677 みちのくの あさかのぬまの 花がつみ
        かつ見る人に こひやわたらむ
                  (よみ人しらず)
(陸奥の安積の沼に咲く花がつみという言葉のように)、時折は逢うこともある人なのに、どうしてこのように恋いつづけることであろうか。
678 あひ見ずは こひしきことも なからまし
         おとにぞ人を きくべかりける
もし最初からあの人と契りをむすばなかったならば、こうまで恋しく思うこともなかったであろう。ただ、うわさとしてだけ、あの人のことを聞くべきであった。
679 いそのかみ あふるのなか道 なかなかに
         見ずはこひしと 思ふはましや
                    (つらゆき)
(石の上の布留の中道ではないが)なまじっか、あの人と逢わなかったならば、このように恋しいと思うのであろうか。(思わなかったであろう)
680 君てへば 見まず見ずまれ ふじのねの
       めづらしげなく もゆるわがこひ
                 (ふぢわらのただゆき)
あなたのことというと、お逢いしている時であろうが、そうでなかろうが、(あの常に煙をあげて燃えつづける富士の高根のように)いつでも私の恋情は燃え上がっています。
681 夢にだに 見ゆとは見えじ あさなあさな
       わがおもかげに はづる身なれば
                  (伊勢)
夢の中でさえもあの人に逢ったとは見られますまい。毎朝毎朝鏡に映る私の面影がやつれるのを恥ずかしく思っている身なのですから。
682 いしま行く 水の白波 立ち帰り
        かくこそは見め あかずもあるかな
                   (よみ人しらず)
(岩間を流れ行く水が白波を繰り返し繰り返し立てるように)何度も繰り返しあなたに、このように逢いたいものです。どれほど一緒にいても満足できないことがあるのです。
683 いせのあまの あさなゆふなに かづくてふ
          みるめに人を あくよしもがな
(伊勢の海人が毎朝毎晩水にくぐって採るという海松布という名のように)私もあなたを堪能するまで見る(=海松)方法が欲しいものです。
684 春霞 たなびく山の さくら花
    見れどもあかぬ 君にもあるかな
               (とものり)
(春霞のたなびいている山に咲いている桜はいくら見ていてもあきないものであるが、そのように)何度もお逢いしても見あきることのないあなたですね。
685 心をぞ わりなきものと 思ひぬる
     見る物からや こひしかるべき
               (ふかやぶ)
心というものは、まことに道理にあわないものであると思うようになりました。(逢わないでいると恋しくなるので、逢えば恋しさがなごむかと思うのに)、逢っていながら、ますます恋しさがつのるべきであろうか(恋しさがなごむはずがない)
686 かれはてむ のちをばしらで 夏草の
        深くも人の おもほゆるかな
                (凡河内みつね)
すっかり別れてしまう後のことは考えないで、あの人のことが深く思われることであります。(いつか別れてしまうかもしれないのに)
687 あすかがは ふちはせになる 世なりとも
         思ひそめてむ 人はわすれじ
                   (よみ人しらず)
たとえ淵が瀬にかわるような世であろうとも、私はいったん愛しはじめる人は、いつまでも忘れますまい。
688 思ふてふ ことのはのみや 秋をへて
       色もかはらぬ 物にはあるらむ
あなたを愛するという私の言葉だけが、木々の葉が紅葉して色がかわる秋がすぎても、色もかわらないものであるだろうか。
689 さむしろに 衣かたしき こよひもや
        我をまつらむ うぢのはしひめ
むしろの上に衣をしいて独り寝をして、今夜も私を待っているのであろうか、あの宇治の橋姫は。
690 君やこむ 我やゆかむの いさよひに
       まきのいたども ささずねにけり
あなたが来てくれるかしら、私がでかけようかしらと、ためらっていて、まきの板戸も締めないで寝てしまったことであります。
691 今こむと いひし許(ばかり)の 長月の
       ありあけの月を まちいでつるかな
                  (そせいほうし)
「今すぐに行こう」とあなたが言ったばかりに、私はあなたの訪れを今か今かと待っていて、九月の有明けの月を迎えてしまったことです。
692 月夜よし よよしと人に つげやらば
      こてふににたり またずしもあらず
                 (よみ人しらず)
今夜の月は美しい、よい月夜であるとあの人のもとに言ってやれば、こちらに来なさいと言っているようなものである。(だから告げ知らせることは遠慮したいが)このような夜はあの人の訪れを待っていないわけではないのですが。
693 君こずは ねやへもいらじ こ紫
       わがもとゆひに しもはおくとも
あなたが来てくださらないならば、私は寝室にもはいりますまい。たとえ私の濃い紫の元結いに霜がおくことがあっても。
694 宮木のの もとあらのこはぎ つゆをおもみ
       風を待つごと 君をこそまて
宮城野の下枝のまばらな萩は、露が重いのでそれを吹き払う風を待っているが、ちょうどそのように、私もあなたの訪れをひたすらに待っているのです。
695 あなこひし 今も見てしが 山がつの
        かきほにさける 山となでしこ
ああ、恋しいことだ。今すぐにでも逢いたいことだ。山住みの家の垣根に咲いていた可憐なやまとなでしこのようなあの人に。
696 つのくにの なにはおもはず 山しろの
        とはにあひ見む ことをのみこそ
(摂津の国の難波という名のように)なにも思わず、(山城の国の鳥羽という名のように)永遠に逢い続けることだけをひたすらに願っています。
697 しきしまの やまとにはあらぬ 唐衣
        ころもへずして あふよしもがな
                  (つらゆき)
わが日本の国にはない唐衣ではありませんが、ころ(頃)も隔(へ)てず、いつも逢える手立てが欲しいものです。
698 こひしとは たがなづけけむ ことならむ
        しぬとぞただに いふべかりける
                   (ふかやぶ)
いとしい人を慕うことを「恋しい」と一体だれが名づけたことばなのか。「死ぬ」とだけ言うべきであったろうに。
699 み吉野の おほかはのへの 藤波の
       なみひおもはば わがこひめやは
                  (よみ人しらず)
(吉野の大川のほとりに咲く藤の花の藤波という言葉のように)なみ(=並)にあなたを思っているのでしたら、私はこんなに恋焦がれましょうか(こんなに恋焦がれたりはしません)
700 かくこひむ 物とは我も 思ひにき
        心のうらぞ まさしかりける
このように恋焦がれるであろうということは、私もあらかじめ思っていました。恋を心の中で占ってみた結果は、まことに的中していたことです。
701 あまのはら ふみとどろかし なる神も
        思ふなかをば さくるものかは
大空をふみとどろかして鳴る雷でも、愛し合っているわれらふたりの仲を引き裂くことが出来ようか。(けっしてできはしない)
702 梓弓 ひきののつづら すゑつひに
    わが思ふ人に ことのしげけむ
(日置野の蔓草のすえ(末端)ではないが)すえには(=最終的には)結局私が恋慕っている人に、世間のうわさがうるさくなるでしょう。(心配なことです)
703 夏びきの てびきのいとを くりかへし
       ことしげくとも たえむと思ふな
702の返歌
(夏引きの手引きの糸を繰り出すように)繰り返し、繰り返しうわさをたてられましても、私との関係を断ち切ろうなどと思わないでください。
704 さと人の ことは夏のの しげくとも
      かれ行くきみに あはざらめやは
村人のうわさは(夏の野に草がしげるように)いかにしげっていようとも、うわさをはばかって遠ざかっていこうとするあなたに、逢わないでいられようか。(逢わないではいられない)
705 かずかずに おもひおもはず とひがたみ
        身をしる雨は ふりぞまされる
                 (在原業平朝臣)
あなたが私を思ってくださっているか、、いないか、おたずねすることもしにくいのですが、あなたに思われていないことをよく知って悲しんで流れるこの涙雨は、ますますふりまさっています。
706 おほぬさの ひくてあまたに なりぬれば
        おもへどえこそ たのまざりけれ
                  (よみ人しらず)
705の返歌
(大幣が大勢の人の手に引かれるように)あなたは、多くの女性から引く手あまたになってしまったので、私もあなたを恋慕っていますが、頼みにすることはできません。
707 おほぬさと 名にこそたてれ ながれても
        つひによるせは ありてふものを
                   (なりひらの朝臣)
706の返し
私は引く手あまたの大幣であると評判になっているようですが、川へ流された大幣はあちこちをただよいながらも、最後にはいきつく瀬があるということですよ。
708 すまのあまの しほやく煙(けぶり) 風をいたみ
          おもはぬ方に たなびきにけり
                    (よみ人しらず)
須磨の海人が塩を焼く煙は、風がひどく吹くので思いもかけぬ方向になびいてしまったことです。
709 たまかづら はふ木あまたに なりぬれば
        たえぬ心の うれしげもなし
玉葛の這いあかる木がたくさになったように、あなたも大勢の女性のもとへ通っていかれるようになったので、私をも忘れないで来られる御心は、うれしくもありません。
710 たがさとに 夜がれをしては 郭公(ほととぎす)
        ただここにしも ねたるこゑする
いったいどなたのいるところに不義理(夜離れ)をしているのでしょうか。ほととぎすはもっぱら私の所にだけ寝ているように鳴いてはいるが。
711 いで人は ことのみぞよき 月草の
       うつし心は いろことにして
いやもう、あなたはお口だけがりっぱであることです。(月草で染めたものがすぐ色がかわるように)移り気だけは格別であって。
(月草=露草)
712 いつはりの なき世なりせば いか許(ばかり)
        人のことのは うれしからまし
もし偽りというものがない世であったならば、あの人の言葉はどんなにうれしいことであろうか。
713 いつはりと 思ふ物から 今さらに
        たがまことをか 我はたのまむ
あの人の言葉は偽りであるとは思うものの、今さらだれの真実を頼みにしようか。(今となっては、私は偽りがあってもあなたを頼みにするより他にしかたがないのである。)
714 秋風に 山のこのはの うつろへば
      人の心も いかがとぞ思ふ
             (素性法師)
秋風に吹かれて、山の木々の葉が色をかえてゆくので、それを見ていると、あの人の心も、どうであろうか。(しばらくは見えないが、変わりはしないであろうか)と思って不安になることである。
715 蝉のこゑ きけばかなしな 夏衣
       うすくや人の ならむと思へば
                (とものり)
蝉の声を聞くとかなしいものであります。あの人の心も私への思いが薄くなろうかと思うので。
716 空蝉の 世の人ごとの しげければ
      わすれぬものの かれぬべらなり
                 (よみ人しらず)
世間の人のうわさがあまりにうるさいので、けっしてわすれはしないものの、しぜんに遠ざかってしまいそうであります。
717 あかでこそ おもはむなかは はなれなめ
        そをだにのちの 忘れがたみに
飽きないうちに、愛し合っている二人は別れてしまおう。愛し合っているのに別れたいう名残惜しさだけでも、後の忘れ形見とするように。
718 忘れなむと 思ふ心の つくからに
        有りしよりけり まづぞこひしき
あの人のことをわすれてしまおうと、思う心が起こるとすぐに以前よりもほんとうに恋しいと思う心が、真っ先に甦ってくることです。
719 わすれなむ 我をうらむな 郭公(ほととぎす)
        人の秋には あはむともせず
あなたのことを忘れてしまうであろう私を恨んでくださいますな。あのほととぎすが夏には盛んに鳴くが、いつしか姿をけして秋には逢おうともしないが、私もあなたに飽きられるときには逢おうとも思いません。
720 たえずゆく あすかの河の よどみなば
        心あるとや 人のおもはむ
(絶えず流れている飛鳥川のように)もし私が通って行かなかったならば、なにかあだし心があると、あの人は思うのでしょうか。
721 よど河の よどむとひとは 見るらめど
       流れてふかき 心あるものを
私がしばらく通って来なくなったようであると、あなたは思うのであろうが(あの淀川の流れが深いように)、私も心の中では絶えずあなたを深く思っているものを。
722 そこひなき ふちやはさわぐ 山河の
        あさきせにこそ あだなみはたて
                  (そせい法し)
水底もしれないほど深い淵は波立ち騒ぐことがあろうか(騒ぐことはありません)。山中を流れる川の浅い瀬にこそ、無用の波は立つものであるよ。
723 紅の はつ花ぞめの 色ふかく
    思ひし心 我忘れめや
           (よみ人しらず)
(初咲きの紅花で染めた色が深いように)私が深くあなたを思う心を、どうして忘れることがろうか。(けっして忘れることはありません)
724 みちのくの しのぶもぢずり たれゆゑに
        みだれむと思ふ 我ならなくに
                   (河原左大臣)
(陸奥の信夫(しのぶ)もぢずり(陸奥国信夫郡産出の染物)の模様は乱れているが)、あなたのほかのだれのために、心が乱れようとする私でもありませんのに。(私はあなたのためにこそ思い乱れようとするのです)
725 おもふより いかにせよとか 秋風に
        なびくあさぢの 色ことになる
                   (よみ人しらず)
私は心から愛しているのに、これ以上どうせよというつもりであの人は、(秋風になびく浅茅が色がかわるように)心変わりをするのでしょうか。
726 千々の色に うつろふらめど しらなくに
         心し秋の もみぢばならねば
あの人の心はさまざまに移り変わっているのであろうが、私にはわからないことであります。心というものは秋のもみじのように色がかわり、目に見えるものではないので。
727 あまのすむ さとのしるべに あらなくに
        怨みむとのみ 人のいふらむ
                  (小野小町)
私は海人の住む里の案内人ではなもないのに、どうしてあの人は「浦見む(=怨みむ)」とばかり言うのでしょうか。
728 くもり日の 影としなれる 我なれば
        目にこそ見えね 身をばはなれず
                   (しもつけのをむね)
あなたを思って曇り日の影になった私であるから、目には見えないが、いつもあなたの側をあなれることはない。
729 色もなき 心を人に そめしより
       うつろはむとは おもほえなくに
                  (つらゆき)
何の色もついていなかった私の心というものを、あなたという色で染めてからというものは、その色があせようなどとは思われないのであるが。
730 めづらしき 人を見むとや しかもせぬ
        わがしたひもの とけわたるらむ
                   (よみ人しらず)
久しく逢っていない人に逢えるのであろうか。解きもしない私の下紐が自然によく解けるようである。
(下紐が解けることは思う人に逢える前兆であると信じられていた)
731 かげろふの それかあらぬか 春雨の
         ふるひとなれば そでぞぬれぬる
(春の野に立つ陽炎のように)おぼろげであの人であったのか、そうでなかったのか、定かではありません。昔馴染みの人であったので涙で袖はしっとりと濡れてしまったことです。
732 ほり江こぐ たななしを舟 こぎかへり
        おなじ人にや こひわたりなむ
堀江をこいでいる舟棚のないような小舟が、漕ぎ出したり帰ってきたり、同じ事を繰り返すように、私もおなじ人をいつまでも恋い続けることでしょうか。
733 わたつみと あれにしとこを 今更に
        はらはばそでや あわとうきなむ
                   (伊勢)
恋しい人に捨てられて悲しくて流す涙で海のように荒れてしまった私の寝床を、ふたたび改めてその人を迎えるために、袖で塵をはらうならば、袖が涙の海の泡となって浮いてしまうでしょう。
734 いにしへの 猶(なほ)立ち帰る 心かな
        こひしきことに ものわすれせで
                  (つらゆき)
あの初恋で心の燃えた昔に、やはり私の心は立ち帰ってゆくことでしょう。恋しいということは、いつまでも物忘れしないで。
735 思ひでて こひしき時は はつかりの
       なきてわたると 人のしるらめや
                  (大伴くろぬし)
あなたを思い出して恋しい時には(初雁が鳴きながら空を渡るように)私は泣きながらあなたのお宅の近くを歩き回っているとあなたは知っていますか?(多分知らないでしょう)
736 たのめこし ことのは今は かへしてむ
        わが身ふるれば おきどころなし
                    (典侍(ないしのすけ)藤原よるかの朝臣)
私を頼みに思わせて来たこのお手紙を、今は返してしまいましょう。私の身も年をとってしまいましたので、私の身には置けるようなところがありませんから。
(作者は女性で、年の過ぎた女性の嘆きをあらわす歌)
737 今はとて かへすことのは ひろひおきて
       おのが物から かたみとや見む
                 (近院の右のおほいまうちぎみ)
736の返歌
「今はもうこれまで」といって返してよこされた古い手紙を、拾い集めて手元にとどめておいて、私の書いたものではあるが、あなたとの愛の記念としてみることにします。
738 たまほこの 道はつねにも まどはなむ
        人をとふとも 我かとおもはむ
                 (よるかの朝臣)
あなたが通われる道は、いつも間違っていただきたいものです。他の人を訪ねられるのをも、私のところにきてくださったと思いましょうから
739 まてといはば ねてもゆかなむ しひて行く
          こまのあしをれ まへのたなばし
                     (よみ人しらず)
帰るのを待ってくださいと私が言う時くらい、せめて泊まっていってもらいたいものです。それでも無理に帰っていかれるなら、あなたの乗っている馬の足をつまづかせて折ってください。この前の棚橋よ。
740 相坂の ゆふつけ鳥に あらばこそ
      君がゆききを なくなくも見め
                (閑院)
もし私が相坂のゆうつけ鳥であったなら、あなたが近江介として相坂の関を往来なさるのを泣きながらでも見るのですが。
741 ふるさとに あらぬ物から わがために
        人の心の あれてみゆらむ
               (伊勢)
あの人の心はふるさとではないというのに、私の為にはあの人の心がどうして荒れ果てたものに見えるのでしょうか。
742 山がつの かきほにはへる あをつづら
       人はくれども ことづてもなし
                (寵)
(山住みの垣根に這っている青かずらではないが)私のもとにも人は来る(=繰る)が、何のことづてもないことです。
743 おほぞらは こひしき人の かたみかは
        物思ふごとに ながめらるらむ
                  (さかゐのひとさね)
大空は恋しく思われる人の形見なのであろうか。物思いをするたびに、自然と大空を見つめることだ。
744 あふまでの かたみも我に はなにせむに
        見ても心の なぐさまなくに
                (読人しらず)
次に逢うまでの形見も、私は何のためにほしかろうか。ほしくなどない。そんなものを見たからといって心が慰められるものではないのだから。
745 あふまでの かたみとてこそ とどめけめ
         涙に浮かぶ もくづなりけり
                  (おきかぜ)
次に逢うまでの形見として残しておかれたのでしょう。しかし、この裳を見ると、あなたを思い出して涙がこぼれるので、この裳はいわば、涙の海にうかぶ藻屑であります。
746 かたみこそ 今はあだなれ これなくば
        わするる時も あらましものを
                  (よみ人しらず)
この形見こそ今となっては私を苦しめるあだでありました。これさえなかったら、あの人を忘れる時もあろうものを。
「みちのくの〜」の歌は百人一首にも選歌されています。
しかし、百人一首に選歌する際、定家が一部書き直したのでしょうか。
古今和歌集での歌は百人一首の歌と少し違います。
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