幸せになりなさい アクラムとの最後の戦いの後、八葉たちによって瘴気が祓われ鬼たちは京からいなくなった。泰明に請われあかねは自分の生まれ育った世界を捨てて、この京にとどまった。愛する人と同じ時を刻むために・・・ 泰明は師、安倍晴明の屋敷で八葉としての務めを無事終えたことを報告していた。 ひととおり報告を聞いた晴明は扇をぱちんと鳴らして閉じると愛弟子の姿をまじまじと見つめた。 整った造作、すべらかな髪。容姿は変わっていないのに以前の人形そのものの冷たさが感じられない。以前と変わらず、無駄のない物言いはあいかわらずであるし、ご丁寧に顔にかけた術が解けたにもかかわらず、自分で術をかけなおしてある。術が解けた理由なんてこちらとしてはわかりきっているのだから、何も自分にまでもそんな態度を取る必要はないのではないかと意地悪く考えてみたりもする。 しかし、泰明が思いを交わした女性ができたことは素直に喜ばしいことである。相手が龍神の神子であることは、泰明のその尋常ならざる出生の持ち主にふさわしい気もする。 ―ーま、幸せになるのだよ。 とここまでは愛すべき家族への思いである。 だが幸せいっぱいの泰明に少々意地悪してみたいと思うのもまた事実。 ―ー肝心の想い人のことはきれいに隠しおって。私に何で隠すのかねえ。 晴明はあくまで事務的な態度をとる泰明がおもしろくない。 もちろん、泰明にしてみれば隠しているのではなく、必要ないから話さないだけなのであるが。晴明にしてみれば愛弟子の恋に興味深々なのである。せっかく恋路の手伝いまでしてやったのだ、話くらいは聞かせてもらいたし、礼のひとつもしてもらいたい。 妙なことを考えていそうな師に泰明は嫌な予感は隠せない。知らず、晴明の顔をじっと見つめていた。 「八葉の務め、よくぞ果たした。先ほど帝からのご依頼で女院様のご病状が芳しくないとのこと、明日朝から祈祷することになっているので泰明も院に出向くように。」 ―ー神子に会えないか・・・。 泰明の心中はかなり落胆していた。表情は相変わらず無表情であるが師である晴明にとっては泰明の心中な晴明んて読み取るのは造作もない。 ―ーまあ、あちらにしても忙しいであろうから、しばらく泰明にはこちらの仕事を頑張ってもらおうか。私も少々ラクさせていただくよ。 「下がってよいぞ」 晴明の言葉に泰明は頭を下げて自室へと下がっていった 晴明の心中は・・・ ―ー可愛くないやつ であった。 「まあ神子様よくお似合いですわ」 ところかわってこちらは土御門邸である。病の床から戻った左大臣から当家の養女として迎え入れたいとの申し出があった。はじめあかねは戸惑ったが、この時代一人で生きていくためには(泰明のもとに転がり込んでもよかったのだがさすがにまだ乙女の身、羞恥心からそんなことはいえなかったのだ)さすがに大変である。友雅や鷹通らにも薦められて養女になる申し出を受けたのである。 以前はあちらの世界の服に水干を着けただけの姿であったが、左大臣家の養女という身分のため気楽な姿はさせてもらえない。小袖に袴、小袿という姿である。それでも唐衣に裳をつけた正装をしている女房たちから比べればまだ比較的楽な服装ではあるのだ。あまり文句はいえない。 「ねえ藤姫、本当にあんなことするの?」 あかねは藤姫に懇願するような瞳を向けた。藤姫はにこにことしている。 「当然ですわ。神子様は泰明殿のためにこちらの世界にお残りになられたのでしょう?名高い陰陽師様の北の方になるのですもの。京で神子様のことを知らない人がいないのと同じように泰明殿も高名な方ですわ。左大臣家としても体裁は整えなくてはなりません。」 にっこりとする藤姫にあかねはため息が出そうになった。 あんなこととはすなわち1週間後にせまった裳着のことである。 この時代の女性の成人式である。 藤姫はあかねが養女なった時から父、左大臣の依頼で裳着を行うのによい吉日を占なった。吉日が決まると、やれ招待客だの、腰結いはだれがするだの、とてんやわんやの大騒ぎである。あかねはただ呆然とその様子を見ているだけで異議を唱えることすらできなかったのである。 「おや、その美しい衣を身にまとっていられるのは私の月の姫ですか?」 御簾越しにぴったりとあかねに密着し、耳元に口を寄せ息も吹きかけんばかりにすばらしい声音の持ち主、友雅があかねの不意をついた。 「きゃあああ!」 あわててその場を離れようとしたあかねの手をしっかりにぎりぐいっと自分のほうにその身体を寄せる。泰明が見たら呪殺ものの行為である。 「おっと、深窓の姫君らしくもっとしおらしく私の胸に抱かれてほしいものだがね?」 かああっ!と耳まで赤くなって身を捩って友雅の腕から逃れようともがいた。そんな様子も愛らしいと思っている友雅は簡単に離さない。 「こうしていられるのもあと少しだけなのだからもう少し打ち解けて欲しいものだね。」 「友雅殿!」 藤姫が睨んでいる。 友雅は藤姫ににらまれて腕の中の少女を解放した。 「こわいこわい、せっかくの花のかんばせなのですから微笑んで迎えてもらいたいね。」 にらまれても全然こたえていない友雅に、あかねはばくばくする心臓を聞かれまいと大きく深呼吸して、息を整えた。 「友雅殿、神子様は裳着を迎えられたら背の君をお迎えになる身ですよ?ご無礼はこの藤が許しません。」 藤姫が開放されたあかねを背にかばうように友雅を睨みつける。友雅はおどけて両手を挙げていつもの微笑みをむける。 「おやこれは失礼したね。先日私の愛しの姫に贈った桜の袿を見かけたものだから、てっきり愛しの姫が私を待っていてくださっていると勘違いしてしまいました。」 今日、あかねが身に着けている桜の袿は確かに友雅の贈ったものである。 「これを着なければ歌の作り方を教えないって言ったのはだれでしたっけ?」 あかねが恨みがましく言ったところで百戦錬磨のこの少将が堪える筈もなくからからと笑って受け流されてしまうのだ。 友雅はあかねの教育係をしている。この時代の一般常識や歌の作り方など。この少将に教えてもらうのは実に危険なような気もするが、雅やかなこの貴族の世界でも一段とさらなる雅やかさを持つ友雅なのでその申し出を受けることにしたのだ。しかし、毎回現れるたびにあかねを困らせることばかりするのも考えものである。いつもこの場に泰明がいなくてほっとさせられるのである。 しかし、あかねの心とは裏腹にとんでもない噂が京中をめぐっていたのである。 もと八葉の橘少将殿は龍神の神子に通われている、というものである。 確かに友雅はあかねの教育係として毎日のようにあかねのもとへ通っている。あかねが泰明と想いを交わしていることは十分承知していたが、自分もまたあかねを恋しく思っている。隙あらばこの腕の中にさらって、どこか誰も知らないところへ閉じ込めてしまいたいとすら思う。だから京に流れる噂の真偽を問うものに否定する気にもならないのであった。 ―ー私に情熱を教えてくれた姫、簡単にあきらめはしないよ? 友雅の想いなどこれっぽっちも気づいていないあかねであったのである。 「あかねはにこにこと淡香色の文を眺めていた。 ―ー夕刻会いに行くー 素っ気無いといえばそれまでだが、らしいといえばらしい用件のみ記した文である。友雅あたりが見れば無粋なることこの上ない。 しかし、あかねにとってはどうでもいいことである。文に添えられた山百合がただ嬉しかったのである。 「山百合ってことはどこか山にいるってことよね。北山かな?うん、北山なら咲いてそうよね。」 日の落ちるのが遅いこの時期夕刻といっても十分明るい。久しぶりに泰明はあかねとの対面を果たすことができたのである。 久しぶりに見るあかねは眩しいくらいにきれいだった。 北山で天狗に護摩木を分けてもらうことになっているので、清明に使いに出された泰明は北山に赴いていたのである。山中で可憐に咲く山百合を見たとき、無性に神子に会いたくて式神に文を託した。院での加持祈祷は昼夜を問わず行われていたが、今日は北山への使いを頼まれている自分の当番は夜なので少しなら時間がある。その少しの時間にどうしても、一目だけでも神子に会いたかったのだ。 「神子、久しいな。息災であったか?」 あかねは訪れた泰明にぱっと顔を輝かせた。あいかわらず素っ気無い物言いであるがあかねは頓着しない。 「泰明さんこそ。女院様のご祈祷で院にこもっていたのでしょう?無理してない?」 事実、泰明の顔色は冴えず、睡眠不足で疲れていることがわかる。あかねは泰明の白磁のような額に手をのせる。 「無理などしておらぬ。だが神子がそいういのなら気をつけよう。」 といいつつも泰明は猛烈に襲ってくる睡魔にくらくらしてきた。ここ5日ほどろくに寝た覚えもない 「泰明さん大丈夫?!」 遠くで神子の声が聞こえる。冷たい神子の手が妙に心地よい。さらに何か柔らかいものに身体が抱きとめられたような気がしたがその心地よさに泰明は意識を手放したのである。 なんのことはない、あかねに抱きとめられたまま眠ってしまったのである。 ―ー寝ちゃった・・・。どーしよう・・・。 よほど疲れていたのに違いない。しばらく泰明の身体を抱くように支えていたが、泰明が寝入っているのを確認してそっと泰明の頭を自分の膝に移し、袿をするりと脱ぐと泰明に掛けた。 ふと庭に目をやると泰明の式神が心配そうにこちらを見ている。手には籠に入った木片がある。どうやら泰明が今日使いに出されたのはこの木片を得るためなのだと理解する。ということはこれをどこか、多分院に持っていかなければならないのだろう。 あかねは式神をおいでおいでと手招きした。式神は遠慮がちにあかねの傍まで来た。泰明を起こしたくないのだろう。式神まで心配するほど泰明は忙しいのであろう。 「起こした方がいいかな?」 あかねの問いに式神も困っている。 「じゃあね、晴明様にお聞きしてきてくれないかな?それを持って・・・多分護摩木だよね?女院様の加持祈祷は終わってないみたいだから多分必要なものだと思うの。それも晴明様にお渡ししてきて。お願いできる?」 式神はそっと頷くとすーっと姿を消した。 「術が解けてるよ?」 口元に笑みがこぼれる。術の解かれた泰明の顔はいっそう冴えた美しさが際だつ。自分の前でだけ解ける泰明の術にあかねは嬉しい。術の施されているときにですらその美しい姿に魅了されるものは少なくない。けれどこの術の解かれた泰明は間違いなく自分しか知らないし、そして自分だけのものだから。 ふとあかねの目にとまったもの。 いつも片側で結った泰明の髪である。 ―これ、解いたほうがいいよね・・・。 でもいいのかななんて考えてみたりして。解いたほうが寝やすいだろうし、この髪のせいで起こして早々に泰明が自分のもとから帰ってゆくのも見たくない気がする。 ―一度解いてみたかったのよね。 ためらいつつも泰明の髪紐をゆるめるとさらさらと泰明の髪がこぼれおちていった。 ―うっわー。やっぱり想像以上に綺麗! あかねはその髪で三つ編みしたい衝動にかられるのを押さえるのにかなりの時間を要したのである。 しばしのち先ほどの式神が音もなく簀子に現れた。籠に入った木片がないことから無事に渡してもらえたと考えていいだろう。 「清明様より龍神の神子様へおことづてを預かって参りました。」 「ありがとう。なんて?」 「泰明様の今宵の院でのご祈祷はお休みになられるように、かわりに晴明様が行うよし、ご安心下されませ。泰明様には体調をみて明日午の刻までに院に参られるよう、お伝えくださいませ。天狗の護摩木は確かに晴明様がお受け取りになられましたよし。」 「うん、わかった。ありがとう。清明様によろしくお願いいたしますと伝えてくださいね。」 そう伝えると式神はまた音もなくすーっと消えていった。 あたりには薄闇がひろがり夜の訪れを告げる。 「神子様灯りをおもちしました・・・きゃっ」 紙燭をもった女房が神子の部屋を見て小さく驚いた。 あかねはすっと口元に人差し指を立て、にっこり微笑んだ。女房は紙燭を置くとそそくさと出て行ってしまった。 夜闇があたりを覆うころには、いつのまにかあかねも脇息にもたれながらうつらうつらしはじめていた。 「神子、神子・・・あかね?」 身体が揺すられている。重い瞼をゆっくりと開ける 「あれ・・・?やすあきさん・・・?」 泰明が心配そうに自分を覗き込んでいる。なんだか幸せな夢の続きのようでそのまま泰明の胸に頬を寄せて腕の中に収まる。いつのまにか昨夜泰明に掛けた自分の袿が自分のもとに戻っている。 「神子・・・その私は・・・」 珍しく言葉を捜している泰明にあかねははっとして完全に覚醒した。 がばっと泰明の胸から頭を起こした。 「そうだっ!」 急に現実に引き戻される。 「晴明様からおことづてを頼まれてた!」 「お師匠の?」 珍しく泰明の顔に緊張が走る。鬼との戦いの時以来にみる険しい表情である。まずいことしたかな、と思いつつも口を開く。 「うん。昨日ね、泰明さんここに来てすぐに寝ちゃったんだ。どうしようかなって思ってたら式神さんが護摩木をもって困ってたの。だから晴明様にどうしたらいいか聞いてきてって頼んだのね・・・。」 泰明は軽く眩暈を覚えた。自分が神子のもとにきて早々に寝てしまうとはにわかに信じられない。 「でね、」 あかねが肩に掛けられただけの自分の袿に袖を通しながらさらに続ける。 「晴明様が昨夜、院で行われるご祈祷を泰明さんの代わりに行ってくださったみたいです。泰明さんは体調を見て午の刻までに院に来てくださいって・・・あれ?」 泰明はこめかみのあたりを押さえて盛大なため息をついたのである。 どうやら泰明は師匠、晴明の巧妙な罠にかかったらしいことに気が付いた。これでは帰ったら師匠からイヤミの嵐であることは間違いない。昨日連れていた式も晴明の息がかかってるとみて間違いない。 ―さんざんこきつかってさらに仕事をかわりにしてやったのだ、感謝しろとかいってくるな・・・。 いったい自分が師匠の機嫌を損ねるような何をしたのだろうか。 考えてもわからない。ふと神子の視線を感じてそちらを見ると、あかねの今にも泣き出しそうな顔にぶつかった。 ―泣かせるっ! と思った瞬間や泰明はあかねをかき抱いた。 「神子が悪いのではない。己が律しきれなかっただけだ。」 「でも・・・」 「神子が悪いのではない。私が悪いのだ。」 「でも無理しないでね。身体こわしちゃうよ・・・?」 神子の優しい言葉にますます腕に抱く力が入りそうになる。 本当は無理をしてでも起こしてもらいたかったところである。 多分どこか、北山あたりで天狗に暗示をかけられていたのだろう、師匠の術にはまった自分が悪いのである。疲れていたとはいえ、気がつかなかった自分が情けない。 くいっ 泰明の髪がひっぱられる。そっと神子の身体を離す。神子の指に泰明の髪が絡んだのだ。 「ご、ごめんなさい。昨日寝るのに邪魔かなーって思って解いちゃった。」 あかねはばつが悪そうに頬を少し染めて泰明の髪を指からはずした。 「でも本当に綺麗な髪だよね。」 泰明にしてみればこういうことを言う神子はわからないと思う。自分にとって唯一無二の存在で、何よりも清らかで爪の先まで美しいと思う神子が自分の髪などを綺麗だという。 「神子の髪の方がはるかに美しいと私は思う。」 かあっと赤くなる神子は愛らしい。もっと見たいと思う。だが今は・・・ ―ーお師匠、いったい何を考えている、聞かせてもらうぞ。 と師匠の罠を解決する方が先であることを思い出す。 あかねの差し出した髪結いの紐でいつものように髪を結った。早くお師匠に会わねばならない。 「あ、泰明さん今角盥に水を・・・」 あかねはぱっと立ち上がった。 「神子、立つな!」 顔を洗ってもらおうと角盥の準備をしようとして立ち上がったあかねは、そのときはじめて自分の足の感覚がまったくないことに気がついたが遅かった。 身体がぐらっと傾いだ。 「きゃ・・・!」 一瞬早く泰明があかねの身体を受け止める。そしてそのまま抱き上げる。 「私を一晩中膝枕していたのであろう?」 泰明はそのまま御帳台に入った。そこには昨夜用意されて使われなかった褥がしつらえてある。褥に神子をそっとおろしてやる。 「足が痺れている時に立ってはならぬ。骨を折ることもあるのだ、思慮深くあれと言っている。」 心配させたのであろう、泰明の厳しい物言いにあかねはしゅんとなる。 その様子すら愛らしいと泰明は思わずにいられない。 ―ー本当に神子は表情がゆたかだ。 泰明はあかねの両の頬をはさみ上を向かせるとその柔らかな桜色の唇に自らのそれを重ねる。 「神子のもとでゆっくりと休めた。感謝する。今日はこれで失礼するが、また改めてゆっくりと来る。」 微笑む泰明にくらくらしそうになりながらもあかねはこっくりと頷いた。 ―ー心臓こわれちゃったら泰明さんのせいだからね・・・ 出て行こうとする泰明に少し恨みがましい視線を投げる。するとくるりと泰明が振り返った。 「神子もゆっくり休め。」 これ以上ににはない泰明の優しい顔である。 「あ、あのね、泰明さん、」 あかねが顔を赤く染めながら泰明を呼び止める。泰明は不思議そうな顔をしている。 「お文もお花もありがとう・・・とても・・・とても嬉しかったの。」 なんだか恥ずかしくて最後の方は消え入りそうな声で告げる。 「そうだな、ではまた神子に贈ろう。」 そういうと泰明はまだ夜の明けきらないうちに土御門邸をあとにしたのである。 帰り道すがら泰明は師匠、晴明に何をどういってやろうかと思案していたのだが、昨夜神子と泰明が一緒にいるところを目撃した女房と、神子の部屋から出てくる泰明を偶然見かけた舎人が噂をばらまくのにさして時間がかからないことにまったく気がついていなかったのである。 局が色めき立っている。 藤姫は敬愛する女性の名にひかれ歩みを止めて声のする方に耳を傾けた。 「まあ、本当に?」 「侍従の君が見たそうよ?」 「あら私は舎人の明輔に聞いたわ。」 「神子さまが・・・」 その時一人の女房が主人の藤姫の存在に気がついた。 「楽しそうね?私にも聞かせてほしいわ。」 大内裏朱雀門で貴人に仕える舎人たちが話している。 「そうかあ、神子様とてお人であるには違いがないのお。」 「お相手が陰陽師というのもなあ。」 「どちらもお美しい方だとか、ややが楽しみでござるなあ。」 「そうそう、その陰陽師殿は何でも昨日の院でのご祈祷を抜け出されて神子殿のもとへ通われたとか。」 「ほーうあのいつも冷たそうなお顔のあの方がのう。」 舎人たちの話を少し離れた場所で聞き耳をたてていた友雅は彼らに近づいた。 「楽しそうな話だね。私にも聞かせてもらいたいな。」 昨夜のうちに女院は容態をもちなおしたので朝を待って帝は安倍清明を伺候させた。 「女院のほうもお元気になられたそうでとても嬉しいよ、晴明。さすがである。」 「いえいえ、私だけではありませぬ。陰陽寮のものたちや、女院様のお心もちがしっかりされておられたからでしょう。本当にお元気になられてよろしゅうございました。」 晴明は平伏して謙遜した。 「そういえば今日は泰明がいないね。あれのことを冴え渡る氷の君と称する物もいてあれの伺候を楽しみにしているものもいるのにね。」 帝はゆったりと笑う。清明にしてみればかなりおもしろくない言葉である。そう、最近内裏での人気は泰明にくわれがちなのだ。数年前までは自分の姿を一目たりとも見ようと御簾内に女房たちがひしめいていたのに、今では対象が泰明に代わっているのである。位階が低く、本来ならば帝の目に止まらぬ身ではあるものの、その際だった容姿に帝からも常日頃から気にされる存在なのである。もちろん泰明を連れての御前への伺候の場合、泰明は白砂に膝をついて頭を垂れ、師、晴明を待っているだけなのであるが。しかし確実に内裏での人気は独身であり、晴明とはまた違った、人を寄せ付けない冷たい美貌の陰陽師に傾きつつあるのである。晴明は ―妻帯者ともなると人気が落ちるがな。まあ、よいか。 などと意地悪く考えてもみたりする。 晴明はここでひとつ真実(と勝手に晴明が思っているだけなのだが)を帝の耳に入れておくことにした。 泰明の未来のためにも。 「我が愚弟に対しもったいないお言葉でございます。昨日より泰明は妻問いに出ておりまして。いやいやあれも人であることには間違いないようでして、恋しい想いを抱いておったので送り出してやったのでありまする。」 帝はこの話に大変興味を抱いたようである。お傍に仕える者たちも晴明の話に驚きを隠せないようでいっせいに耳を傾けている。 「泰明が妻問いを?さぞ内裏の女官たちは悲しむであろうに。お相手は誰なのか?泰明が恋しいと思われる方はさぞ美しいかたなのだろうね。」 帝は驚いたように晴明ににじりよった。 「左大臣家の御養女となられました龍神の神子殿であります。」 ―ーなかなかやるねえ、君のお師匠殿も。 友雅は苦笑するしかなかった。 いつものように帝のお傍で他愛のない話のなか、でた話題は今朝、晴明の口から飛び出した爆弾発言であった。帝がご存知であられるということはすべからく真実とされる。なにせこの時代はメディアなんてないので身分の高い方からの情報ほど真実であるとされる。 神子の恋の相手が自分だという噂を払拭するために、帝に吹聴して晴明が手を打ったに違いない。さすがかつては内裏中の女官たちの視線を独り占めした貴公子である。愛弟子のためにここまでするかとも思ったが、噂に無頓着で女性の心に疎そうな愛弟子の恋路を晴明なりに応援していることがよくわかる。 ―ー本当はあきらめたくないのだがねえ。 最強の陰陽師二人を敵に回すのはいかな友雅でもご遠慮願いたかった。呪殺されたらかなわない。まあ、神子殿を手に入れるならば殺されてもいいと思えるのだが。 なんとなく二人を応援したい気分になったのだ。 ―ー愛する人の幸せを願って身をひけるとは、やっぱり年寄りなのかねえ。 と一人愚痴をこぼす。 ―ー泣かせるんじゃあ、ないよ? そうしたらきっと自分は彼女をさらって、本当にこの腕のなか閉じ込めてしまうから。 友雅にとって親友とも呼べる恋敵に聞かせるつもりもなく、一人彼らの恋を見守ることにしたのである。 式神が平伏している 晴明は京に流れる噂にひどく満足気である。 「お師匠!」 珍しく泰明の怒鳴り声が響く。 式神はびくっとして顔をあげる。 「ああ、お前のせいではないから・・・でもそうだな、しばらく泰明の前には姿をあらわさない方が無難だろう。」 晴明が言うか早いか式神は一枚の符に姿を変え、晴明の手に収まった。。 泰明は許しを請わず師、晴明の部屋にずかずか入ってくる。こんなに怒る泰明は初めてみるが、ちゃんと怒る姿を見て微笑まずにいられない。 「どうした泰明、しばし姿が見えぬと思っていたが?」 晴明はにこにこと人のよさそうな笑みを浮かべて泰明を見やった。 泰明の手には小さな天狗がむずと捕まれている。 「これは北山の・・・いったいどうしたことだ?」 「こいつからすべて聞き出した。何故こんなことをしたか教えてもらう!」 泰明はあかねのもとから帰り院へと足を運んだ。ところが女院は回復して陰陽師たちも解散させられており、晴明が帝のもとへ伺候したと聞いたので、そのまま次に事情を知っていそうな北山の天狗のもとを訪れたのである。泰明はあかねのもとに行きたくなるであろうから、そうなったらあかねの顔をみたら眠くなるようにとの暗示の術をかけたのが天狗で、その依頼をしたのが晴明だと聞くやいなや天狗を封印してしまったのである。天狗は理由を晴明に聞けというので天狗を連れてくることにしたのである。 「こらっ泰明!離せ、ばかもの!晴明!こやつをなんとかせいっ!」 天狗は騒ぎ立てて清明になんとかするように求める。 「これはまた・・・あなたを封印するなんて泰明も力をつけましたねえ。私から事情を説明するから、泰明、天狗の封印を解きなさい。」 晴明は扇で口元を隠して笑いをこらえるのに必死だった。 「聞けぬ。私で遊ぶだけならまだしも神子まで巻き込み、あらぬ噂を京中にばらまいたのだ。神子を傷つけることはいくらお師匠や天狗でも許せぬ!」 北山から天狗を連れて帰る途中、イノリに会ったのである。 「やるじゃん!とうとうあかねと結婚したんだって?」 と声をかけられて話を聞くうちにとんでもない噂が京に流れていることを知ったのである。そしてこの噂こそが師の目的であることを直感したのである。 「お前で遊ぶだなんて・・・そんな怖いこと私はできんよ。で、うまく守備はいったのか?」 晴明は泰明の怒声にたじろぎもせず、にこにこと泰明に聞く。 「なにがうまくいったのだ?」 泰明は晴明の言葉が理解できず眉をひそめた。 「神子殿のもとで一夜をすごしたのであろう?ちゃんと契ったか?」 晴明の言葉に泰明は顔が知らず熱くなっていった。 「お師匠!」 天狗を放り出すように離すと晴明の胸倉をつかみばからんばかりに晴明をにらみつける。 清明は人のよさそうな顔であくまでにこにことしているので、泰明も毒気が抜かれたのかいきなりそっぽ向いて搾り出すような声でひとことつぶやいた。 「寝ただけだ。」 晴明も天狗も目が点になっている。 「泰明、お前寝ただけって・・・」 天狗が泰明の顔のほうへ回りこむ。 泰明は大きくため息をひとついた。 「お師匠が5日間も代わりのものもよこさず、院での祈祷をさせてくださったからな。おかげで神子のもとで久しぶりにゆっくり寝させてもらった!」 泰明はもう、御免だとばかりに足音も高く晴明の部屋から出て行った。 「あ、まて泰明!わしの封印を解いていかんか!晴明!泰明に何とか言わんか!」 晴明は泰明の様子にあっけにとられたがすぐにくすくす笑い出した。 ―少々苛めすぎたか。会えない時間が長ければ互いにもっと情熱的に求め合うと思ったのだけれど。 思った以上に泰明を疲れさせただけのようである。しかし、京に流れる噂は二人を引き離せはしないであろう。 ―あの、橘少将ですら。 もちろん泰明は知らないであろう、橘少将が神子に恋心を抱いていたことなど。 ―あれには少々手ごわそうな相手だったからね。 晴明は一人笑みをもらしていた。 「なあに、あと数日もすれば機嫌もなおるであろう。それまでの辛抱ですよ。きっと神子殿が泰明の機嫌をなおして下さるさ。」 晴明はからからと笑った。 「CANANAN」の水蓮様に捧げました。 みるみるの拙い作品を受け取ってくださってありがとうございます。 |