あなたと二人
「さてと。」 エンジュはモラノ星系の惑星、エンダールに到着してアウローラ号を降りた。 街は古きよき時代のような、しっとりと落ち着いた雰囲気があり、道行く人々も穏やかな微笑みをたたえている。 この星は連邦制で、国王ではなく大統領がこの地を統治している。 都市としてはかなり成熟しており、聖獣の宇宙の中でもいち早く民主制が取り入れられた星でもある。 このような政治体制が見られるのは他には、ハーリア星系のサイガなどでも見られる。 早くにサクリアを解放した地は文明レベルもまた高い。 それだけエンジュがサクリアを運んだ量が多いということでもある。 今日はサクリアの流現のほかに、エンダールでショッピングをするつもりであった。 エンダールでは何度もショッピングをしているが、エンジュの好みのものが多い。 アンティーク風の美しいティーカップや銀のティーポット、どれも落ち着いていながら美しい一品ばかりである。 気品があり、穏やかで、そしてせつないまでに心に迫ってくる、そんな感じがするのである。 エンダールの人々の服装は、生地を多く使い、ひだ飾りの多い華やかではあるが気品のある美しい服装である。 エンジュの着ているワンピースは学生の服装ではあるが、ここエンダールでは少々地味といっていいだろう。 その服装で街中を歩いていれば、自然他の星系から来たのだということが一目でわかる。 しかし彼の目にはそんな服装のエンジュだからすぐに見つけられたのではない。 どうしたって彼の目は彼女を探さずにはいられないのだ。 一筋の閃光のような輝きを放ち、聖なる翼は目に見えなくとも、彼の瞳には映る。 だからすぐに彼女を見つけられるし、どうしても惹かれずにいられない。 だから視線が離せないのだ。 彼は街角にたたずんで、ショッピングストリートを歩きながら、ウィンドウを楽しげに覗いている少女の姿を目で追った。 楽しげにくるくると見て回る少女。 一体誰に何をあげるつもりで見ているのやら。 そう思うと、ふっと、彼の心に影が差した。 彼女の視線を自分だけに向けさせたい。 そう思ったとき、彼はすぐに行動に出た。 大きなウィンドウの帽子屋の前にたたずんで帽子を見ている彼女の隣に、彼はそっと忍び寄った。 ショーウィンドウに少女の驚きが映る。 そして。 「フランシス様!?」 少女が驚いてフランシスを見上げた。 「レディ、何を驚いてるのです…?」 フランシスは零れそうなほどに大きく目を見開いて驚くエンジュに微笑んだ。 「え?え?どうして?どうしてここにフランシス様が?」 戸惑うエンジュにフランシスがそっと手を取り、その甲に口付けをする。 「それはもちろん、レディ、あなたがここにいるからですよ…。」 頬を染めて、どうしたらいいのかわからない様子のエンジュを見てフランシスは笑った。 そしておもむろに手を掴むと、一軒のブティックへとエンジュを誘った。 淡いクリームイエローを基調とした落ち着いた雰囲気のその店にはほとんどといっていいほど服はない。 見本のようにショーウィンドウにシャンパンベージュのシルクにブラウンのレースが配された、上品なドレスと靴、帽子、手袋が飾られているだけである。 店の中には生地と、優美な曲線を描いた美しいテーブルとソファがあるだけである。 店に入るとすぐに、店員らしき女性が数人出てきた。 「これはフランシス様、ようこそ。」 年配の女性がフランシスに挨拶をする。 「お久しぶりです、マダム。先日注文したものはできていますか?」 フランシスはゆったりと微笑んだ。 ――先日注文した? エンジュはフランシスをまじまじと見た。 どうやら何度もここに足を運んでいることだけを理解する。 「ええ、出来ておりますわ。そちらのお嬢様ですね?さ、こちらへ。」 店員の言葉にフランシスがエンジュの手を離した。 数人の女性たちがエンジュを取り囲み、店の奥へと連れて行く。 エンジュは戸惑いながらフランシスを見るが、フランシスはただにっこり笑って手を振っているだけである。 しばらくしてエンジュは店の奥から出てきた。 ルビーの瞳に優しく映る、柔らかな薄紅色のシフォン生地とレースとを幾重にも重ねたドレスを着て。 真珠色の絹の靴には美しいビーズで可憐な小花が刺繍されて煌き、肘まであるレースの手袋には真珠がところどころに縫いこまれ、結い上げられた髪には白銀に輝くティアラが載せられている。 ほのかに化粧を施して、薄紅色に色づいた唇は恥ずかしそうにわななかせ、フランシスは息が止まるほどにエンジュに見惚れた。 「…レディ……!ああ、なんて素晴らしい…!」 美しいという言葉では足りない。 愛する女性の美を引き出し、その手で花を咲かせるという楽しみは、かくもフランシスを感動させた。 思った以上にエンジュは大人だったのだ。 小さな可愛いレディではない、そこにいるのは紛れもない貴婦人―レディなのだ。 「…これほどとは…!私の想像力などなんと取るに足らないものであったのでしょうか!」 フランシスはエンジュの前に膝をついた。 「私のエトワール、どうか今日の一日を私のために捧げてもらえませんか…?」 エンジュの手を取って恭しくキスをする。 エンジュはさらに頬を紅潮させた。 否だとどうしていえるであろう? 左手には9つの輝くジェムがその力の解放を待ってはいたが、今日のこの一日をフランシスのために使うことを躊躇う気持ちは微塵もなかった。 馬車に乗せられて向かった先は、大きな邸宅であった。 すでにあたりは夕闇を迎えているが、数多くの馬車や車がその邸宅の前に並んでいる。 「フランシス様、ここは…?」 街中から少し外れた郊外のその邸宅は、エンダールの街の多くの建物の中でもひときわ重厚で、気品があり、かつ、どこよりも大きかった。 しかしエンジュは気後れなどしなかった。 彼女の見てきた神鳥の宇宙の聖地の宮殿も、聖獣の宇宙の聖地の宮殿も、守護聖たちの私邸も、どれもこの屋敷に劣ることのない、それぞれに気品と品位に満ちた美しい建物ばかりだったからである。 ただそれらと今目の前にある邸宅の違いは、多くの馬車や車が並び、数多くの明かりが灯され、馬車の中にまでその賑わいを感じられることである。 「エンダールの大統領の私的なパーティーです。闇の神殿の神官からここの招待状をいただきましたので…。」 馬車がホールの入り口につくと、初老の男性がフランシスから招待状を受け取り、恭しく中へと案内した。 優雅な音楽はオーケストラの生演奏、ホールの中央ではダンスも行われている。 「フランシス様!」 ひとりの男がフランシスに声をかけてきた。 体格のしっかりとした厳めしい顔をし、口元の髭は美しく整えられている。 「この星の大統領です…お招きありがとうございます、閣下。」 フランシスが優雅に挨拶をした。 「おお、とんでもありません、フランシス様ともあろう方が私ごときに頭を下げるなど…!あなたの、女王陛下のおかげで我らはこのように豊かに穏やかに暮らせるのですから。…失礼ですがこちらは?」 大統領はエンジュを見て目を見開いた。 左腕には輝くサクリアが詰まったジェムが煌く。 感のいいものであれば、それがサクリアなのだとわかる。 「伝説のエトワールです。彼女のおかげで今この聖獣の宇宙の発展があります。私も彼女に見出されたのです…。エンジュ、こちらはエンダール連邦の大統領でニコラス。」 フランシスに紹介されてエンジュは優雅に膝を折った。 「エンジュです、縁あって女王陛下にお仕えしております。」 大統領はにこやかにエンジュの手を取って軽くキスをした。 「おお、お噂はかねがね聞いております。伝説のサクリアを運ぶエトワールですね。あなたがこの宇宙を救ったのだと…!お目にかかれて光栄です。」 大統領クラスになると、宇宙を統べる女王とその守護聖と、その周囲で宇宙を研究する機関の王立研究院のことなどの仕組みを知っているらしい。 何せ闇の守護聖のフランシスにまでパーティーの招待状を送るぐらいなのだから。 「あなたが育てた宇宙でのひとときを、ともに楽しんでいってください。」 大統領はうやうやしくエンジュに頭を下げると、ひきもきらず訪れる客たちに挨拶するべくその場を辞した。 「今日は私たちの執務を忘れて、このひとときを楽しみましょう、レディ…。」 フランシスに手を引かれて、ダンスホールへと誘われる。 冬のまぼろしの古城で、二人きりで踊ったダンスをエンジュは思い出した。 ――二人きりの約束ですよ? 流れるような音楽にフランシスがエンジュをリードする。 吐息が感じられるほどすぐ側で、フランシスがエンジュに頬を寄せる。 「みながあなたを見ています…私のエトワール…。」 闇に抱かれた白い翼をもつ聖天使。 軽やかな音楽は宇宙そのもの。 二人の踊る姿は流星のように。 その日、エンダールではいつまでも史実に残る。 この二人の訪れを。 流星のダンスを。 「ねぇ、レイチェル見て。」 アンジェリークは白の中庭の噴水の側で、水面に映る闇の守護聖とエンジュを見て微笑んだ。 「あ、フランシス、やるじゃないのー★エンジュも綺麗ね。このドレスすごく素敵!フランシスの見立てだね、やっぱり趣味がいいわよねー★」 レイチェルがアンジェリークの隣から噴水を覗き込んで、水面に映る二人の姿を見た。 ふっと画面が揺らぎ、水面に映る映像が変わる。 次に映ったのは同じエンダールにいるアリオスだった。 「アンジェリーク、そういうことだ…、まあエンダールは当面政局に不安もないだろう。闇の力がいい方向に上手く作用している。エトワールのおかげというとこか。」 アリオスが呆れたように報告をする。 「ふふふ、ありがとうアリオス。疲れたでしょう?星の小径を使って帰ってきて。あなたが帰り次第、王立研究院の定例会議を行うから。皆があなたの帰りを待ってるわ。」 アンジェリークの言葉にアリオスが微笑む。 「ふふーん、一番あなたの帰りを待ってるのは陛下だけどね★」 補佐官の発言にアンジェリークがぱっと頬を染める。 「くだらねぇこと言うな。アンジェリークがびっくりしてるだろう。」 眉間に皺を寄せて、アリオスがレイチェルに向かって低い声で抗議するも、レイチェルには一向に効かない。 「ま、私も待ってるよ、アリオス。おみやげ忘れないでね。定例会議のあとのお茶会は私の主催なんだから、私のご機嫌を損ねたらいれてあげないから★」 レイチェルの言葉にアリオスがさらにいやそうな顔をする。 定例会議のあとのお茶会は、アンジェリークとレイチェル、アリオスの三人だけの小さな茶話会である。 アンジェリークと私的な会話ができる数少ない機会なのだ。 もちろん、レイチェルはいつも気をきかして早々にその場を離れることが常なのだが。 「今から帰る。」 ぶすっとしたアリオスの声にレイチェルとアンジェリークが顔を見合わせて微笑む。 アンジェリークとアリオスのように、フランシスとエンジュが互いに必要としあう関係であることに、レイチェルは嬉しかった。 ふ、と自分を振り返る。 ――限りなく研究馬鹿で、鈍感で鈍くて、そして鋭い奴だからねー… いつかレイチェルの思いに気が付くだろう。 いやもう気が付いているのかもしれない。彼は自分を必要としてくれるのであろうか? いつかそんな日がくるといいな、と思いつつレイチェルはそっと白の中庭を出た。 回廊の先で、咲き初めの赤い薔薇の花を手に柱の影に隠れている存在に驚くのは、このすぐあと――。 |