよく寝られない。時鳥が夜がまだ明けやらぬ頃に鳴こうとする声を待つということで。
119 うたて人 思はむ物を 郭公(ほととぎす)
       夜しもなどか 我が宿に鳴く
ああいやだ、と人が思うであろうに。時鳥よ、夜に限ってどうして私の家で鳴くのか。
120 郭公(ほととぎす) いたくな鳴きそ ひとり居て
             寝(い)の寝られぬ間に 聞けば苦しも
                         大伴坂上郎女
時鳥よ、あまりひどく鳴くな。独りで居て、寝ようとしても寝られないのに、鳴き声を聞けばつらくてたまらないから。
121 夏の夜の 心を知れる 郭公(ほととぎす)
        はやも鳴かなん 明けもこそすれ
                           中 務
夏の夜は短いという事情を知っているはずの時鳥よ、少しでも早く鳴いて欲しい。夜が明けるといけないから。
122 夏の夜は 浦島の子が 箱なれや
        はかなくあけて くやしかるらん
夏の夜は、あの浦島の子の玉手箱なのだろうか、あっけなく明けて残念に思う思うことだろう。
123 夏来れば 深草山の 郭公(ほととぎす)
        鳴く声しげく なりまさるなり
                        よみ人知らず
夏がやって来ると、深草山の時鳥の鳴く声が、草深いという名のように、一段と繁くなったことだ。
124 五月闇 倉橋山の 郭公(ほととぎす)
       おぼつかなくも 鳴き渡る哉(かな)
                        藤原実方朝臣
五月闇の倉橋山の時鳥は、その暗いという名のように、はっきりとしない声で鳴き続けることだ。
125 郭公(ほととぎす) 鳴くや五月の 短夜(みじかよ)も
             ひとり寝ぬれば 明かしかねつも
                         よみ人知らず
時鳥が鳴く五月の短夜も、独り寝していると、なかなか明かしづらいことだ。
126 郭公(ほととぎす) 松につけてや ともしする
             人も山辺に 夜を明かすらん
                           源 順
時鳥が鳴くのを待つということで、照射する人も、山辺で夜を明かすのだろうか。
127 五月山 木(「こ)の下闇に ともす火は
       鹿の立ちどの しるべなりけり
                           貫 之
五月の山の木の下の暗がりに点す照射の火は、鹿が立っている場所を知らせるものであった。
128 あやしくも 鹿の立ちどの 見えぬ哉(かな)
        小倉の山に 我や来ぬらん
                          平 兼盛
不思議なことに、鹿の立っている場所が見えないことだ。小暗いという名を持つ小倉山に、私は来たのだろうか。
129 行末(ゆくすゑ)は まだ遠けれど 夏山の
             木の下蔭ぞ 立ちうかりける
                          躬 恒
これから行く先はまだ暗いけれども、夏山の木の下の蔭は、立ち去るのがなかなかつらいことだ。
130 夏山の 影をしげみや たまほこの
       道行く人も 立ちどまるらん
                           貫 之
夏山の木蔭がよく生い茂っているので、道を行く人も涼もうとして立ち止まるのだろうか。
131 松影の 岩井の水を むすび上げて
       夏なき年と 思(おもひ)ける哉
                           恵慶法師
松の木蔭にある岩井の清水を掬い上げて、あまりの冷たさに、今年は夏のない年と思ったことだ。
132 いづこにも 咲きはすらめど 我が宿の
         山と撫子(なでしこ) 誰に見せまし
                           伊 勢
どこにも咲きはするものか知れないが、この素晴らしい我が家の大和撫子をあなた以外の誰に見せようか。
133 底清み 流るゝ河の さやかにも
       はらふることを 神は聞か南(なん)
                          よみ人知らず
水底が清らかなので、流れる川が澄み切っているように、清浄な心で祓いをして祈願したことを、神もどうか聞き入れて欲しい。
134 さばへなす 荒ぶる神も をしなべて
         今日(けふ)はなごしの 祓なりけり
                           藤原長能
五月の蠅のように、騒がしく荒々しい国つ神も、皆一様に穏やかになることを願って、今日六月の晦日は辺り一帯に夏越の祓をする日だったよ。
135 紅葉せば あかくなりなん 小倉山
        秋待つほどの 名にこそありけれ
                          よみ人知らず
紅葉すれば紅くなり、明るくなってしまうことだろう。あの小暗いという小倉山は、秋がやって来るのを待つ間の時期の名だったのだな。
136 大荒木(おほあらき) の森の下草 しげりあひて
               深くも夏の なりにけるかな
                            忠 岑
大荒木の森の下草が茂りあって、草深くなったように、すっかり夏も深くなったことだ。