夢衣 京の冬は寒い。 暦上は春。 梅がちらほら咲き始めているが、雪もまだ時折降り、冷たい空気が容赦なく寝殿造りの邸内に入り込んでくる。 「泰明さん」 柔らかな声が泰明の名を呼んだ。 まだ寒い日に匂いやかに春の到来を予感させる桃の襲ねも愛らしく、神子は手に何かを抱えてやってきた。 「待たせてしまってごめんなさい。」 神子はそういうと、最近慣れて来た袴の裾をつと蹴さばいて円座に座した。 「今日は何用なのだ、神子?」 泰明は少しばら色に上気した神子の顔を不思議そうに見つめた。 しかし寝不足なのであろうか。 神子の目は少し赤くなっている。 ーー何をしていたのか・・・。 神子が手にしているのは何かの包みである。 何を包んでいるか見当がつかなかったが、神子がそれを嬉しそうに、大事そうに抱えているからには自身に関係のあるものだということがおぼろげにわかった。 「あのね、泰明さんに作ってみたんだけど。」 神子がはい、と差し出した包みを泰明は丁寧に開いた。 「これは・・・?」 泰明は驚いて顔をあげた。 神子は少し照れたような表情をしている。 「お裁縫、最近習ったばかりで、いきなり狩衣とかは作れそうになかったの。だから・・・。」 包まれていたのは鳥の子色の小袖。 菊花香が焚き染められており、柔らかな香が泰明の鼻腔をくすぐる。 同じ菊花香でも神子の調合する菊花香は柔らかく、それでいて凛としたしなやかな香である。 「神子が作ったのか?」 泰明は驚いたように神子を見つめた。 「つ、作り方は女房さんたちに教えてもらったけど・・・。」 見れば神子の指先はところどころ白い布が巻かれ、痛々しそうである。 神子は照れたようにうつむいて、指を絡ませている。 神子の目が赤い理由も泰明はすぐに理解した。 夜遅くまで縫い物をしていたに違いない。 泰明は神子を抱きしめたい気持ちになる自分に、内心驚いていた。 ーー人を愛しいと思う心とはなんと不思議なのだろう。 嬉しい。 そう言ってしまえばそれまでかもしれない。 けれど胸に湧き上がる温かなものは一体何なのであろう? 神子が自分の為に慣れぬ裁縫をし、自らの指先を傷つけて仕上げてくれたこの小袖がとても大切にしたいと感じる。 神子が自分の為に費やした時間を大切にしたいと思う。 そして何より。 改めて神子を愛している自分を思い知らされる。 愛する者からの贈り物がこんなに嬉しいとは今まで知らなかったのである。 「神子・・・。」 泰明はあかねの手をそっと取った。 ほっそりとしたその手が泰明の為に作ったもの。 こんなにも神子のその手が、心が、すべてが愛しい。 「ありがとう、神子・・・。」 泰明の言葉に神子は真っ赤になって俯いた。 ーー喜んでくれたんだ。 神子は思わず頬が緩みそうになるのを必死にこらえなければならなかった。 *** その夜。 夜なべなどして泰明の小袖を縫っていたりした日々が続いていたので、神子は早々に御帳台に入るとその日はすぐに寝入ってしまった。 早くに寝たからであろうか。 一瞬、ひんやりとした春浅い冷気を頬に感じて神子は目を覚ました。 しかししん、と静まり返った神子の部屋に人の気配はほとんどなかった。 いつもなら側付きの女房らが控えているし、御簾の外では頼久をはじめとする武士団の者が警護にあたっているはずである。 それらは音を立てなくとも気配でわかるものであるが、不思議なことにそれらの気配を一切感じない。 けれど神子が気が付いたたったひとつの香。 自分の身につける菊花香とはまた違った菊花の香。 その香を神子はよく知っている。 ーー泰明さん・・・。 神子は不思議に思ってそっと起き上がった。 そのとき、御帳台の帳(とばり)がそっとめくられた。 几帳に覆われた御帳台の中に柔らかな月光が入ってくる。 月の光がこんなに明るいとは、神子はこの京に召喚されるまで知らなかった。 だから淡い月の光に照らされた人物をすぐに理解した。 その人は神子が昨夜遅くまで縫い上げた小袖を身に着けていた。 その外見とは裏腹に、どこまでも温かでそして優しくて。 その声すら神子の心を震わせ、切なく響く。 「神子・・・。」 神子の部屋に忍んできたのは他ならぬ泰明。 神子はいつからこの夜の訪れを待っていたであろうか? そっと御帳台に忍び入る泰明。 神子は一気に跳ね上がる心臓を落ち着けようと、そっと夜着の単の胸元を握り締めた。 「今宵神子のもとへ通うことを許して欲しい・・・。」 唇に触れる泰明の指先。 神子は小さく頷いた。 重なる唇。 絡み合う指と指。 見つめあうその瞳。 優しく、強く、神子を抱きしめる泰明の腕。 こんなにも人を愛せるとは泰明は知らなかった。 腕の中の存在がこれほどまでに愛しいと感じる。 神子の泰明を抱きしめる細い腕に力が入る。 「大好き、泰明さん・・・。」 泰明は神子の髪をそっと梳く。 柔らかなその髪。 その髪の一筋さえも自分のものにしたいと感じる。 「誰にも触れさせぬ・・・。」 泰明はそのまま神子をそっと押し倒した。 「神子は私だけのものだ。」 神子の白い首筋に自らの所有の証を刻む。 小さく震える神子がたまらなく愛しくて、そして自分をもっと感じさせたくて。 泰明は神子の夜着の帯を緩める。 露になる白い肌。 帳(とばり)の隙間からこぼれる月光に照らされて、青く、白く、輝くような白い肌が泰明の目に映る。 どこまでも滑らかで、しっとりとしたその肌に指を滑らし、唇を這わせていく。 切なく吐息をもらす神子に時折深く甘い口付けをする。 その吐息すらも奪うほどに。 柔らかなその唇。 絡まる舌の感触が泰明の脳を痺れさせる。 ーーもっと。 ーーもっと深く神子を。 泰明は神子の肩から夜着を滑らせる。 そして自らも衣を脱ぐ。 神子の肌を自分の肌で感じるために。 肌と肌が触れ合えば、お互いの熱を更に感じてその先にあるものを求め合う。 触れ合うだけでは足りなくて。 もっとその奥まで。 ひとつになりたくて。 言葉とはなんと不自由なのだろうか。 こんなにも愛する気持ちを伝えるのに適当な言葉が見つからない。 知らないだけかもしれない。 泰明にとって神子が最初で最後なのだから。 だからすべての想いをこめて囁く。 「愛してる。」 なんと言葉とは頼りないものであろうか。 自分の中のこれほどの恋情を伝える言葉はあまりにも儚く、頼りないものである。 だから何度も神子の耳元で囁き続ける。 他には知らないから。 免罪の呪文のように。 泰明の唇が紡ぐその言葉は神子を呪縛し絡め取っていく。 神子がそっと泰明の肌に唇を寄せる。 柔らかな神子の唇が泰明の肌を愛撫していく。 それはなんという幸福。 なんという甘美。 「愛しています・・・。泰明さん・・・。」 神子の切なく甘い声が泰明を狂わせる。 愛する喜びも、愛される喜びも、すべて神子から教えてもらった。 人とはなんと愚かで愛しい存在であろうか。 柔らかな神子の髪に指を差し入れる。 この神子の髪の一筋すら傷つけるものは許さない。 泰明は神子の身体を掻き抱く。 そのすべてを自らのものにするために・・・。 ーーFin みーたん様へ捧げます。 |