琥珀

泰明は自宅のソファに座ってじっと考え込んでいた。
先日神子からチョコレートケーキをもらった。
それがバレンタイディのプレゼントで、神子の愛の証であったことにとても嬉しかった。
神子が自ら作ったというそのケーキは見た目はともかく、上品な甘さで甘味に慣れていない泰明にも十分美味しく感じられた。
それはそのケーキの美味しさだけでなく、神子が自ら作ったというその心に感動したからかもしれない。
そして自分を想う、神子の気持ちが嬉しかったからかもしれない。
なんにしろ、泰明はバレンタインディに神子からプレゼントをもらえたことが嬉しかったのだ。
その後、バレンタインディのお返しというホワイトディというものがあることを天真と詩紋から聞かされた。
さてお返しといっても何を返したらいいのか泰明にはさっぱり見当がつかない。

ーーお師匠はよく懇意の女人に歌を贈っていたな・・・。

しかしここは現代。
泰明が得た新しい知識ではこの世界での男女の恋愛には歌を贈りあうという習慣がないことを知った。
この世界のメディアというものによると、装身具や衣などを贈るのが一般的らしい。
しかし、泰明にとって神子は一般的な女性ではない。
全身全霊をかけてその存在を守り、慈しみ、尊敬する女性。
一般の女人のように扱うのは気が引ける。
では神子が喜ぶもので何を返したらいいか考えた。
何でもって自分の気持ちを返したらいいのかわからない。
泰明は悩んだ。
神子に何を返すべきか。
何であったら自分のこの神子への想いが伝わるか。
泰明は携帯電話を手にした。

「天真か?泰明だ。少し話したいことがある。会ってくれぬか?」

そうして泰明は天真と約束を取り付けた。




天真は頭を抱え込んでいた。
泰明の話したいこと。
それが神子へのホワイトディのお返しの相談だったからである。
少なからず、天真も神子から明らかに『義理』とわかるバレンタインチョコをもらった。
お返しはそれなりに考えてはあるが、神子の本命である泰明から何を返したらいいかという相談はあまり聞いていて嬉しくはない。
それどころか嫉妬すら感じてしまう。

「何でもいいんじゃねえの?お前の気持ちがこもっていれば。」

天真は呆れながら言った。
秀麗な美貌の泰明の困ったような顔が天真の目に映る。
途方にくれたような表情に、天真も自分の投げつけた言葉に反省をする。

ーーもしかしてあいつ、こいつのこういうところに惚れたのかも・・・。

だとしたら天然の女殺しである。
泰明の評判は大学だけでなく、天真たちの通う高等部にまで届いている。
泰明に群がる女は数知れず。
バレンタインディの日は大学構内が一時騒然とする騒ぎまで起こったほどである。
今こうして泰明と喫茶店でコーヒーを飲みながら話をしていても、泰明を盗み見る女たちの視線が感じられる。

「神子は私にとって特別な女人だ。何でもいいというわけにはいかない。」

泰明はそういうとコーヒーを一口飲む。

「だからデパートに行けばホワイトディのプレゼントのコーナーがあるから、適当に見繕えよ。オンナの喜びそうなもんいっぱいあるぜ?」

といいつつ、天真が神子に用意しているのは全く違うものではあるが。

「だが天真はそのようなものを用意しているように見えぬが。」

ーーげっ、鋭い。

泰明のすべてを見通すような射るような眼差しに天真は一瞬怯む。
天真が用意しているのは神子のサイズにあったバイク用のメットである。
もちろん受取ってくれる可能性はない。
だがいつでも神子をバイクの後ろに乗せることが出来るように、予備のメットは神子のサイズにあったものにする、というものである。
たかが義理のチョコのお返しに自分でも呆れるくらい、力が入っていると天真は思う。
それでも恋する気持ちが天真を駆り立てる。
もう望みなどほとんどないに等しいのに。

「だからっ!自分で考えろよっ!なんの因果で俺がお前にプレゼントの指南をしなけりゃならんのだっ?!」

天真はものすごく腹が立ってきた。
今目の前にいるのは自分の好きなオンナの男。
友人ではあるものの、神子を間に挟むとどうしても憎らしくなってくる。

「そーゆーことを俺に相談するな。俺は知らん。」

天真はそういうと席を立った。
とたん集められる店内の女性達の冷たい視線。

ーー災難なのは俺のほうだぞ?!

うんざりした顔で伝票を取る。

「泰明、とにかく店を出よう。」

天真がこのまま泰明を一人この喫茶店に残していくのが心配になって声をかける。
泰明も自分に向けられる異様なまでの熱い視線に気づいていたのか、天真に続いて席を立つ。
喫茶店を出たところで、偶然にも詩紋に出くわした。

「あれ?泰明さんと天真先輩、どうしたんですか?」

詩紋は驚いて声を上げた。

「詩紋、お前なんだよそのカッコ。」

天真は出くわした詩紋の存在にも驚いたが、何より詩紋の姿に驚いた。
詩紋は上品な深い草色の羽織と同色の着物を着ていたのである。

「ああ、この着物のこと?今日は聞香に行っていたんです・・・。それよりここから一旦離れた方がよさそうですね。」

詩紋は天真の問に答えながら、店の向こうから感じる殺気にも似た視線にすぐに気がついた。

「そうだ。泰明、詩紋に相談にのってもらえ。詩紋、泰明を任せた。」

天真はぽんと手を打つと、泰明の背中を詩紋の方へ押し、自分はさっさと外に止めておいたバイクに跨ると、エンジン音も軽やかにさっさとその場から姿を消してしまった。

「あ、あーと、泰明さん。僕、泰明さんちへお邪魔させてもらおうかな。」

詩紋は困ったように泰明に声をかけた。

「問題ない。」

泰明の答えは明瞭である。

そして二人は泰明の部屋へと場所を移す。
詩紋は泰明の話を聞くべく、手早くキッチンでお茶を入れ始めた。

「ホワイトディのお返しかぁ・・・。」

詩紋は淹れたお茶を飲みながら、うーんと首を捻った。
先日神子からもらった『義理』チョコではあるが、尊敬する女性である神子へのプレゼントには今回は特別なものを考えていた。

「僕、最近香道をはじめたんですよ。お香でもプレゼントしようかなあって考えてますけど・・・。ほら。」

詩紋は小さな包みを見せた。

「菊花香だよ。泰明さんも好きな香だよね。」

泰明は考え込んだ。
そう、菊花香は泰明の好きな香り。
偶然か否か神子も好きな香りである。
これなら神子もとても喜ぶであろう。
神子の微笑が見えるようである。
しかし泰明には神子の微笑をどうやって引き出せるのかわからない。

「神子は何が喜ぶであろう?私は神子の喜ぶものがわからないのだ・・・。」

泰明は溜息をついた。

「神子が自らその手で作り、私に愛をくれたというのに私は自分の想いを伝える術を持たぬ・・・。」

ーー天真先輩が逃げ出した気持ちがわかるなあ・・・。

詩紋は困ってしまった。
泰明は真剣に悩んで相談しているのであるが、聞かされるほうはどう考えても惚気を聞かされているとしか思えない。
詩紋はこれは早いとこ泰明に入れ知恵して早々に退散しなければ、と考えた。

「あ、泰明さんいい方法があるよ。」

詩紋はにっこり笑った。

「あのね・・・。」






「泰明さん?」

3月14日
神子は泰明に呼び出されて泰明のマンションへとやってきた。
勝手知ったる部屋とはいえ、一応呼び鈴を鳴らしてから玄関のドアを開ける。
とたん部屋の中から甘い香りが漂い、神子の鼻に届いた。

「な、なに?????」

神子はその香りに驚いて、あわててキッチンへと急ぐ。

「神子、早かったな。もう少し待っていてくれ。まだ固まっておらぬのだ。」

泰明はキッチンで忙しげに洗物をしていた。

「泰明さん、何をしているんですか?私やりますよ!」

神子はそういうと、いつも置いてある自分用のエプロンをさっと身に着けた。

「よい。私がやりたいのだ。」

泰明はそういうと、神子に場所を譲ることもなく、鮮やかな手つきで洗物を片付けていく。

「わかりました・・・。ところでこの甘い香りは何なのですか?カラメルでも作っていたんですか?」

神子はそういうとキッチンのダクトを回した。
とにかくこの甘い香りを排気しなければならない。

「からめる・・・?いや私が作り方を教わったのはそのようなものではない。」

泰明は洗物を片付けると、タオルで手を拭いた。
傍らでは神子がお茶を淹れるべく、ポットのお湯を確認し、ティーパックを用意している。

「へ?教わった?誰に?何を?」

神子は泰明の言葉に驚いて、顔を上げた。
泰明がバットの中身を確認している。

「もうよいか・・・。」

泰明の様子に神子がバットの中を覗き込む。
アルミ箔のひかれたバットに並ぶのは琥珀色した綺麗なキャンディであった。
神子は驚いて泰明の顔を見た。

「詩紋に作り方を教わったのだ。べっこうあめ、というものらしい。」

泰明は困ったような顔をしてそっぽ向いた。

「神子への私の気持ちだ。」

神子は驚いた顔で泰明を見た。
そっぽ向いた泰明の首筋が赤い。
神子はそっとまだわずかに熱の残るべっこうあめを手に取った。
透き通る琥珀色はまるで泰明の瞳の色のようで。

「大好き、泰明さん。」

神子はべっこうあめを口に含むと泰明にそっと寄り添った。





ーーFIN



神凪涙様に捧げます。