747 月やあらぬ 春や昔の 春ならぬ
        わが身ひとつは もとの身にして
                          在原業平朝臣
月は昔のままの月と違うのか?いや昔のままの月である。では春は昔のままの春ではないのか?いや昔のままの春である。私一人だけは昔のままの身であって。
748 花すすき 我こそしたに 思ひしか
       ほにいでて人に むすばれにけり
                        藤原なかひら朝臣
花のすすき(私の思うあの女性)を私の妻にしようと思っていたのに、表立って他の人と結ばれてしまったことだ。
749 よそにのみ きかまし物を おとは河
        渡るとなしに 見なれそめけむ
                        藤原jかねすけ朝臣
できることならまったく縁のない人としてうわさだけを聞いていたらよかった。どうして噂の高い音羽川を渡るともなしに、見、なれそめたのであろうか。
750 わがごとく 我をおもはむ 人もがな
        さてもやうきと 世を心見む
                        凡河内みつね
私が思うように私を思ってくれる人がいるといいのであるが。そうであってもやはり恋は辛いものなのか、試してみようと思うから。
751 久方の あまつそらにも すまなくに
      人はよそにぞ 思ふべらなる
                       もとかた
天上界に住んでいるわけでもないだろうに、あの人とはまるでかけはなれた境遇で、無縁のものと思っておられるようだ。
752 見てもま又 またも見まくの ほしければ
        なるるを人は いとふべらなり
                        よみひとしらず
逢っても一度だけでなく逢いたいと願うので、(あの人は)慣れ親しむのをいやがっているようである。
753 雲もなく なぎたるあさの 我なれや
      いとはれてのみ 世をばへぬらむ
                        きのとものり
雲ひとつないないだ朝のようなものであろうか、空が「いと晴れ」(厭われ)るように、愛する人から厭われてばかり世を送っているようである。
754 花がたみ めならぶ人の あまたあれば
       わすられられぬらむ かずならぬ身は
                        よみ人しらず
あのお方には美しい女人が大勢いるのだから、きっと忘れられてしまったのでしょう。私のようなものの数にも入らぬ身では。
755 うきめのみ おひて流るる 浦なれば
        かりにのみこそ あまはよるらめ
ここは浮きめ(憂き目)ばかりが生えて流れてくる浦だから、漁夫はそれを刈り取りにだけ寄ってくるようである。(憂き目に嘆く私に人も本意ではなくかりそめに寄ってくるだけのようである)
756 あひにあひて 物思ふころの わが袖に
          やどる月さへ ぬるるがほなる
                           伊勢
よくもまあ、合ったもので物思いに沈んで涙にぬれている私の袖に移っている月影までが涙にぬれたような顔をしているものだ。
757 秋ならで おく白露は ねざめする
       わがた枕の しづくなりけり
                     よみ人しらず
秋でもないのに置いた白露は、寝覚めした私の手枕に落ちた涙の雫であったことよ。
758 すまのあまの しほやき衣を さをあらみ
          まどほにあれや 君がきまさぬ
須磨の海人が塩を焼くときに着る着物は筬(おさ)の目が粗く織り目の糸が間遠になっているように、私たちもお互いはなれて遠いからであろうか、あなたは少しも来てくださらない。
759 山しろの よどのわかごも かりにだに
       こぬ人たのむ 我ぞはかなき
今ではかりそめにさえ来ないような人を頼みにして待っている私は、まことはかないものであることよ。
760 あひ見ねば こひこそまされ みなせ河
         なににかふかめて 思ひそめけむ
逢わずにいるので恋しさがますます募り、水無瀬川のように深くない愛情のあの人をどうして私は深く思い込んでしまったのでしょう。
761 暁の しぎのはねがき ももはがき
    君がこぬ夜は 我ぞかずかく
夜明けごろ、鴫が繰り返し羽をしょごくように、あなたが幾夜も来られない夜は、私があなたが来られない夜を数えて書きとめておきましょう。
762 玉かづら 今はたゆとや 吹く風の
       おとにも人の きこえざるらむ
今はもう私との仲はすっかり絶えたというのであろうか、あの人は便りでもなんとも言わないようであるので。
763 わが袖に まだき時雨の ふりぬるは
       君が心に 秋やきぬらむ
私の袖にまだ秋でもないのに時雨が降ったのは、あなたの心に秋(飽き)がきてしまったからなのでしょうか。
764 山の井の 浅き心も おもはぬに
       影許のみ 人のみゆらむ
(私は)山の清水ののような浅い心であの人を思ったわけではないのに、どうしてあの人は(水面に映る)影くらいしか姿を見せてくれないのであろうか。
765 忘草 たねとらましを 逢ふ事の
    いとかくかたき 物としりせば
あなたとお逢いすることがこんなにもむずかしいものと、前もって知っていたならば、忘れるための忘れ草の種をとっておいたというのに。
766 こふれども 逢ふ夜のなきは 忘草
        夢ぢにさへや おひしげるらむ
こんなにも恋しく思っているのに愛しい人に逢う夜のないのは、忘れ草が夜の夢路にまで生い茂って、あの人が私のことを忘れてしまったからであろうか。
767 夢にだに あふ事かたく なりゆくは
       我やいをねむ 人やわするる
夢の中でまでも逢うことがしだいに難しくなってゆくのは、私が寝ないからなのであろうか、それともあの人が私を忘れたからなのであろうか。
768 もろこしも 夢に見しかば ちかかりき
        おもはぬ中ぞ はるけかりける
                     けんけい法師
遠い唐土も夢に見たら近かった。それに反して近くにいても心通わない仲ははるかに遠いものだ。
769 独のみ ながめふるやの つまなれば
      人を忍ぶの 草ぞおひける
                      さだののぼる
長雨が降り続いている古屋の軒の端であるから、忍ぶ草が生えてしまっている。(ひとり物思いにふけっているつまであるので、昔親しかった人をしのんでばかりいることだ)
770 わがやどは 道なきまでに あれにけり
         つれなき人を まつとせしまに
                      僧正へんぜう
私の住む家は出入りの道もないほどに荒れてしまっている。訪れても来ないつれない人を待っていた間に。
771 今こむと いひてわかれし 朝(あした)より
       思ひくらしの ねをのみぞなく
いますぐに来るよと言ってあの人が別れていったその朝から、私は思い続け声をあげて泣いてばかりいます。
772 こめやとは 思ふものから ひぐらしの
        なくゆふぐれはたちまたれつつ
                        よみ人しらず
来るであろうか、いや来はしまい。とは思うけれどひぐらしの鳴いている夕暮れにはじっとしていられないで立ってあなたが来るのを待つ気持ちになるのです。
773 今しはと わびにしものを ささがにの
       衣にかかり 我をたのむる
いまとなってはもうだめだとわびしく思うのだけれど、蜘蛛が私の着物に垂れ下がり、恋しい人が来るだろうと私を頼みに思わせるのである。
注:(蜘蛛が衣に垂れ下がるのは恋人にあう前兆として墨滅歌に記述がある。)
774 いまはこじと 思ふものから 忘れつつ
          またるる事の まだもやまぬか
もう来ますまいと思うものの、ついうっかり忘れてあの人の訪れを待つ気持ちが今になってもまだやまないのです。
775 月よには こぬ人またる かきくもり
       雨もふらなむ わびつつもねむ
このように明るい月夜には、来てもくれない人が来てくれるかもしれないと思われて、自然に待たれることであります。いっそのこと空が曇って雨でも降ってくれればわびしく思いながらもあきらめて寝てしまうから。
776 うゑていにし 秋田かるまで 見えこねば
          けさはつかりの ねにぞなきぬる
あの人が貼るに早苗を植えておいて行ってしまった田の稲が、秋には実り、刈り取るようになるまで、あの人は訪ねてこないので、私は悲しくなって声をあげ、泣いてしまったことです。
777 こぬ人を まつゆふぐれの 秋風は
       いかにふけばか わびしかるらむ
来てもくれない人を、来てくれるであろうかと思って、待っている夕暮れに吹く秋風はいったいどんな風に吹くから、こんなにわびしく感じるのであろうか。
778 ひさしくも なりにけるかな すみのえの
       まつはくるしき ものにぞありける
あの人が来なくなってからずぶん長くなってしまったことである。来もしない人を、来るかと思って待つということは、苦しいことであります。
779 住の江の まつほどひさに なりぬれば
        あしたづのねに なかぬ日はなし
                         かねみのおほきみ
来てもくれないあの人を徒に待つ間がずいぶん長くなってしまったので、悲しくて声をあげて泣かない日はないほどです。
780 みわの山 いかにまちみむ 年ふとも
        たづぬる人も あらじと思へば
                          伊勢
大和の三輪山はどれほどあなたのおいでを待っていることであろうか。たとえ何年たってもほかに訪れる人もあるまいと思われるので。(あなただけは訪ねてきてください)
781 吹きまよふ 野風をさむみ 秋はぎの
         うつりも行くか 人の心の
                          雲林院のみこ
激しく吹き荒れる秋の野風が寒いので、萩の花もすっかり色があせてしまうが、人の心も変わり果ててしまうことである。
782 今はとて わが身時雨に ふりぬれば
       ことのはさへに うつろひにけり
                          をののこまち
いよいよ今はとて、私の身も秋の時雨とともに年を経てしまったので、草木の葉のみならず、あなたの言葉までもすっかり変わり果ててしまったことです。
783 人を思ふ 心このはに あらばこそ
       風のまにまに ちりもみだれめ
                          小野さだき
人を思う心がもし木の葉であったなら、風の吹くままに吹かれて散り乱れてしまうであろう。(私の心は木の葉ではないから、他へ散り行くようなことはしない)
784 あま雲の よそにも人の なりゆくか
       さすがにめには 見ゆるものから
よそよそしくあなたはなっていかれるのですね、そうは言ってもそれでも目には見えるものであるから。
785 ゆきかへり そらにのみして ふることは
        わがゐる山の 風はやみなり
                            なりひらの朝臣
私が行ったり来たりしながら宿りもせず、空にばかり過ごしているのは、私が宿るはずの山の風がはげしいからなのです。
786 唐衣 なれば身にこそ まつはれめ
     かけてのみやは こひむと思ひし
                          かげのりのおほきみ
親しく逢い馴れたならば、身にまつわれることであろうが、逢いもせずに心にかけてばかりでは、このように恋い慕おうなどと思ったことであろうか、いや、思ったこともなかった。
787 秋風は 身をわけてしも ふかなくに
      人の心の そらになるらむ
                         とものり
秋風はあの人、この人と、人を区別して吹くわけでもないのに、私と違ってあの人の心はそらぞらしくなるようです。
788 つれもなく なりゆく人の ことのはぞ
        秋よりさきの もみぢなりける
                          源宗干朝臣
しだいにつれなくなっていく人の言葉こそ、木の葉の色づくべき秋にならないうちに変わった紅葉であることだ
789 しでの山 ふもとを見てぞ かへりにし
       つらき人より まづこえじとて
                          兵衛
私は重い病に罹ったが、死出の山のふもとを見たところで帰ってしまいました。死にかけたときに見舞いにも来てくれないような薄情な人より先にはあの世に行くまいと思って。
790 時すぎて かれゆくをのの あさぢには
       今は思ひぞ たえずもえける
                          こまちがあね
盛りの季節がすぎて、しだいに枯れゆく野原のちがやには、今では枯れ草を焼く火が絶えず燃えている(年をとってしまった私は、あなたに捨てられて恨めしい思いでもえています)
791 冬がれの のべとわが身を 思ひせば
        もえても春を またましものを
                          伊勢
もし私自身を、冬枯れの野原と考えるならば、たとえ燃えてもふたたび芽ばえる春を待ちもしようものを。(でも私は野原ではないからふたたび春にあうことができない)
792 水のあわの きえでうき身と いひながら
         流れて猶も たのまるるかな
                           とものり
はかない水の泡が、かろうじて消えないで浮いているような、まことに憂いわが身とはいいながら、生きながらえてやはり愛しい人に逢いたいと頼みに思われるのです。
793 みなせ河 有りて行く水 なくばこそ
        つひにわが身を たえぬと思はめ
                            よみ人しらず
水無瀬川というが現実に存在して流れる水がもし本当にないならば、とうとう私自身も恋人との関係が絶えてしまったと考えよう。(水無瀬川に水がある以上、現実に私と恋人との関係が絶えてしまったと思わない)
794 吉野河 よしや人こそ つらからめ
      はやくいひてし ことはわすれじ
                             みつね
たとえあの人がどんなにつらくあたろうとも、最初に私におっしゃったあの言葉は決して忘れますまい。
795 世の中の 人の心は 花ぞめの
        うつろひやすき 色にぞありける
                             よみ人しらず
この世の中の人の心というものは考えてみると、花で染めた染物のように変わりやすい色であることだ
796 心こそ うたてにくけれ そめざらば
      うつろふ事も をしからましや
心というものこそ、本当に憎いものである。もし私が愛する人に心を染めなかったならば、相手の心がしだいに色あせてゆくことも、どうして惜しいと思うことであろうか、けっして惜しいことではないのに。
797 色見えで うつろふものは 世の中の
       人の心の 花にぞ有りける
                            小野小町
色に見えないで移りかわるものは、この世の中の「人の心」という花であったことよ。
798 我のみや 世をうくひずと なきわびむ
        人の心の 花とちりなば
                           よみ人しらず
私一人だけ、この世の中を憂く、涙で袖が乾かないと悲しみ、(うぐいすとなって)泣きわびていよう。あの人の心がはかなく花となって散ってちまったならば。
799 思ふとも かれなむ人を いかがせむ
       あかずちりぬる 花とこそ見め
                            そせい法師
たとえどんなに深く思っていても、私から離れて去ってしまうであろう人をどうしようというのか。見あきないうちに散ってしまう花と見ようか。
800 今はとて 君がかれなば わがやどの
       花をばひとり 見てやしのばむ
                            よみ人しらず
いよいよこれが最後とて、あなたが別れてしまったならば、あなたと一緒にながめた
私の家の花をただひとりで見て、あなたのことをしのぶとしましょうか。
801 忘れ草 かれもやすると つれもなき
      人の心に しもはおかなむ
                         むねゆきの朝臣
あの人の心の中には忘れ草が生えているであろうが、その忘れ草が枯れるかもしれないので、あのつれない人の心の中に、霜がおいてほしいものです。
802 忘れ草 なにをかたねと 思ひしは
      つれなき人の 心なりけり
                         そせい法師
忘れ草は何を種として生えるのであろうかと思っていたが、それはじつにつれない人の心であったことだ。
803 秋の田の いねてふことも かけなくに
        何をうしとか 人のかるらむ
                        兼芸法師
「遠くへ行ってしまえ」という言葉も、口にかけて言ったことがないのに、いったい何が憂いとて、あの人は別れていくのであろうか。
804 はつかりの なきこそわたれ 世の中の
        人の心の 秋しうければ
                         きのつらゆき
私は悲しいので泣き暮らしている。この世の中の人の心におとずれる「飽き」が憂く思われるので。
805 あはれとも うしとも物を 思ふ時
        などか涙の いとなかるらむ
                         よみ人しらず
まあうれしいことであるとも、ほんとうに憂いことであるとも、深く物思いをするとき、どうして涙が流れるのであろうか。
806 身をうしと 思ふにきえぬ 物なれば
        かくてもへぬる よにこそ有りけれ
私の不幸はすべて私自身に招いたことであるとて、声をあげて泣くことはあろうとも、他人のせいにして世間を恨むようなことはしますまい。
807 あまのかる もにすむむしの 我からと
        ねをこそなかめ 世をばうらみじ
                          典侍藤原直子朝臣
私の不幸はすべて私自身の招いたことであって、声をあげて泣くことはあろうとも、他人のせいにして世間を恨むようなことはしますまい。
808 あひ見ぬも うきもわが身の から衣
        思ひしらずも とくるひもかな
                           いなば
いとしい人に逢えないのも逢えないで憂く思っているのも、すべて私自身の考えによるものなので、それを悟り知ってもいないのであろうか、私の着物の下紐が解けることであります。
809 つれなきを 今はこひじと おもへども
        心よわくも おつる涙か
つれなくなってしまった人などもう恋い慕いますまい、と思うけれど、あきらめきれないで悲しくなって涙が流れることであります。
810 人しれず たえなましかば わびつつも
       なき名ぞとだに いまはしきものを
                           伊勢
私たちの仲が世間の人に知られないままで絶えてしまうならば、わびしくは思うけれどせめて世間体だけでもうわさだけで実際にはなかったと言うのですけれど。
811 それをだに 思ふ事とて わがやどを
         見きとないひそ 人のきかくに
せめてそれだけでも私を思ってくださるしるしとして、私の家を見たとは言ってくださいますな。世間の人が聞きますから。
812 逢ふ事の もはらたえぬる 時にこそ
        人のこひしき こともしりけれ
逢うということがまったく絶え果ててしまったときになって、はじめて愛しい人が恋しいということも、ほんとうにわかるのであります。
813 わびはつる 時さへ物の 悲しきは
         いづこをしのぶ 涙なるらむ
愛しい人に忘れられ、わび果ててしまった今になっても、まだ恋しく思うのはあの人のどこに未練があって恋い忍ぶ涙であるというのか。
814 怨みても なきてもいはむ 方ぞなき
       かがみに見ゆる 影ならずして
                           藤原おきかぜ
愛しい人に忘れられて、いかに怨んでもいかに泣いても、訴えるべきところなどどこにもない。鏡に映る自分の影以外には。
815 夕されば 人なきとこを 打ちはらひ
       なげかむためと なれるわがみか
                           よみ人しらず
親しい関係も絶えてしまい夕方になると昔のように訪れてくれる人もない床をきれいに塵をはらい、ただひとり悲しく嘆くばかりのわびしい身となってしまった。
816 わたつみの わが身こす浪 立ち返り
         あまのすむてふ うらみつるかな
あのつれなくなったひとを、私は繰り返し深く恨んだことです。
817 あらを田を あらすきかへし かへしても
        人の心を 見てこそやまめ
繰り返しあの人の本心を見定めて、そえから私はきっぱりとあきらめてしまいましょう。
818 ありそ海の 濱のまさごと たのめしは
        忘るる事の かずにぞ有りける
荒波の打ち寄せる浜の砂のごとく無数であると、私を頼みに思わせたが
今になってみるとその無数というのは、私との誓約を忘れる度の数であったことだ
819 葦辺より 雲井をさして 行く雁の
       いやとほざかる わが身かなしも
親しい関係も絶えて、愛しい人からいよいよ遠ざかってしまう私の身が悲しいことです。
820 しぐれつつ もみづるよりも ことのはの
        心の秋にあふぞわびしき
時雨が降って木々の葉が色づく秋も物悲しいが、それよりも愛しい人の心に秋(飽き)がきて、約束した言の葉も変わってしまったときにあうのがわびしいことです。
821 秋風の ふきとふきぬる むさしのは
      なべて草葉の 色かはりけり
秋風が激しく吹きに吹いている武蔵野は、すべての草の葉の色が変わってしまったことである。
822 きかぜに あふたのみこそ かなしけれ
       わが身むなしく なりぬと思へば
                             小町
はげしい秋風に吹きまくられる稲の実は悲しいことです。せっかくの実がこぼれてからになってしまうと思うから。(深く頼みにしていたのに、あの方に飽きられてしまうのが悲しいのです。今まで親しくしていた私がこのまま空しく朽ち果ててしまうのかと思うので)
823 秋風の 吹きうらがへす くずのはの
      うらみてても猶 うらめしきかな
                          平 貞文
私に飽いて離れ去ってしまった恋人は、いくら恨んでもやはり恨めしいことです。
824 あきといへば よそにぞききし あだ人の
          我をふせる 名にこそありけれ
                          よみ人しらず
人々が「秋」と言えば、今まで私には全く関係がないよそごととして聞いていたが、今になってみると、それはあの浮気者が私をおもちゃにして見捨てて行ってしまった「飽き」ということばであった。
825 わすらるる 身をうぢはしの 中にたえて
        人もかよはぬ 年ぞへにける
恋人に忘れられるわが身を憂く思っているが、私たちの仲が絶えてしまい、恋人も通ってこない年もすぎてしまったことだ。
826 あふ事を ながらのはしの ながらへて
       こひ渡るまに 年ぞへにける
                          坂上これのり
恋人と逢うこともなく、生きながらえて恋い続けているうちに、年月もすぎてしまったことだ。
827 うきながら けぬるあわとも なりななむ
        流れてとだに たのまれぬ身は
                           とものり
泡は水に浮いたままで消えてしまうが、私も憂く思いながらも泡のように消えてしまいたいことです。このまま生きながらえていたならば逢う機会があろうかとさえも、頼みにならない身であるから。
828 流れては 妹背の山の なかにおつる
       よしのの河の よしや世の中
                          読人しらず
吉野川を流れ下って、妹山と背山の間をわって急流をなして流れるが、そのように夫婦お間にもいろいろと邪魔が入って逢えなくなってしまうが、ええい、ままよ、それが世の中というものである。