口実 京に平和が訪れたある日のこと。 神子は怨霊封じで手に入れた符を見つめていた。 神子が自由に使える式神たちである。 京に平和が戻ってからこちら、この符は使われないまま神子の部屋の厨子にしまわれたままになっている。 「君達をずっと符のままにしておくのもなあ・・・。」 式として使役させられたほうがよいのか、それともこのように符の姿のまましまわれて、いつかくる仕事を待たせておくほうがいいのか、どちらが式神にとっていいのか神子は判断がつきかねていた。 通常式神を操るのは陰陽師である。 神子としての役目を終えた今、神子にとって式神は無用の長物でしかない。 「どうしたらいいのかしらねえ?」 神子は指先で符をちょんちょんとつついた。 とたんにみるみるうちに実体化するこまねずみ。 「龍神の神子様、何用でしょうか?」 ねずみが二匹、小首を傾げて神子を見上げる姿は愛らしい。 「用、ってわけじゃないけど・・・。あなたたちに聞きたいことがあるの。」 神子はそっと二匹のこまねずみを手のひらに乗せた。 「なんでございましょうか?神子様」 こまねずみは二匹とも目をぱちぱちさせながら神子の瞳を覗き込む。 神子は可愛らしい仕種のこまねずみたちを微笑ましく思い、思わずその目を細めた。 「うん、あのね、あなたたちが符の姿のままででいるのって、あなたたちにとってどうなのかなあって思って。」 「私たちは龍神の神子様の式にございます。神子様が我らを使役してくださることによって、私たちが怨霊であったときの業が浄化されていくのでございます。」 こまねずみたちの答えに神子は困ってしまった。 彼らがその業をあがなうためには神子が式である彼らを使役しなければならないという。 「もっと強い・・・、鬼神であれば業というものをあがなうために式となるわけではありません。純粋にお使えする方を親愛して式となります。でも私たちにはそれだけの力はありませぬ。ご主人にお仕えしてはじめてその業があがなわれるのでございます。」 こまねずみたちは恭しく平伏した。 しかし式を使役することに慣れない神子には、どうやって式を使役してよいか皆目見当がつかない。 「神子。式か?」 泰明が庇の間に現れた。 女房達が几帳の準備をするべく忙しげに立ち回り始める。 「きゃあ!み、みこさまっ!!あ、あやしのもの!!」 女房の一人が神子の手にしているこまねずみたちを見て、驚いて声をあげた。 女房らは右往左往しながら、こけつまろびつ、神子の部屋から逃げ出していった。 泰明と二人っきりに取り残された神子はしばし呆然していた。 「こまねずみか・・・?」 泰明が静かな口調で神子に問い掛けた。 そして御簾をあげると、そのまま神子の側に寄る。 神子の手にしているこまねずみたちを泰明が覗き込んだ。 泰明は力ある陰陽師である。 こまねずみたちもそれがわかるのか、小さなその体をさらにちぢこませて泰明の視線から逃れようとする。 「みんなこの子たちが怖いのかな・・・。」 神子として怨霊封じに奔走していたときは、さすがに怨霊の見目形に怖いという気持ちはしたけれど、封印して後は神子を含め、八葉たちの手となり、足となってよく働いてくれたもの達である。 それをあのように怯えられてしまうと、神子としては少々悲しい気分である。 「人はその姿かたちで判断するものが多い。」 泰明はわずかに瞳を曇らせて抑揚のない声音で答えた。 異形のもの。 晴明様の式神。 泰明についてまわるのはどれも悪意に満ちた囁きと、人ならぬものを見る眼差しであった。 今でこそ自ら陽の気を作りだせるようになって、顔の半分を覆う呪いは消えたけれども、その異彩を放つ瞳の何もかも見通すような澄んだ眼差しは変わらない。 「泰明さん・・・。」 神子はそっと泰明の背に手を回した。 神子の優しい気が、その細い腕をもって泰明を包み込む。 「すまない・・・。神子は違ったな。」 泰明は柔らかな神子の体を抱きしめた。 いつの間にやら神子の手から離れたこまねずみたちは、きょろきょろとあたりを見回している。 そして泰明と神子を隔てる予定だった几帳を見つけると、小さな体からは想像もできないような力で移動させ始めた。そして二人の姿が外から見られないように、御簾をさえぎるように几帳を置いた。 「あ、あの泰明さん・・・?」 神子はこまねずみたちが几帳を動かしたことに驚いて、思わず泰明の腕から逃れようとした。 しかしそれを泰明が許すはずもなく。 泰明の、神子を抱きしめる腕に力が入る。 「問題ない。」 そういうと、泰明は神子に口付けた。 こまねずみたちのおかげで人目に触れることもなく。 恋人達の甘やかなひと時をお互いの唇で感じて。 春浅い、柔らかな空気が二人を包む。 「なんだか押し切られた気がするのは私の気のせいかなあ・・・。」 神子はこめかみを指先で抑えて溜息をついた。 泰明は神子の式神たちを使役するいい方法があると言った。 土御門の邸では女房や家人が大勢いる為、式神を使役させることは困難である。 あのままでは式神たちは符の姿のまま、怨霊であったときの業をあがなうこともできぬまま、仕えるべき主君がいなくなってしまえば再び怨霊となるかもしれなくなるのだ。 音もなく不意に女房が現れる。 「神子様、土御門の邸からのお荷物はもうありませんか?」 「あ、ハイ。もうありません。」 神子は慌てて答えた。 そして思い出したように女房に声をかけた。 「あ、古鏡さん、泰明さんは帰ってきましたか?」 とたん女房が眉間に皺を寄せてむっとした顔をする。 もとが美しい顔立ちなだけに、眉を顰めたその表情は凄みがある。 いやそれは彼女がもと怨霊だったせいなのかもしれない。 「みーこーさーまー?」 神子はその恐ろしく歪められた女房の顔を見て、はっとする。 「ご、ごめんなさいっ!新しい名前をつけていただいたんだっけ。え、と・・・。」 元怨霊古鏡の形相に、神子はあわてて彼女につけられた新しい真名を思い出そうとした。 「桂ですわっ!以降、古鏡とは呼ばないでくださいませっ!」 女房はそういうと、足音も高く神子の部屋を出て行った。 もちろん、式なので足音など立てるはずもないのであるが。 入れ違いに泰明が入ってくる。 「神子、古鏡が怨霊のような顔つきで私の横を通り過ぎていったが何かあった・・・!」 泰明が言い終わらぬうちに、式神桂、つまり元怨霊古鏡が素早く戻ってきた。 「泰明様まで!私の名は桂です!」 凄まじい表情でそれだけいうと、桂は姿を消した。 響き渡った桂の怒声に泰明はしばし呆然としていた。 「だめだよ、泰明さん。怨霊の時の呼び名で女性を呼ぶなんって。といって私も間違えたけれど。」 神子はくすくす笑いながらきょとんとしている泰明を見た。 「式といえど女人というか。やっかいなものだ。」 泰明は小さく溜息をついた。 この新しい邸を切り盛りする女房、家人らはすべて神子の式神たちと泰明の式神たちである。 怨霊のときのままの名で呼ぶよりも、ちゃんと名前をつけてやろうということで、神子はそれぞれの怨霊に真名を与えた。 しかし今ひとつ自分が彼らの名をおぼえきれないばかりか、泰明にいたっては真名を呼ぶつもりもないらしい。 式神を使役できるようにするなら、土御門を出て新しく居を構えた方がよいという泰明の言葉に従って、勧められるまま泰明と新居を構えた。 しかしそれは二人の新しい住処。 「式などどうでもよい・・・。私は・・・。」 泰明はそういうと、神子の身体を抱き寄せた。 式のことは口実。 ただこうして神子の側にいたかっただけ。 柔らかな神子の髪を泰明の指が滑っていく。 二人で刻む時がここから始まる・・・。 ーーFIN 水都海里様へに捧げます。 |