泰泰聖誕祭お礼「誕生」By 天宮生&みるみる
夢を見る

それは永遠と出会う時間(とき)


ひとつの時はすぐ近くに
いまひとつの時はしばしの時空の彼方に


ひとつは目覚め
ひとつは眠る


それぞれの永遠と出会う
その瞬間を待ち乍ら














誕生







京の鬼門に位置する一条の邸宅。
うっそうと生い茂る野のような庭では香が焚かれ、煙がゆらゆらと初秋の空へと立ち上っている。
設えられた祭壇には賢木や神酒、香炉が並び、白装束に身を包んだ男が一人、小さく呪いを唱えている。
西の空は夕闇に染まり、逢魔が時の訪れに風にゆれる桔梗が身を震わせている。

男の表情は一点の曇りもなく、迷いもない。
厳しい表情と、優雅な所作は男を若くも見せるが、見ようによってはひどく年老いているようにも見える。
男の名は安倍晴明。
京を闇の世界から守護する稀代の陰陽師。
晴明は祭壇の奥の台座に視線を集中させていた。
横たわる二体の身体。
うりふたつのその肉体はともに白く、血の気を感じさせないためか、まるで死んでいるもののようである。
いや、もしかしたらその肉体は死んだもののそれかもしれなかった。
ただ、その二つの肉体はまるで精気を感じないのである。
晴明は印を結んでいた手を解くと、香炉を厳かに取上げた。
小さな香炉は晴明の片手にすっぽりと納まる。
厳かな手つきでそっと香炉の蓋を開けると、やはり祭壇に並べられていた乳鉢の中身をひとつまみ、香炉の中にぱらぱらと落とした。
ふわりと一瞬炎があがり、すぐにかき消えると、先ほどよりももっと濃い、白い煙が立ち上がった。
晴明は静かに香炉の蓋を元に戻すと、祭壇の向こうに横たわる二体の青年の傍へと歩み寄った。
今一人の青年の傍らに香炉を置くと、晴明はその青年の額に手をかざした。

「目覚めよ・・・。」

そして小さく口の中で呪を唱える。
晴明の手が熱くなる。
目に見えない何か・・・。
陰の気が晴明の手から青年の額へと流れ込んでいく。
つ、と一筋晴明の額から汗が流れ落ちる。
きつく目を瞑り、何度も呪を繰り返す。
やがて晴明は閉じてた目を開くと、小さくため息をついた。

「やはり、か。」

自嘲ともつかぬ薄い笑みに口元を歪ませると、今一人の青年をちらりと見た。
手のひらはまだ熱く、晴明の中に残る陰の気が外へと向かって爆発しそうな勢いを持っている。
常人であれば、その陰の気の放出しようとする力に翻弄され、のたうつほどの苦しみを感じるであろう。
いや、もしかしたら自らの中の陰の気に取りこまれるかもしれない。
しかし晴明はそれを顔色ひとつ変えず、陰の気を操っている。
晴明は人差し指と中指を立て、青年の額に触れた。
温かな感触。

「目覚めよ、そしてこれがそなたの生となる。」

晴明の凛とした声に反応するかのように、青年の眼がゆっくりと開かれた。
左右色違いの瞳はどこまでも透明で、汚れを知らぬ無垢なる魂そのもののようである。
青年が目を開いたのを確認すると、晴明は力強く頷き、くるりと身体を反転させた。
そちらにはいまだ目覚めぬ今一人の青年が横たわっている。
晴明は先ほどと同じように、手のひらを青年の額にかざした。
手のひらが熱くなり、晴明の中の陰の気が青年へと流れていく。
やがて手のひらの熱がひき、晴明の中に残る陰の気は常人のそれとかわらなくなると、晴明はすうと青年の額から手をひいた。

「天狗よ。」

晴明は誰もいない庭の草木の向こうに声をかけた。
晴明の呼びかけに反応するように何もいないはずの草の茂みの中で羽音がする。

「今一人はおまえに預ける。凶星の出現はこの時代の京にのみ起こることではない。未来において現れる凶星を、私はこのものに託す。それまで天狗よ、このものをおまえに預けたい。」

晴明の言葉に羽音が大きくなる。
まるで抗議するかのように。

「今から100年の後、末法の世が訪れる。さすがに私はそれまで生きられぬ・・・。この者も生きているかどうかわからぬ・・・。だから今一人の目覚めをおまえにまかせたいのだ。」

ばさばさという羽音が何か言い募るように、興奮した様子で忙しげである。
晴明は不審に思って空を見上げた。
星を読み、未来を読む天文博士。
晴明は東の空に燃える星が流れるのを見た。
長く尾を引く白い彗星。

「・・・!」

東の空を切るように流れるその星の姿に晴明の顔がひときわ厳しいものとなる。

「天狗、あとはまかせる。」

晴明はそれだけをいうと、くるりと身を翻し、素早い動作で庭を横切った。
邸の周囲に張り巡らされた結界の向こうで空気が大きく唸っている。
晴明は邸を出ると、周囲を見回した。
深夜の都大路にはいつもであれば人通りなどほとんどない。
あっても女のもとに通うどこそこの男であろう。
しかし都大路から左京に何本か入った晴明の邸にまで都大路の喧騒が聞こえてくる。
京の南の方が明るい。

「火事・・・!」

都に火事が起これば風向きによっては多大なる被害をもたらす。
多くの死者がでればその地に亡者の魂が結ばれ、穢れをもたらすことになる。

「蛟(みずち)よ、出でよ、そして雨をもたらせ。」

晴明は一条戻り橋の上で式神の蛟を呼び出した。
すると橋の下から細く銀色に輝く鱗をきらめかせて、蛟が空へと駆けあがる。
晴明はそれを確認すると、自らも火事の現場へと急いだ。










一条の邸に残された目覚めを迎えた青年はぼんやりと空を見上げていた。
南の空が明るい。
空の明るさの中に、時折赤いものが閃く。

「・・・。」

青年は美しくも妖しい火の粉の上がる様子を見つめていた。
やがて、南の空に向かって大空を駆ける、銀色に輝く細く長いモノを見つけた。

「あれは・・・。」

青年はその銀に輝くモノに惹かれるように立ちあがった。

「蛟じゃ。晴明の式神じゃ。」

どこからともなくしゃがれた声がした。
青年が声のほうを振り向くが、人影はない。

「みずち・・・。」

青年は南の空をじっと見上げた。
そしてしっかりとした足取りで一歩を踏み出すと、迷いもなく晴明の邸を出ていったのである。
その様子を天狗は楽しそうに見ていた。
そして今一人の目覚めない青年を見やる。

「おぬしもそうなるのかのぅ?」

天狗はくっくっと笑いながら天狗の団扇を出した。
大きく一振りすると、目覚めない青年の身体がふわりと持ち上がる。
そして天狗は火の粉の上がる京の南と反対に位置する北山の方角を指し示した。
すると青年の身体は空高く上がり、はるか高み、それが人であると判別もできぬほどの高みへと昇った。
そしてそのまま天狗の指し示す方角ーー北山へと移動したのである。
天狗は青年の肉体が北山へと移動したのを確認すると、自らも晴明の邸の庭から姿を消した。








火事が起こっていたのは九条のあたり、京でも場末で庶民の住むあたりである。
一足先に火事の現場に訪れたのか、すでに厚い雷雲が集まりだしていた。
火事の勢いは強く、風は北東に吹いている。
このままでは内裏にまで火が及びかねない。
晴明は印を結んだ。

「雷神招来、急々如律令!」

晴明の呪文に呼応するかのように、稲妻が閃き、大粒の雨が降り始めた。
そのときであった。
黒雲がみるみる散っていったのである。
雲の切れ目から月が姿を見せ、晴明の式神である蛟がもがき苦しんでいる。

「?!」

晴明はことの異常さに気がついて咄嗟に自分の周りに結界を張った。

「京の夜を彩る炎の桜を散らすとはなんとも無粋だな、晴明。」

炎の向こうで一人の男の可笑しそうな声が響いた。
晴明はわずかに目を細めて男の姿を確認する。
炎の中にいるというのに、男の着物は燃えず、熱くないのか、余裕さえ見えるその口元には酷薄な笑みが刻まれている。

「この火事で多くのものが死んだ。これがおまえの望むところか?鬼よ・・・。」

晴明は鬼と呼んだ男をじっと見つめた。
炎の向こう、その男は片手に、まるで荷物か何かを持つかのような手つきで一人の少女を横抱きに抱えていた。
長い黒髪に、見たこともないような珍しい装束を身につけた少女である。
晴明はその少女に身体中の血が騒ぐのを覚えた。
身の毛もよだつ。
そう表現するべきであろうか?
感じるのは禍禍しい気。
だらりと伸びた白い腕、ゆるやかに波打つ黒髪。
人形のようでありながら、生きている人間であった。

「偶然だ。たまたまこうなっただけのこと。おまえの式を散らしたのも私ではない。この娘だ。」

鬼と呼ばれた金の髪の男は眉を顰めた。
その表情が剣呑な空気を纏う。

「京のものはみなそうだ。天災も人災もすべて我らの仕業としたがる。まあ、神より与えられた稀有なる力をもたぬゆえ、弱者はそのように何もかも自分以外のもののせいにしたがるのであろう・・・。だからだ・・・。だからこの京などいらぬのだ・・・。」

男が空いた片手で空気をなぎ払う。
とたんに勢いを増す火勢に、晴明は思わず目を瞑る。

「陰陽師よ、この火を消したいならば勝手にすればよい。だがいくらおまえでも京が滅びるのを止めることなどできはせぬ・・・。京を滅ぼすのは・・・ではなく・・・だからな。」

男の声の最後のほうは掻き消えるようで、晴明はうまく聞き取れなかった。
金の髪の男はその姿を少女とともに夜の闇へと滑り込ませて掻き消えてしまった。
京滅ぼす。
鬼。
そしてこの火。

ーーそうだ、まずはこの火を消さねばならぬ。

晴明は胸の前で印を結んだ。
式神の蛟はすでに消滅したのか気配は感じられない。
いつかまた怨霊となって再び姿を見せるであろう。
そのとき、また蛟には例えようもないほどの調伏される苦しみが襲うであろう。
しばしの哀れみを感じながらも晴明は、今目の前に広がる地獄絵図ともいえる凄惨な状況に目を向けた。
そう、この炎にまかれて怨霊と化すものがまた多く現れるであろう。

「雷神招来急々如律令・・・。」

先ほどの少女が蛟と晴明の呼んだ黒雲を払ったためであろうか、なかなか黒雲は集まらない。

ーーもっと気を集中させねば・・・!

「おんあみりたていぜいからうん、雷神招来急々如律令!」

晴明は印を結ぶ手に意識を集中させた。
その晴明の姿をいくぶん離れた個所で、先ほど晴明によって開眼させられた青年が見ていた。
青年は一心に呪言を唱える晴明を見ていた。
そして何を思ったのか、まるで子供が親の真似をするかのように、青年も晴明と同じように手を胸の前にもってくると印を結んだ。

「おんあみたりていぜいからうん・・・雷神招来急々如律令・・・。」

と唱えた。
そのとたん、鋭い稲妻が閃いた。
大粒の雨が天から降り注ぎ、一瞬にして夜の闇を照らす星々は黒雲にその淡い光を呑まれた。

「?!」

晴明は驚いて振り返った。
振り向けば少し離れたところに先ほど目覚めたばかりの青年が印を結んで一心不乱に呪言を唱えている。
青年がこの雨雲を呼んだことを晴明は即座に理解した。
雨は激しさを増し、どしゃぶりの雨の中、青年のまわりだけ青白く光り、その光りは天に向かって伸びている。
青年から発せられるのは凄まじいまでの陰陽の気。
汚れを知らぬ無垢なる魂だけが持ち得るまっさらな気である。
勢いを伸ばしていた火勢はみるみる衰え、逃げ惑う人々も足を止めて天からの恵みの雨に安堵し、感謝の念を送っていた。

「なんという・・・。」

晴明は青年をしばし見つめてた。
そしてあることに気がついた。

「陽の気が・・・!」

雨はますます勢いを増し、嵐のように斜めに殴りつけるような雨となり、稲妻は地に落ちて木々を引き裂き燃やしている。
火事はすでに鎮火し、青年のもたらした雷雨によってあらたな災害が起きようとしていた。
晴明は青年の傍に駆け寄ると青年の印を結ぶ手を解いた。
青年はちらりと晴明の姿を見るが、何も感情を表さぬ瞳はうつろである。
晴明は青年の顔の前で指を閃かせた。
青年の呪を唱える言葉が途切れ、左右異色の瞳はゆっくりと閉じられる。
身体がぐらりと傾ぎ、晴明が片手でそれを受け止めた。

「すまない・・・。」

晴明は苦渋に満ちた表情で青年を見つめた。
そして青年の額に空いた片方の手をかざした。
そして呪を唱える。
とたん青年の顔の半分に白い痣のようなものが表れた。

「雷はは木気、我故に金気をもってこれを剋す。青龍、勾陳、六合、朱雀、騰蛇、貴人、天后、大陰、玄武、大裳、白虎、天空。金気をもってこの嵐を静めよ。」

ぽうっと晴明と青年を取り巻くように、異形のモノたちが現れる。
そして恭しく晴明に一礼をすると次々に姿を消していった。
やがて雨は小ぶりになり、いつしか雷も止んだ。
晴明の式神らが嵐を静めたようである。
晴明は小さく吐息をつくと青年を抱き上げた。

「すまない・・・。」

晴明は再び青年に向かって謝罪した。
強すぎる陰の気が、青年の中で陽の気を作ることを能はなかった。
それゆえ、強すぎる陰陽の気は暴走し、制御しうることができなかった。

ーーすべての咎は私にある・・・。














「泰らかに、明らかに、そなたを泰明と名づく。」

自らの前に静かに座す青年に晴明はそういった。
そして手にしていた連珠をそっと泰明の首にかけた。

「そなたは陽の気がいまだ作り出せぬ。自らの力で陽の気が作り出せるまで、これがそなたの陽の気となる。」

連珠の先には赤みを帯びた天狗の羽根。
大小の琥珀の玉の連なった連珠を首にかけられたとき、泰明の中ではじめてすべてのものが認識されはじめた。

「幸せになるのだ、泰明。そなたが幸せを知ったとき、そのときはじめてそなたは人として完全な存在になる・・・。それまでそなたのその顔の呪いは解けぬようにしておこう。」

晴明は多くは語らなかった。
幸せになればそのときはじめて完全な人間となる、ということだけ。
泰明は晴明の前を辞すと深くため息をついた。
幸せ。
いったいどういうことなのか泰明にはさっぱりわからなかった。
そして泰明は晴明の邸の蔵書を探しに母屋の奥へと入っていった。
幸せを探しながら陰陽道の研究をはじめるのはこのころのことである。
そして今一人の青年のもとを晴明は訪れる。

「そなたにも泰明と同じ苦しみが待っているのだろうか・・・。」

いまだ目覚めぬ青年に向かって晴明は問うた。
しかし答える術を持たない青年はただその場に横たわるだけで。

「泰継。」

晴明は青年に向かって告げた。

「泰明を継ぐもの・・・。苦しみも、喜びも、そなたは泰明の生をなぞって、そなたなりの人生を歩むであろう。そなたに与えるのはこの首飾り。泰明ほどの陰の気ではないやもしれぬが、そなたも陽の気を作り出すのが困難なほど陰の気を得ているやもしれぬ。この玉はそなたに陽の気を与えるであろう・・・。」

晴明は泰継に琥珀の玉の首飾りをかけた。

「泰継・・・。幸せになるのだ・・・。幸せに・・・。」








「・・・さくら?」

泰明はふと空を見上げた。
確かに桜のはなびらが彼の手に舞い落ちてきたのだ。
しかしあたりに桜の木はない。
それどころが今の季節は秋。
桜など咲こうはずがないのだ。
薄桃色の柔らかな花びらの感触。
自然にあるがままに。
素直ともいえるその自然の美。
不思議な感触であった。
いつか・・・・。
いつかこのような出会いがあると予感させるような・・・。

「幸せとは・・・。」

師である晴明の言葉が甦る。

「いつか出会うものなのかもしれない・・・。」

泰明はつぶやくと桜の花びらをそっと握りしめた。







泰継の眠る静かな庵。
人の目に触れぬよう、結界が施されたその庵に。
一枚の色鮮やかな紅葉が風に吹かれて泰継のもとに舞い込んできた。
紅葉にはまだ早いというのに。
泰継は眠る。
いつか自らが必要とされるときまで。
訪れる出会いを夢見ながら。
目覚めれば覚えていない泡沫の夢を。
出会いと別れと、喜びと苦しみと。
泰継は眠る。
目覚めの先の生を夢見て。

いつか出会う幸せを夢見て。













ーーFIN
2002.10.12



本文:みるみる 序文&イラスト:天宮 生