拾遺和歌集 巻第一 「春」

1 春立つと いふ許(ばかり)にや 三吉野の
       山もかすみて 今朝は見ゆらん
                          壬生忠岑
立春というだけで、まだ雪に覆われているはずの吉野山も霞んで今朝は見えるのであろうか。
2 春霞 立てるを見れば 荒玉の
     年は山より 超ゆるなりけり
                          紀 文幹
春霞が山に立っているのを見ると、新しい年は山を越えて来るものだということがわかったよ。
3 昨日こそ 年は暮れしか 春霞
       春日の山に はや立ちにけり
                           山辺赤人
昨日年が暮れたばかりなのに、立春の今日、春霞が春日山に早くも立っていることだ。
4 吉野山 峰の白雪 いつ消えて
      今朝は霞の 立(たち)かはるらん
                           源 重之
いったい吉野山の峰の白雪はいつの間に消えて、今朝は霞が立ち替っているのだろうか。
5 あらたまの 年立帰(たちかえる) 朝(あした)より
         待たるゝものは 鶯の声
                            素性法師
新しい年に改まった、その朝からひたすら待たれるものは鶯の初めて鳴く声だよ。
6 氷だに とまらぬ春の 谷風に
      まだうちとけぬ 鶯の声
                             源 順
氷さえも解けてしまいそうな、暖かい春の谷風が吹くというのに、まだ打ち解けて鳴かないでいる鶯の声だ。
7 春立て 朝(あした)の原の 雪見れば
      まだふる年の 心地lこそすれ
                             平 祐挙
立春になっても相変わらず降る朝の原の雪を見ると、いまだに旧年のような気がする
8 春立て 猶降る雪は 梅花(むめのはな)
      咲くほどもなく 散るかとぞ見る
                              躬 恒
立春になってもまだ降る雪は、梅の花が咲く間もなく散るのか、というように見える。
9 我が宿の 梅にならひて み吉野の
        山の雪をも 花とこそ見れ
                             よみ人 しらず
私の家の梅の花を見慣れているので、つい吉野山の雪も花と見てしまうことだ。
10 鶯の 声なかりせば 雪消えぬ
     山里いかで 春を知らまし
                            中納言朝忠
もしも鶯の声が聞こえなかったならば、雪が消え残っている山里では、どうして春の到来を知ろうか。
11 うちきらし 雪は降りつゝ しかすがに
        我が家の園に 鶯ぞ鳴く
                             大伴家持
空一面をかき曇らせて雪が降り続いているが、さすがに春らしく我が家の庭に鶯が鳴いている。
12 梅花(むめのはな) それとも見えず 久方の
              天ぎる雪の なべて降れれば
                             柿本人麻呂 
梅の花はそれ(後述の雪)とも見分けがつかないので。空をかき曇らせて雪が辺り一面に降っているので。
13 梅が枝に 降りかゝりてぞ 白雪の
        花のたよりに 折らるべらなる
                              貫 之
梅の枝に降りかかっているので、この白雪は花を折るついでに一緒に折り取ってしまいそうだ。
14 降る雪に 色はまがひぬ 梅花(むめのはな)
        香にこそ似たる 物なかりけれ
                              躬 恒
降る雪に梅の花の色はまぎれてしまった。だが梅の花の優れた香りに匹敵するものは他にはまったくない。
15 我が宿の 梅の立ち枝や 見えつらん
        思ひの外(ほか)に 君が来ませる
                             平 兼盛
我が家の高く伸びた梅の枝が、見えたのだろうか。思いがけなく、あなたが来られた。
16 香をとめて 誰折らざらん 梅花(むめのはな)
        あやなし霞 立ちな隠しそ
                              躬 恒
香りを探し求めて誰が手折らないことがあろうか。必ず折り取られてしまうのだよ、この梅の花は。だから意味のないことだ。霞よ、前に立ちはだかって、隠すようなことはするな。
17 白妙の 妹が衣に 梅の花
      色をも香をも 分きぞかねつる
                              貫 之
白くて薫香をたきしめた妻の衣と、梅の花と色も香りもどちらのものなのか、なかなか区別できないでいる。
18 明日からは 若菜摘まむと 片岡の
         朝(あした)の原は 今日ぞ焼くめる
                              人 麿
明日からは若菜を摘もうとして、片岡の朝の原は今日は野焼きをしているようだ。
19 野辺見れば 若菜摘みけり むべしこそ
         垣根の草も 春めきにけれ
                              貫 之
野辺を見ると若菜を摘んでいる。なるほど、だから垣根の草もすっかり春めいているのだな。
20 春日野に 多くの年は つみつれど
        老いせぬ物は 若菜なりけり
                             円融院御製
春日野で多くの年若菜をを摘み、また年齢も積み重ねてきたが、いくら摘んでも若返り老いる老いることがないものは若菜だったことだ。
21 春の野に あさる雉(きゞす)の 妻恋に
        己がありかを 人に知れつゝ
                             大伴家持
春の野に餌を探し求めて歩き回る雉が、妻を恋い慕って鳴きたて、自分の居場所を知らせ知らせしている。
22 松の上に 鳴く鶯の 声をこそ
        初ねの日とは いふべかりけれ
松の上に鳴く鶯の声を初子(ね)の日にちなんでまさに初音というべきだったよ。
23 子日(ねのひ)する 野辺に小松の なかりせば
              千世のためしに 何を引かまし
                             忠 岑
もし子の日の遊びをする野辺に根引きする小松がなかったならば、千代の長寿にあやかる例としていったい何を引いたらよいのだろうか。
24 千とせまで 限れる松も 今日よりは
         君に引かれて 万代や経む
                            大中臣能宣
千歳まで寿命が限られている松も、今日からは貴君の寿命にあやかって万代までも生きながらえることになるのだろうか。
25 梅花(むめのはな) まだ散らねども 行く水の
              底にうつれる 影ぞ見えける
                              貫 之
梅の花はまだ散っていないけれども、流れていく水の底に映っている影がもう見えていることだ。
26 摘みたむる ことのかたきは 鶯の
         声する野辺の 若菜なりけり
                            よみ人知らず
摘み集めることが難しいのは、鶯の鳴く声がする野辺の若菜だったよ。
27 梅花(むめのはな) よそながら見む 我妹子が
              とがむ許(ばかり)の 香にもこそ染(し)め
梅の花は離れて遠くから見よう。私の妻が咎め立てするほどの香りが染み付くといけないから。
28 袖垂れて いざ我が園に 鶯の
        木づたひ散らす 梅花(むめのはな)見む。
ゆったりと袖を垂らして、さあ、私の家に行って鶯が枝を飛び伝い歩きしながら散らす庭の梅の花を見よう。
29 朝まだき 起きてぞ見つる 梅花(むめのはな)
        夜の間の風の うしろめたさに
                            兵部卿元良親王
朝早く起きて見たよ、梅の花を。夜の間に吹いていた風に散ったのではないかと心配で。
30 吹(ふく)風を 何厭ひけん 梅花(むめのはな)
          散りくる時ぞ 香はまさりける
                               躬 恒
吹く風を、花を散らすといって、どうして嫌ったのだろうか。梅の花は散ってくる時こそ香りが一段と優るものだとわかったよ。
31 匂(にほひ)をば 風に添ふとも 梅花(むめのはな)
            色さへあやな あだに散らすな
                             大中臣能宣
香りは風に連れ添わせて遠くに遣ってしまっても、梅の花よ、色までも無意味にはかなく散らすな。
32 ともすれば 風のよるにぞ 青柳の
         糸は中ゝ(なかなか) 乱れそめける
                             よみ人しらず
どうかすると風が寄ってきて縒るので、青柳の染め糸はかえって乱れ始めるようだ。
33 近くてぞ 色もまされる 青柳の
       糸はよりてぞ 見るべかりける
                            大中臣能宣  
近くで見てこそ色が一段と映えて見える。青柳の糸は近寄って見るべきだ。
34 青柳の 花田の糸を よりあはせて
      絶えずも鳴くか 鶯の声
                            凡河内躬恒
青柳の縹(はなだ)色の糸を縒り合わせて作った糸の切れにくいように、絶えることなく鳴いている鶯の声よ。
35 花見には 群れて行けども 青柳の
        糸のもとには くる人もなし
                            よみ人しらず
花見には世間の人が群がって行くけれども、青柳の糸のところには、誰一人来る人もいない。
36 咲けば散る 咲かねば恋し 山桜
         思ひ絶えせぬ 花の上哉
                            中 務
花が咲けばいつ散るかと気がかりだし、咲かなければ恋しく思われてたまらない。山桜よ、懸念が絶えることのない花の身の上だよ。
37 吉野山 絶えず霞の たなびくは
      人に知られぬ 花や咲くらん
吉野山に絶えることがなく霞のたなびいているのは、人目にまだ触れていない花が隠れさいているのであろうか。
38 咲き咲かず よそにても見む 山桜
         峰の白雲 立ちな隠しそ
                           よみ人知らず
咲いたか、まだ咲かないか、遠くからでも見ようと思う。だから山桜の花を峰の白雲は隠さないでおくれ。
39 吹風(ふくかぜ)に あらそひかねて あしひきの
             山の桜は ほころびにけり
吹いてくる暖かい風に逆らうことができないで、山の桜は花が開いてしまった。
40 浅緑 野辺の霞は 包めども
     こぼれてにほふ 花桜哉(かな)
草が萌えて浅緑色になっている野原に霞がかかって、花を覆い隠そうとしているが、その霞の間からこぼれ出て、紅の色も美しく咲いている花桜だよ。
41 吉野山 消えせぬ雪と 見えつるは
      峰続き咲く 桜なりけり
                          よみ人知らず
吉野山の消えることのない雪と見えていたのは、よく見たら峰に連なって咲く桜であった。
42 春霞 立ちな隔てそ 花盛り
     見てだに飽かぬ 山の桜を
                          清原元輔
春霞よ、前に立ちはだかって隠すな。どれほど見ていたって決して飽き足りぬことのない山の桜の花を。
43 春は猶 我にて知りぬ 花盛り
      心のどけき 人はあらじな
                          忠 岑
春の人の気分はどのようなものか、やはりわが身を顧みれば理解できる。花盛りには花のことが気がかりで個々のどかでいられる人は誰一人としてあるまいだろうよ。
44 咲きそめて 幾世経ぬらん 桜花
         色をば人に 飽かず見せつゝ
                         藤原千景
咲き始めてからいったいどれほどの世を経ているのであろうか。桜の花は美しい色をいつまでも飽きることなく、人に見せ続けている。
45 春来れば まづぞうち見る いその神
        めづらしげなき 山田なれども
                           忠 見
貼るがやって来ると、まず様子を見る。石上(いそのかみ)に古くからあって別に珍しいこともない山の田であるけれども。
46 春来れば 山田の氷 打ちとけて
        人の心に まかすべら也
                           在原元方
春が訪れてくれば、山田の氷が解けて水が引きいれるように、打ち解けて人の心に従うべきだ。
47 春の田を 人にまかせて 我はたゞ
        花に心を つくる頃哉(かな)
                           斎宮内侍
春の田に水を引いて作るのを人に任せて、私はもっぱら花に心を寄せているこの日頃だよ。
48 あだなれど 桜のみこそ 旧里(ふるさと)の
         昔ながらの 物に有りけれ
                           貫 之
はかないものではあるけれども、桜ばかりはこの故里で、昔のままかわることのないものであったよ。
49 散り散らず 聞かまほしきを ふる里の
         花見て帰(かへる) 人も逢はなん
                           伊 勢
もう散ってしまったか、それともまだ散らずに残っているか、聞いてみたいものだが、故里の花を見て帰ってくる人があれば逢ってほしいものだ。
50 桜狩 雨は降りきぬ おなじくは
     濡るとも花の 影に隠れむ
                          よみ人知らず
桜狩りをしていたら、雨が降ってきた。同じことならば濡れてもよいから花の蔭に隠れよう。
51 とふ人も あらじと思(おもひ)し 山里に
       花のたよりに 人目見る哉(かな)
                           元 輔
訪ねて来る人もあるまいと思う山里に、花見をするにつけてやって来る人の姿をみることだ。
52 花の木を 植へしもしるく 春来れば
        我が宿過ぎて 行人ぞなき
                           平 兼盛
花の木を植えた効果はめざましく、春がやってくると我が家を通り過ぎていく人は誰一人としていない。
53 桜色に 我が身は深く 成ぬらん
      心にしめて 花を惜しめば
                           よみ人知らず
桜色に我が身は深く染まることだろう。心に染みこませて、花を愛惜したので。
54 身にかへて あやなく花を 惜(をしむ)哉(かな)
         生ければのちの 春もこそあれ
                            藤原長能
よく考えもせず、我が身の命に換えて花の散るのを惜しんだものだ。生きていればこれから来る春の花をまた見ることができるというのに。
55 見れど飽かぬ 花の盛りに 帰(かえる)雁
           猶ふる里の 春や恋しき
                            よみ人知らず
どれほどみていても飽き足りることのない、花の盛りに帰っていく雁は、やはり故郷の春が恋しいのだろうか。
56 ふる里の 霞飛びわけ 行く雁は
        旅の空にや 春を暮らさむ
故郷へと霞を分けて飛んでいく雁は、旅の空で春の日を過ごすのだろうか。
57 散りぬべき 花見る時は 菅(すが)の根の
         長き春日も 短(みじか)かりけり
                            藤原清正
今にも散りそうな花を見ているときは、長い春の日も短く感じられるものだったよ。
58 告げやらん 間にも散りなば 桜花
         いつはり人に 我やなりなん
                            よみ人知らず
花盛りになったと知らせてやろうとする間にも、花が散ってしまったならば、桜の花よ、嘘つきだということに私はなてしまうのだろうか。
59 散りそむる 花を見すてて 帰らめや
         おぼつかなしと 妹(いも)は待つとも
                             能 宣
散り始めた花を見捨てて帰ることができようか、たとえ逢いたくともたまらないと妻が待っていようとも。
60 見もはてで 行くと思へば 散る花に
         つけて心の 空になる哉(かな)
                            よみ人知らず
散るのを見届けることもなく帰っていくと思うと、散る花に思いが付いて、心までもが空に散っている花のように上の空になってしまうよ。
61 朝ごとに 我がはく宿の 庭桜
       花散るほどに 手もふれで見む
毎朝私が掃く我が家の庭の桜。花が散り敷く間は手も触れることなく、そのままにしておいて見ることにしよう。
62 浅茅原 主なき宿の 桜花
       心やすくや 風に散るらん
                           恵慶法師
浅茅の原となって荒れ果てた、この住む主もいない家の庭の桜は、見る人もいないから安心して吹かれ散っていくことだろうか。
63 春深く なりぬと思ふを 桜花
      散る木のもとは まだ雪ぞ降る
                            貫 之
春が深くなったと思うけれども、桜の花の散る木のもとは、まだ雪が降っている。
64 桜散る 木の下風は 寒からで
      空に知られぬ 雪ぞ降りける
桜が散る木の下を吹く風は寒くはないが、空に知られていない雪落花の雪が降っている。
65 あしひきの 山地に散れる 桜花
         消えせぬ春の 雪かとぞ見る
                           よみ人知らず
山道に散り敷く桜の花を、消えることのない春の雪かと見ることだ。
66 あしひきの 山隠れなる 桜花
         散り残れりと 風に知らるな
                            小弐命婦
山に隠れている桜の花よ、散り残っていると風に知られるな。
67 岩間をも 分けくる滝の 水をいかで
       散りつむ花の せきとゞむらん
                           よみ人知らず
岩間をも分けて流れてくる激流をどうして散りつもった花がせき止めるのだろうか。
68 春深み 井手の河浪 立ち返り 
       見てこそ行かめ 山吹の花
                            源 順
春が深まったので、井手の河浪が立ち返るように、幾度も立ち戻りながらじっくりみてから行こう、名物の山吹の花を。
69 山吹の 花の盛りに 井手に来て
       この里人に なりぬべき哉
                          恵慶法師
山吹の花の盛りに井手にやって来て、花に魅せられて、この里の住人になってしまいそうだ。
70 物も言はで ながめてぞふる 山吹の
         花に心ぞ うつろひぬらん
                          元 輔
私には何も言わずに、物思いに耽って日々を過ごしている。山吹の花もくちなし色に染まって、自分も口無しになってしまったのだろうか。
71 沢水に 蛙(かはづ)鳴くなり 山吹の
      うつろふ影や 底に見ゆらん
                          よみ人知らず
沢辺の水に蛙の鳴くのが聞こえる。山吹の花が散り始める頃になって、色褪せた姿が映って水底に見えるからだろうか。
72 我が宿の 八重山吹は 一重だに
        散り残らなん 春の形見に
我が家の八重山吹はその一重だけでも散り残ってほしい、春の形見となるように。
73 花の色を うつしとゞめよ 鏡山
        春よりのちの 影や見ゆると
                           坂上是則
花の色をその名のように鏡に映して、移しとどめておくれ鏡山よ。春の過ぎ去ったあとも花の影が見えるかと。
74 春霞 立ち別れゆく 山道は
     花こそ幣(ぬさ)と 散りまがひけれ
                           よみ人しらず
春霞が立つ中、春が別れて去っていく山道には花がまさしく幣(ぬさ/注:道祖神に手向ける、旅の安全を祈願して作られた布を細かく切ったもの。紙吹雪のように撒き散らしたらしい)となって散り乱れていたことだ。
75 年の内は みな春ながら 暮れななん
         花見てだにも うき世過ぐさん
一年中が春のままで過ぎて、年の暮れになればよい。せめて花を見て心を慰めながらでもこのつらい世の中を過ごそう。
76 風吹けば 方も定めず 散る花を
        いづ方へ行く 春とかは見む
                             貫 之
花を春と見て、花の散っていく方向を立ち去る春の行く先として見届けたいのだが、風が吹くと行方も定まらず散っていってしまう花を、いったいどちらの方角に行く春と見ればよいのか全く見当もつかない。
77 花もみな 散りぬる宿は 行(ゆく)春の
        ふる里とこそ なりぬべらなれ
花も散ってしまった家はまさに行く春の故里、見捨て去った所となってしまいそうだ。
78 常よりも のどけかりつる 春なれど
       今日(けふ)の暮るゝは 飽かずぞありける
                             躬 恒
閏三月のある年で、いつもよりはのんびりとした春ではあるが、それでも月末の今日の暮れるのは飽き足りない思いがする。