ひとひらの雪の魔法 あかねは御簾の外をじっと見つめていた。 土御門の邸の庭の木々は、紅葉を終えて葉は散り梳き、冬が到来している。 しかし今年はまだ雪が降らず、冷たい北風のみが冬の寒さを伝えるばかりである。 どんよりと曇った空をあかねは小さな溜息とともに見遣る。 「神子様、どうされたましたか?」 じっと御簾の側で待ち遠しそうな顔で空を見つめるあかねに、藤姫が声をかけた。 朝の挨拶をするためにあかねのもとに訪れたのであるが、当のあかねは御簾にへばりついたまま、空を見上げてまるで外を懐かしむ籠の鳥のようである。 別段特に外出を禁止しているわけではないが、やはり寒くなってきたせいか、あかねの一人歩きは一時期に比べれば格段に減ったといえる。 それはそれで藤姫の心配が少なくて済むので、喜ばしいことであるがこんな風に何かを待つような、焦がれるようなあかねの空を見つめる表情を見れば、あかねに最終的には甘い藤姫も心配になってくる。 あかねは藤姫の言葉に振り返ると苦笑した。 「雪が降らないなあ、って思ったの。」 藤姫があかねの言葉に首を傾げる。 その様子にあかねが照れたように頭をかいた。 「あのね、私たちの世界では雪ってあまり降らないんだ。あ、もちろん降るところは降るんだけどね。天真君にこっちの世界はよく雪が降るぞ、って聞いていたからとっても楽しみで。」 あかねはにっこりと笑った。 雪合戦、雪だるま、スキーにスノーボード、冬は寒いけれど楽しいシーズンでもあるのだ。 「まあ、神子様ったら。」 藤姫は笑った。 「でもそうですわねえ、いつもの年であればもう降ってもいい時期ですわ。神子様、そのうち・・・そうですね、あと二日、三日もすれば降るはずですから。先日帝からのご依頼でお天気を占いましたもの。」 「えっ?本当?藤姫!」 あかねは藤姫の言葉に思わず中腰になった。 その様子に藤姫は驚いて思わず身体を後ろへと引く。 「え・・・?ええ・・・。私の占いではそうでてますが・・・。」 「やっほー!!」 藤姫はしどろもどろで答えると、あかねはぱっと立ち上がって両腕を大きく上げて飛び跳ねた。 「み・・・みこさま・・・?」 あかねが何故そんなに喜ぶのかいまいちわからない藤姫は目をしばたかせた。 驚く藤姫に気が付いて、あかねが藤姫の前に膝を揃えてきちんと正座する。 「驚かせちゃってごめんね、藤姫。あのね、私小さい頃読んだ絵本でね、ひとひらの雪の魔法、っていうのがあってね。」 あかねはうっとりと目を泳がせた。 「冬が到来して、最初に降った雪を手にした人はひとつだけ願い事が叶うっていうお話なの。」 あかねは小さな頃に読んだ大好きな絵本を思い出していた。 一人の少女がひとひらの雪を手にして叶えられた願い。 それはその少女が大好きな冬の国の王子様に会いたいという願い。 その願いは冬の神様によって叶えられて、少女は冬の国の王子様と結婚し冬の国には春が訪れるようになったという、他愛もないお話である。 ーー今思うと冬の王子様って泰明さんみたいだ。 くすっとあかねは笑った。 あかねは御簾越しに庭を見た。 「神子様、では神子様の願い事はなんなのですか?」 藤姫があかねに問い掛けた。 いたずらっぽい微笑みにあかねは頬を朱に染める。 「ふっ・・・藤姫ぇ〜〜〜!」 ひとひらの雪の魔法があると信じてるわけではないけれど。 もし願いが叶うのならば。 あかねは頬を染めたまま愛しい人のことを考えた。 次の日も空には雲が重く垂れ込めていた。 雪が降りそうな気配である。 特に今日の朝は冷え込みが厳しかった。 昼を越えたばかりだというのに、ちっとも気温が上がらず冷たい空気が寝殿の中に入り込んでくる。 寝殿造りは夏向きに作られている為、冬の寒さをしのぐには厳しいものがある。火鉢の側で暖を取っていても、足先は冷たくちっとも温まらない。 温石(おんじゃく)を懐に入れているおかげで胸のあたりは暖かいが、足先が冷たければあまり温かくは感じられない。 「今日は降りそう・・・。」 あかねは寒さを我慢して、袿をもう更に何枚か重ねて御簾をそっとあげた。 冷たい空気があかねの肌を切りつけるようである。 「うわっさむ〜〜〜。」 それでも意を決して御簾をくぐり、簀子縁に出る。 空を見上げて。 「まだか〜〜〜。」 あかねは手を擦り合わせて息を吹きかけた。 「神子?!そのようなところで何をしてる?!」 簀子縁を渡ってこちらへ訪れる人物が驚いたように声をかけた。 あかねは驚いて声のほうを見て、あわてて御簾をくぐろうとして。 「きゃっ!」 見事に袴の裾を踏み前へとつんのめった。 御簾にぶつかっても痛くはない。 痛くはないが御簾を壊してしまうことは目に見えている。 それでも御簾を壊さないように手が掴まるものを探して空を探す。 そしてそれは叶えられた。 泰明はあかねの手を握って、ぐいっとひっぱりあかねが御簾を壊す事態から救ったのである。 あかねは自然泰明の胸に倒れこむような形になった。 「神子・・・。」 泰明はこめかみを押さえながら自分の胸に倒れこんできた少女に言う。 あかねは焦って身体を起こすべく、腕をつっぱって泰明から離れようとした。 しかし泰明の意外にも強い腕によってそれは阻まれた。 「何をしている?御簾を壊すつもりか?そんなことをしたら今日の夜は間違いなくお前は風邪をひくぞ。」 泰明の腕に押さえ込まれ、じたばたとあかねがもがく。 「あ、ありがとうございます・・・、あっ、あのっ!離してください〜〜!」 あかねはとりあえず御簾を壊さなくて済んだことに対し礼をいうと、さらに泰明の腕から逃れようとした。 それでなくとも泰明を先導してきた女房らが見ているのだ。 どうにも恥ずかしくて仕方ない。 「何をしていたのだ、神子?」 泰明はあかねを離す気など毛頭ないらしく、そのままあかねを抱き上げた。 「やすあきさんっ!」 あかねは真っ赤になって泰明に抗議する。 「問題ない。」 泰明はあかねの抗議を一蹴すると、そのまま部屋へと入った。 そんな二人の様子に女房らがくすくす笑っているので、あかねは恥ずかしくてたまらない。 ーーこの人に羞恥心ってあるのかしら・・・? あかねは真っ赤になりながらもそっと上目遣いで泰明を見る。 円座(わろうだ)の上に下ろされて少しほっとする。 女房らが几帳をずらしてあかねと泰明を隔てる。 それでも几帳の影からあかねの重ねた衣がこぼれる。 「まったく・・・、神子、もう少し落ち着け。」 泰明は憮然とした声で呟いた。 「一体このような寒い日に簀子縁に出て何をしていたのだ?」 お説教に続けての泰明の問に、あかねは苦笑いをした。 自分でも子供っぽいと思う。 絵本の魔法が本当だとも思っていない。 けれど。 ーーなんでだろう?? 自分でもどうしてあんな子供じみた童話を、今更信じるようなことをしているのかわからない。 あかねは泰明の顔を見るべく、そっと几帳の隙間からのぞき見た。 するとこちらをじっと見つめている泰明とばっちり目があってしまい、あかねはあわてて首をすくめた。 ふと衣擦れの音がしたかと思うと、珍しく女房らが下がっていくところであった。 ーーわーん、どうして私がお説教を受けるときに限って下がるかなあ??? それはもちろん自分達より泰明が、あかねをきちんと叱ってくれるからなのであるが。 泰明は几帳をずらすとあかねの顔をまじまじと覗き込んだ。 あかねの手を取ると、外気に触れたあかねの手はひんやりと冷たい。 あかねは泰明に手を取られてぽーっとなり、泰明に見つめられるまま、自分も泰明の秀麗な顔を見つめる。 「神子。」 泰明に呼ばれてあかねははっとする。 「あっ、あのっ・・・!」 何故自分が外に出ていたか泰明に説明しなければどうやら納得してもらえないようである。 あかねは言いかけて思案する。 はたしてこんな子供じみた話を納得してくれるのかどうか。 「あの・・・。」 「なんだ?」 あかねはそっと御簾のほうへ視線をうつす。 そんなあかねの様子に泰明も御簾へ視線をうつす。 「雪が降らないかな、って。」 「雪?」 あかねの言葉に泰明は眉宇を顰める。 「雪ならもう降った。今朝早く淡雪であったが。」 「ええっ?!」 泰明の言葉にあかねは驚いて、思わず中腰になる。 泰明は驚くあかねを不思議そうに見返した。 泰明は夜も明けきらぬうちから陰陽寮へ向かう道を急いでいた。 そんな中、ちらちらと雪が降ってきたのである。 その淡雪は儚げで、触れるとすぐに消えてしまうものであった。 以前の泰明なら美しいと思わなかっただろう。 しかし受けた手のひらにわずかに残った水滴が、鬼との戦いの最中のあかねを思い起こさせた。 最後の物忌みの日、意識を飛ばしたあかねはこの淡雪のように触れれば消えてしまうような、そんな感じであった。 手のひらのわずかな水滴があかねの涙となったのか、自分の涙となったのか。 あのときあかねが龍神を呼んでいたら、自分に残されたのはこのわずかな水滴だけだったのではないかと思った。 泰明はぐっと手を握り締めた。 ーー神子を守りたい。 改めて泰明は願った。 誰に対して願ったわけではない。 それは自分自身への誓い。 あかねの側であかねを守りつづけていきたい。 二度とあかねを危険な戦いに身を置かせたくないと願う。 そんな誓いをあらたにするような儚い淡雪であった。 「ふっ・・・た・・・。」 あかねは呆然とした顔で呟いた。 がっくりと肩を落としてあかねは大きく溜息をついた。 「雪が降ったのがどうかしたのか?」 あかねの様子に泰明が訝しげに尋ねる。 「はは・・・、もういいや・・・。降ったのなら仕方ないか・・・。」 あかねが力なく呟いた。 明らかに落胆しているあかねの様子に泰明は不思議でたまらない。 泰明はあかねの顎に手をかけるとあかねの顔をまじまじと見た。 「雪が降ったら何かあるのか?」 あかねの様子から雪が降ることが何か意味があるように感じられる。 それもどうやら初雪に意味があるようだと。 顎に手をかけられ、強引に上を向かされる格好のあかねは、目の前に迫る泰明の顔に真っ赤になって泰明の手から逃れようとする。 そのあかねの様子が泰明をさらに不安にさせる。 「神子?」 泰明の問に、あかねは大きく溜息をついた。 どうやら言わなければならないようである。 ただこの話を泰明にすれば、自分の願い事を聞かれるのは間違いない。 そうすれば自分は何をどうやって答えていいものか困ってしまうのだけれど。 あかねの意を決した様子に泰明はあかねの顔を自由にした。 「あの、ですね。私のいた世界に絵本という絵巻物みたいなのがあるんです。小さな頃大好きだった絵本があって、その絵本に出てくる『ひとひらの雪の魔法』っていうのを試してみたかったんです。」 「ひとひらの雪の魔法?」 あかねは冬の王子様のことは曖昧にぼかしながらその絵本の物語を泰明に話した。 冬が到来して最初に降った雪を手にした人は冬の神様がひとつだけ願い事を叶えてくれるという御伽噺を。 泰明はあかねの話を神妙に聞いていた。 「子供っぽいかな?でも京に来てこのお話をとてもよく思い出すの。だからどうしても試してみたかったのよね。でももう降っちゃったなら仕方ないよね。」 あかねはそういうとあーあ、というように溜息をついた。 「神子、その願い事は叶うのか?」 泰明は神妙な面持ちのままあかねに尋ねた。 「やだなあ、御伽噺ですよ?本当に叶うかどうかなんてわからないし、冬の神様だっているかどうかわからないし。」 あかねはひらひらと手を振って苦笑した。 「いや・・・、私はもしかしたらこの冬最初の雪を手にしたのかもしれない・・・。」 泰明は考え込むように答えた。 もしあかねが言うように願い事が叶うのなら。 自分の願い事は叶うはずである。 「ほんと?泰明さん!泰明さんは何をお願いするんですか?」 泰明の言葉にあかねは嬉しそうに満面の笑顔で泰明の顔を覗き込んだ。 無邪気な微笑のあかねの顔を泰明はそっと挟み込んだ。 あかねは淡雪ではない。 今こうして目の前に、泰明の側にいる。 そして唯一つ泰明の願い。 こうしてあかねの側にいて、あかねを守ること。 「私の願いは冬の神とやらも、龍神も叶えることは出来ぬ。神子、おまえだけが私の願いを叶えることができるのだ・・・。」 泰明はふっと微笑んだ。 その微笑にあかねの心臓は跳ね上がる。 どきどきする胸を押さえてあかねは迫る泰明の唇を受け止める。 触れるだけの口付けを何度も繰り返され、徐々に熱を帯びて深くなる口付けに酔わされて。 やがてあかねは目を開いて泰明の顔を見上げた。 泰明はあかねの髪をかきあげながら、キスでふっくらとしたあかねの唇を指でなぞった。 「私の願いはひとつだけだ。」 泰明はふっと微笑んだ。 その秀麗な顔からは呪いが消えて。 「お前ともにあること。お前の側でお前を守りつづけたい・・・。」 あかねの耳元で囁く。 腕の中の少女を自分の中に閉じ込めるように抱きしめて。 その表情は見えなくとも泰明には容易に想像がつく。 耳まで赤くしたあかねの照れた顔が。 それでも真実だから。 言の葉に真言をのせて、泰明は自らの願いが叶うように言葉を紡ぐ。 「神子の側に居させてくれ・・・。」 わずかにあかねが頷くのを感じ、泰明はあかねを抱きしめる腕に力が入る。 「泰明さん・・・。私もね、私も同じなの・・・。泰明さんの側に居たいってお願いしたかったの・・・。」 あかねの言葉に泰明は心が震えるのがわかる。 「神子・・・。」 ひとひらの雪の魔法が二人を包むかのように、御簾の外では本格的な雪が降り始めていた。 2001.12.23 高校生の頃、一時期童話創作なんてものをやっていました。 「ひとひらの雪の魔法」はタイトルはついていなかったけど、プロットが大好きな私の創作童話です。(いろんなものに手を出していたんだな、自分) 冬の国の王子様、ふふふv誰を想像していたと思いますか?ちゃんとモデル(?)がいますのよv このお話はフリーです。 欲しい方はどうぞご自由に。(でも背景はお持ち帰りしないでくださいね) 転載される方はメール、又は掲示板に一言くださると幸いですv |