認識された感情とその功罪 豪奢なシャンデリアが淡い光を乱反射させ、金襴緞子張りのソファに気だるげに身体を預けて鏡夜はぼんやりと手にした写真を眺めていた。 映っているのは一人の少女。 「メリットなんざおお有りだがな…。」 小さく嘆息するとジャケットの内ポケットに写真を突っ込む。 夕刻、お客も帰って部員も帰宅したあと、迎えに来た車を断り鏡夜はひとり部室に残っていた。 夏休みが終わっていつもの騒がしさが学校に戻り、いつものように部員たちがハルヒを取り合う日々が始まった。 自分もいつものように振舞っているつもりである。 でも一旦認めてしまえばこんなにも自分の胸のうちは苦しくて焦燥感に苦しめられる。 鏡夜は再び溜息をついた。 こんなこと環が知ればどうなることかと思うと頭が痛い。 何より。 真剣(マジ)になってる自分にとまどっている。 借金を肩にハルヒをこのホスト部に入部させたのだが、マジになっている今、自分のやってることに吐き気すら覚える始末だ。 借金なぞどうでもいいことなのだ。 単にヒマ潰しと何がしかの変化を求めてハルヒを入部させただけなのだから。 だが今は。 ハルヒを退部させてしまいたい気持ちと、このまま側に留めていたい気持ちがせめぎあっている。 「俺らしくないな…。」 「ほーんとオマエらしくないな。」 呟いた鏡夜の言葉に返事が返ってくる。 鏡夜はちらりと視線をドアに向けた。 ドアの前には鏡夜よりやや長身の男。 この部の部長、環が立っていた。 「オマエが帰らねーって連絡を受けてな。」 環はつかつかと部長用のマホガニーのアンティークのデスクの上に腰をかけた。 「で?何を悩んでるのかな?オカーサン?」 にやにやと環がちゃちゃを入れんばかりに鏡夜に訊ねる。 鏡夜は呆れた表情で無言で環を見つめる。 「しゃーないな。とっておきを出そう。」 環はちゃらっとポケットからキーを出すとつかつかと美麗な装飾の施されたガラスの飾り棚へと向かうと慣れた手つきでキーを回した。 中には本来なら手袋着用が当然のようなアンティークがずらりと並んでいる。 その中から最高級のバカラのブランデーグラスを取り出す。 高校なのでもちろんそれはインテリア用としてそこにおかれているものである。 「オマエな、それは…、」 鏡夜が眉を顰めて環を嗜めようとしたとき、環はマホガニーのデスクの下にもぐりこんだ。 「おっ!あったー!」 環の能天気な声に鏡夜はますます眉を顰める。 「おまえに見つからんかったのが不思議だよな♪」 環はひょこっと顔をあげてこれだっ!と言わんばかりに一本のブランデーを取り出した。 「クルボアジェ…。」 鏡夜はがっくりと肩を落とした。 「知ってる…。放っておいただけだ。」 「あれ?知ってたの?ちぇっ、つまらねー。いつかこれをハルヒに飲ませてみよーと思ってんだよねー。」 どうせそんなことだろうと思ってはいたが、やはりハルヒの身を守るためにも撤去しておいたほうがよかったかもしれないと反省する。 しかし鏡夜の知ってる環はそんなフェアな真似はしないはずだ。 単に口先だけのこと。 「できもしないことぬかすな。」 鏡夜が環からクルボアジェを取り上げる。 バカラのグラスに琥珀色の液体を注ぐ。 「そうだな、できやしない。俺もオマエもな。」 環はグラスを手にしてブランデーを軽く回した。 鏡夜がわずかに目を見開く。 「あの日からオマエ、ハルヒに対して冷たいのな。」 環はグラスを持ったままソファに腰を下ろす。 「何も変わらないようでいて、だけどハルヒはちゃんとオマエの変化に気づいてる。」 鏡夜は苦笑した。 ハルヒのことを甘く見ていたかもしれない。 人間観察の鋭いハルヒは表面上変わらない自分の変化に気が付いてもおかしくないのだ。 「ハルヒは何も言わないよ。ただ指名数を増やす努力をしてるぐらいだ。」 それは鏡夜も気が付いていた。 指名が増えればその分ハルヒの借金は減る。 借金がなくなればハルヒは自由の身になる。 ホスト部から姿を消し、学年の違うハルヒとは会う機会が愕然と少なくなる。 「いいんじゃないか?ハルヒだって早く女の身に戻って普通に高校生活を送りたいだろう?もともとこの部には強制参加だったからな。」 早く退部してしまえばいいと思う。 会う機会もなくなれば今の情けない自分ごと忘れてしまえるだろうから。 「かわいくないねー。そんなにハルヒのことを好きな自分を認めるのが嫌なのか?」 カタンという音がして鏡夜の手に収まっていたバカラのグラスが、毛足の長い最高級のペルシア絨毯に転がった。 「うわっ!もったいねー。」 およそブルジョワとは思えぬ言葉を吐きながら、環が転がったグラスを取り上げる。 「好き…?」 鏡夜は片手で額を押さえて天井を仰ぎ見た。 大きな瞳に天然の鈍感さ。 それでいて鋭く人間を観察して相手の感情を読み取ることの出来る聡明さ。 「多分、ショックだったんだろうな…。」 鏡夜は自嘲した。 「何が?」 くっとブランデーをあおって環が鏡夜を見た。 「あいつを襲おうとして怯えてくれなかったことに。」 鏡夜の言葉に今度は環が固まる番であった。 手からカラになったバカラのグラスが落ちる。 環が衝撃を受けているのをちらりと横目で見て、ひとり悦にいる。 「ベッドに押し倒したときにちょっとでも震えてくれればね、こっちも理性を吹き飛ばせたのにな、ということだ。」 自分勝手に環をフォローするためにこんなことをしたと思い至ったハルヒだったが、本当は全然違う。 自分の腕の中に収まった彼女は鏡夜の雄の本能を刺激するには十分だった。 あのときハルヒが少しでも怯えて自分の腕から逃げ出そうとしたなら、鏡夜は間違いなくハルヒを自分のものにしただろう。 「俺のことを少しも怖いと思わなかったからな、あいつは。俺を全然意識してないということだ。やはり男としてはショックだな。」 うんうんとひとり納得する鏡夜に、環は呆然と鏡夜を見る。 「どうした、環?」 ショックを受けて何も言えない環を白々しく見遣る。 「お…おまえはーーーーっっ!!!!」 好きという感情を認めてしまえば。 何が何でもハルヒをホスト部から出さないようにするのは鏡夜のお手のもので。 ついでに知略を駆使してホスト部のほかの連中にハルヒに手を出させないのもお手のものということである。 ハルヒが退部してしまえば双子のどちらか、もしくはサイアク二人ともがハルヒに手を出すのは目に見えることなので、ハルヒ保護のためにはホスト部から自由にさせるわけにはいかない。 ホスト部に在籍させておけば確かに双子も環もハルヒにちょっかいをかけまくるだろう。 けれども自分の手元においておけばそれだけ追い払う術もあるというもの。 鏡夜にとって環も双子も怖いものではないが、自分のいないところで何をするか心配することのほうがよほど精神衛生上よろしくない。 つまりはハルヒを手元においておいた方が鏡夜にとっては都合がいい。 「環先輩っ!!!これはなんですかっっっ!!!!」 ハルヒ用と札のつけられたブランド物ペーパーバッグに入ったそれは、上品なサーモンピンクの高価そうなドレスだった。 ドレスにあわせて靴も一緒に入っている。 「俺じゃないっ!俺じゃないっ!!!」 環はぶんぶん首を振る。 そしてハルヒがちらりと双子に視線を向ける。 「「知らないっ!!俺たちは絶対知らないっ!!」」 同じようにぶんぶん首を振る彼らにハルヒの視線が厳しく投げられる。 「あれー?この服のブランド、鏡夜クンのお気に入りのお店だよぉ?」 ハニー先輩がドレスの入っていたペーパーバッグをみて声をあげた。 すると視線が一斉に鏡夜を探す。 そのときキィっとドアが開いて鏡夜が姿を現した。 「なんだハルヒ、まだ着ていないのか?早くそれを着ろ。」 皆がいっせいに愕然とした表情で鏡夜を見る。 「おまえ、この間マイセンのティーカップ、一個割っただろう?その罰だ。安心しろ、今日はミーティングだけだからな。」 にやりと眼鏡の奥で鏡夜が笑った。 ハルヒが呆然と鏡夜を見る。 確かに一週間前、片付けの最中にマイセンのティーカップを一個割ってしまった。 かなり高価なものであるし、ショックを受けてたハルヒだったが鏡夜によって借金を増やされてそれで終わったと思っていたのだ。 「おまえの借金が増えるばかりでは俺たちがつまらんだろう?罰ゲームもないとな。」 鏡夜がつかつかとハルヒに歩みより、ハルヒの背後に回る。 「さっきそのドレスにあいそうなものを見つけた。」 きらきらと光るスワロフスキーのチョーカーをハルヒの首に巻いて留める。 「わーっ!!ハルちゃん、とってもよく似合うよ〜!」 ハニー先輩がぱっと顔を輝かせて鏡を取り出す。 「お〜〜ま〜〜〜え〜〜〜っ!!!!」 環が怒りをあらわにする。 双子もあからさまにおもしろくなさそうな顔をする。 しかしそうではありながら、ハルヒの華奢な首に巻かれたチョーカーは明らかにハルヒに似合っている。 ハルヒの手にしているドレスを着れば、それはもっと似合うものに間違いない。 ようはみんな着飾ったハルヒが見たいのだ。 「早く着替えろ。罰なんだからな。」 鏡夜がハルヒの背中をロッカールームへと押す。 ハルヒは悪魔をみる気持ちで鏡夜を見上げた。 そこには悪魔のような微笑でハルヒを見る鏡夜がいて。 ハルヒは借金がなくなる日は永遠にこないのではという一抹の不安が心をよぎった。 ――FIN 2003.7.27 ☆あとがき LaLa9月号を読んで思わず書いた桜蘭高校ホスト部の二次創作(笑) みるみるは鏡夜先輩が大好きですが、ホスト部のみんなそれぞれに大好きですv 鏡夜先輩がハルヒを押し倒したところで激妄想〜(笑) |