215 あしひきの 山かきくもり しぐるれど
        紅葉はいとゞ 照りまさりけり
                             紀貫之
山は一面に曇って時雨が降っているが、紅葉は一段と色が照り映えまさることだ。
216 網代木に かけつゝ洗ふ 唐錦
       日を経(へ)て寄する 紅葉なりけり
                             よみ人知らず
網代木にかけながら洗う唐錦、よく見ればこの日ごろ流れ寄せる紅葉だったよ。
217 かきくらし しぐるゝ空を ながめてつゝ
       思(おもひ)こそやれ 神なびの森
                             貫之
一面暗くなって、時雨が降る空を眺めながら思いやることだ、神なびの森を。
218 神無(な)月 時雨しぬらし 葛の葉の
         うらこがる音に 鹿も鳴くなり
                             よみ人知らず
十月の時雨が降っているらしい。葛の葉の裏が赤く色づくように、鹿が妻を思い焦がれて紅い涙を流して鳴いている。
219 龍田河 もみぢ葉流(なが)る 神なびの
      みむろの山に 時雨降るらし
                             柿本人麿
龍田川に紅葉の葉が流れている。上流の神なびの三室山には時雨が降って、紅葉を散らしているらしい。
220 唐錦 枝に一(ひと)むら 残れるは
    秋の形見(かたみ)を たゝぬなりけり
                             僧正遍昭
唐錦が枝に一匹(むら)残っているのは、秋の形見を絶やさぬようにということであったよ。
(匹ーむらーという単位は絹(ここでは唐渡りの錦のこと)の単位を表す。一匹は二反を一巻きにしたもの)
221 流(ながれ)くる もみぢ葉見れば 唐錦
           滝の糸もて 織れるなりけり
                              貫之
川を流れてくる紅葉の葉を見ると、この紅葉の殻錦は滝の糸でもって織ったものだとわかったよ。
222 時雨ゆへ(ゑ) かづく袂(たもと)を よそ人は
          紅葉を払(はr)ふ 袖かとや見ん
                             平兼盛
時雨が降ってきたので、頭に被る袂を。事情を知らない人は散ってくる紅葉を払おうとする袖と見ることだろうか。
223 葦の葉に 隠れて住みし 津の国の
       こやもあらはに 冬は来にけり
                             源重之
葦の葉に隠れて津の国の昆陽(こや)に小屋を立てて、住んでいたのだが、葦が霜枯れになって、小屋もあらわになり、気配もはっきりと冬がやってきた。
224 思(おもひ)かね 妹(いも)がり行けば 冬の夜の
           河風寒(さむ)み 千鳥鳴くなり
                             貫之
恋しい思いに堪えかね、愛する人のもとに訪れていくと、冬の夜の川風が寒いので、千鳥もわびしそうに鳴くのが聞こえる。
225 ひねもすに 見れども飽かぬ もみぢ葉は
        いかなる山の 嵐なるらん
                              よみ人知らず
一日中見ていても飽き足りることのない、この散り敷いている紅葉の葉は、いったいどのような山の嵐が吹き散らして寄こしたものだろうか。
226 夜を寒み 寝覚めて聞けば 鴛鴦(おしどり)の
       浦山(うらやま)しくも みなるなる哉(かな)
冬の夜は寒いのでよく寝られず、目を覚まして聞いていると、鴛鴦の鳴く声が聞こえる。水鳥は羨ましいことに水に馴れて、寒さを感じない。
227 水鳥の 下安(したやす)からぬ 思ひには
      あたりの水も こほらざりけり
水鳥が思慕に堪えず、足を絶え間なく動かすので、水が滞ることなく凍らない。これは、「思ひ」の「火」で、水も凍らないということであったよ。
228 夜を寒み 寝覚めて聞けば 鴛鴦(おし)ぞ鳴く
       払(はらひ)も経ず 霜や置くらん
冬の夜は寒いので、よく寝られず、目を覚まして聞いていると、鴛鴦がわびしげに鳴く。上毛に払いのけることもできないで、冷たい霜が置いているのであろうか。
229 霜の上(うへ)に 降る初雪の 朝氷(ごほり)
           とけずも物を 思(おもふ)頃(ころ)哉(かな)
霜の上に降る初雪が朝になって氷となっているように、心が寛ぐこともなく、物思いに耽っている、この日頃だよ。
230 霜置かぬ 袖だにさゆる 冬の夜に
       鴨の上毛(うはげ)を 思(おもひ)こそやれ
                             右衛門督公任
霜が置いていない袖でさえも、冷え切ってしまう冬の夜に、鴨の上毛はどれほど冷たく寒いか、と思いやられることだ。
231 池水や 氷とくらむ 葦鴨(あしがも)の
      夜深(ぶか)く声(こゑ)の さは(わ)ぐなる哉(かな)
                             橘行頼
池の水の氷がとけているのだろうか。鴨がまだ夜が明けもしない時分に、鳴き声をあげて騒いでいることだ。
232 飛びかよふ 鴛鴦(おし)の羽風(はかぜ)の 寒ければ
         池の氷ぞ さえまさりける
                             紀友則
辺りを飛び回る鴛鴦の羽風が寒いので、池の氷がますます張り詰めて、冷たさを増すことだ。
233 水の上(うへ)に 思(おもひ)し物を 冬の夜の
           氷は袖の 物にぞ有(あり)ける
                             よみ人知らず
氷は水の上のものとばかり思っていたけれども、わびしい冬の夜の氷は袖のものだったよ。
234 ふしづけし 淀(よど)の渡(わたり)を 今朝見れば
        とけん期(ご)もなく 氷しにけり
                             平兼盛
魚を捕るための柴(ふし)を漬けた淀の渡し場のあたりを、今朝見ると氷が張り詰めていたことだ。
235 冬寒み こほらぬ水は なけれども
      吉野の滝は 絶ゆる世もなし
                             よみ人知らず
冬の寒さに凍らない水はないけれども、吉野の滝は絶える時もない。
236 冬されば 嵐の声(こゑ)も 高砂の
       松につけてぞ 聞くべかりける
                             能宣
冬になると嵐の声も一段と高まる、高砂のの松風の音によって、冬になったかどうかを聞き分けるべきあるよ。
237 高砂の 松に住む鶴 冬来れば
      尾上(おのへ)の霜や 置きまさるらん
                             元輔
高砂の松に住む鶴は、冬になると、尾上に霜が置いて色がまさるのか、一層白く見える。
238 夕(ゆふ)されば 佐保の河原の 河霧に
            友まどはせる 千鳥鳴くなり
                             紀友則
夕方になって佐保の川原の川霧にまぎれて、友とはぐれてしまった千鳥が鳴いていることだ。
239 浦近く 降り来る雪は 白浪の
      末の松山 越すかとぞ見る
                             人麿
浦近くまで降ってくる雪は、白波が、あの波が超えることがないという末の松山を越えたように見える。
240 冬の夜の 池の氷の さやけきは
       月の光の 磨くなりけり
                             元輔
冬の夜の池のの氷が清らかなのは、澄み切った月の光が磨いたからだ。
241 冬の池の 上(うへ)は氷に とぢられて
       以下で香月の 底に入(いる)らん
                             よみ人知らず
冬の池のう上は氷に閉ざされているのに、どうして月は底に入っているのであろうか。
242 天の原 空さへさえや 渡(わたる)らん
      氷と見ゆる 冬の夜の月
                             恵慶法師
あの広い大空までが冷え切っているであろうか、氷と見える冬の夜の月だよ。
243 宮(みや)こにて めづらしと見る 初雪は
            吉野の山に ふりやしぬらん
                             源 景明
都で珍しいと思って見る初雪は、吉野山ではもう何度も降っているので、今となっては古びてしまったことになっているのではなかろうか。
244 降るほども はかなく見ゆる あの雪の
        うら山しくも 打(うち)とくる哉(かな)
                             元輔
降っているときからはかなく見える淡雪は、我々の仲と異なって、浅ましいことにどんどん打ち解けることだ。
245 あしひきの 山ゐに降れる 白雪は
        すれる衣の 心地こそすれ
                             伊勢
山の間に降り積もった雪は、山藍で摺り染めした衣のような感じがすることだ。
246 夜ならば 月とぞ見まし 我が宿の
       庭白妙(しろたへ)に 降れる白雪
                             貫之
夜であったならば、月とでも見ることであろう。我が家の庭に、真白に降り積もった白雪は。
247 我が宿の 雪につけてぞ ふる里の
        吉野の山は 思ひやらるゝ
                             能宣
我が家に降り積もる雪を見るにつけて、雪の深い、故地吉野ではどれほど降り積もったかと、その様子が思いやられることだ。
248 我一人(ひとり) 越(こし)の山地(やまぢ)に 来(こ)しかども
           雪ふりにける 跡を見る哉(かな)
                             藤原佐忠朝臣
自分ひとり越の白山に来て、前に誰が来た跡というわけでもないのだけれども、名高い白山の、雪が降り積もった古跡を見たことだ。
249 年経れば 越(こし)の白山 老いにけり
       多(おほ)くの冬の 雪の積もりつゝ
                             忠見
長い年が経過して、越の白山も老いてしまった。多くの冬が行き過ぎ、雪が降り積もって。
250 見わたせば 松の葉白き 吉野山
         幾世(いくよ)積もれる 雪にかある覧
                             兼盛
眺めやれば、一面松の葉が白くなっている吉野山、いったい幾代積もった雪なのだろうか。
251 山里は 雪降りつみて 道もなし
      今日(けふ)来(こ)む人を あはれとは見む
山里は雪が降り積もって、道も閉ざされている。今日訪問してくる人を、友情の厚い人思って、心から歓迎しよう。
252 あしひきの 山地(やまぢ)も知らず 白樫(しらかし)の
        枝にも派にも 雪の降れれば
                             人麿
山路もわからない。白樫の枝にも葉にも雪が一面降っているので。
253 白雪の 降りしく時は み吉野の
      山下風に 花ぞ散りける
                             貫之
白雪が降りしきるときは、吉野山から吹き降ろしてくる烈しい風に、花が散ることだ。
254 人知れず 春をこそ待て 払ふべき
        人なき宿に 降れる白雪
                             兼盛
人に知られることなく、春を待っているのに、屋根の雪を払うような人もいない家に、しきりに降り積もっている白雪だよ。
255 新しき 春さへ近く なりゆけば
     ふりのみまさる 年の雪哉(かな)
                             能宣
新しい春まで近づいてきたので、降りまさる雪のように、ひたすら古くなっていく今年だよ。
256 梅が枝(え)に 降り積む雪は 一年(ひととせ)に
          二度(ふたゝび)咲ける 花かとぞ見る
                             右衛門督公任
梅の枝に降り積もる雪は、一年に二度咲いた花かと見ることだ。
257 を(お)きあかす 霜と共(ゝも)にや 今朝(けさ)は皆
            冬の夜深き 罪も消(け)ぬらん
                             能宣
仏名の今日はまだ夜深い時分から起きて、仏の名を唱えながら夜明しをするが、置いて冬の夜明けを迎え、また消える霜と共に、今朝は皆、深い罪も消えることであろうか。
258 年の内に 積もれる罪は かきくらし
       降る白雪と 共(ゝも)に消えなん
                             貫之
今年のうちに積もった罪障は、空を暗くして降る白雪と共に消えてしまってほしい。
259 雪深き 山地(やまぢ)に何に 帰(かへ)るらん
      春待つ花の 蔭(かげ)に留(と)まらで
                             能宣
雪深い山路にどうして帰っていくのであろうか、春の到来を待つ花の蔭に留まることなく。(仏名の次の日に帰る僧が雪深い山に帰ることを、世俗との対照を詠んでいる)
260 人はいさ 犯(おか)しやすらん 冬来れば
       年のみ積もる 雪とこそ見れ
                             兼盛
他の人はさあ、どうか。罪を犯すかもしれないが、仏名を行った家は、冬が来ると年が雪と積もるばかりで、罪障は積もることがない、と見ることだ。
261 数(かぞ)ふれば 我が身に積もる 年月を
            送迎(おくりむかふ)と 何急ぐらん
数えてみれば、我が身に積もる年月を、送り迎えると言って、人はどうしてこのようにあわただしく過ごしているのであろうか。
262 ゆき積もる 己(をの)が年をば 知らずして
        春をば明日と 聞くぞうれしき
                             源重之
どんどんと雪のように重ね積もる、自分の年をも気づかずに、新春が明日やってくると聞くのは嬉しいことだ。