submission

これは私の賭け。


いつかあなたが私に平伏するのを。

私に堕ちるのを。

私は待ち望んでいる――。




私はこの学校の生徒会長。
女だけど、自分で言うのも手腕はなかなか。
容姿端麗、頭脳明晰なんてのは私のためにあるような言葉よ。
自信過剰だって?
私にはそれを裏打ちすべきものがたくさんある。
だから生徒会長なんていう座にもいるのよ。
それだけ廻りから信頼されてるってこと。


そして各部の部長が集まる部長会が開かれた。
三期に一回ずつ必ず行われるこの部長会。
会議の内容によっては何回かに分けて行われることもある。
これは生徒会長権限で必要性があると判断された場合にのみ、召集がかけられる。
例えば今行われてる予算編成についての会議は一回では終わらないだろう。
頭の中で日程を確認する。
文化祭、体育祭などの議案事項の多い忙しいこの時期ではあるが、なんとか日程の都合はつけれそうである。
私はちらり、と男子テニス部を見た。
部長の幸村精一が何の表情も見せず、それぞれの部の活動内容について報告を聞いている。
そして男子テニス部の番。

「次、男子テニス部の幸村君、お願いします。」

議長の声が響いて幸村は渡されたマイクを手にした。

「…納得がいきません。」

それはそうだろう。
私は予算案で男子テニス部の予算を大幅に削った。
もちろん理由なくしてそんなことはしない。
常勝といわれた立海大付属男子テニス部が関東大会で決勝に破れた。
あの一敗の衝撃は大きい。
みながざわめく。
やはり皆もあの一敗の衝撃は大きいようである。

「常勝と言われたこの立海大付属に泥を塗ったのよ。当然でしょう。」

涼やかな声音で幸村を一瞥したのは生徒会長である。
他の役員も生徒会長の言葉に納得するように頷く。
他の部の部長達は心配そうに二人を見比べている。

「…、この件については俺の一存では決められない。部に持ち帰って協議してから改めて臨みたいと思う。生徒会長、臨時の部長会の召集を頼みたいがどうだろうか。」

予測していたセリフ。
内心笑うが表情には出さない。
私の表情はいつもにこやかで、冷静なのだから。

「そうね、幸村君は退院したばかりで部にもずっと参戦できなかったしね。じゃあ、今年春から今までの活動報告と収支報告をあわせて次の部会に報告できるように用意しておいて。私のほうも都合をつけてみます。日時が決まり次第、各部の部長には連絡がいきますからそのおつもりで。」

私の中では男子テニス部の予算削除はすでに決定事項である。
だから次の部会を行おうと、この予算案を通す自信がある。
優しい顔してるが食えない男の幸村は、私の敵じゃない。
私の敵になるのであれば。
達人(マスター)と呼ばれるアイツだけ。
きっと幸村はアイツを連れてくる。
そして。

私は彼を待っている――。

生徒会室では他の役員が口々に私への賞賛を誉めそやす。
けれど私はそれを聞き流していた。
ばかね、あなたたち。
本当の戦いは次の部会なのよ。
浮かれてないでさっさと仕事してよ。
部会の議事のまとめをして、予算案決議に必要な書類をそろえる。

「ああ、あなたたちもう帰っていいわ。私はもう少しだけやりたいことがあるから。」

私はそういうと他の役員たちを帰した。
すでに窓の外は赤く染まり、グランドの部活動中の掛け声もだんだん少なくなる。
ふ、と窓を覗くとテニスコートがライトアップされた。

――あいかわらずテニスバカなんだから。

我が立海大付属には夜でもテニスができるよう、照明設備がついている。
だから夕闇に浮かび上がったテニスコートをこの3階の部屋から一望することができるのだ。
明るいうちは窓辺に立つ私を知られてはいけない。
だから私はいつもテニスコートの照明がついてから、窓辺に立ってアイツの姿を探す。
ああ、今日も居た。

隙のない無駄のないストローク。
無表情で黙々とするテニス。
いったい何がおもしろいのかしらね。
それでも私はじっと見つめている。
電気もつけず、暗くなった部屋からひとり。
誰も気づかない。
気づかれてはいけない。
私がいつもここから見ていることを。
やがて練習を終えることにしたのか、アイツがコートからいなくなった。
私は小さく嘆息して椅子に腰掛ける。
帰ろうかな。
そう思ってかばんを手にした。
ああ、そうだ、予算案決議のためのファイル、家で検討しようか。
なんて考えてデスクの引き出しを開ける。
しかしすでに赤く染めていた部屋は夕闇にかわり、藍の色が濃くなっていて用意にファイルが見つからない。
仕方ない、電気をつけよう。
と思って顔を上げたときだった。
不意に生徒会室の電気がついたのだ。
ぎょっとして思わず電気のスイッチのある入り口へと視線を走らす。

「こんなところで何している。」

入り口に立っていたのはアイツ――柳蓮二だった。

驚きで何も言えず、ただぼんやりと柳を見つめる。

「何をしている、と聞いた。」

柳が無表情のまま私に問いかける。
そしてようやく今の状況が飲み込めた。
どうやら柳はわたしがここから見ていたことを知っていたようだ。
なぜ知ったのかはわからないけれど、電気もつけないで生徒会室にいる私を不審に思ったのだろうか。
でも私が柳を見ていたこと、絶対知られてはいけない。

「男子テニス部の予算について、よ。」

痛いところをついたはずだった。
幸村から聞いて来年の予算が大幅に削られていることをすでに聞かされているはずだろう。
なにせ柳は男子テニス部の会計をしているのだから。

「だから聞いている。何をしているのだと。」

柳が私の側まできて詰め寄る。
ぞくぞくした。
間近で柳を見て。
睨みつけるようなそんな目で私を見る。
負けられない。
この男にだけは負けられない。
私を本気にさせる男。

「ここから毎日見ていることは知っている。コートの照明がついてからでないと見ていないようだが。いつもこの部屋の電気を消して、気配を殺してここから見ているだろう。だから聞いているんだ。俺たちを挑発するような真似をなぜするのかと。」

ばれてた、ってことね。

衝撃が私の心に走るけれど、表情には一切出さない。
表情に出したら負けてしまうもの。
柳の視線を受け止める。
視線ははずさない。

「私は必要だと思われることをしただけよ。」

実際予算編成の段階で予算を削らなければならない、と判断された部活に男子テニス部が入っていた。
それは仕方のないこと。
私のせいじゃない。

じり。
追い詰められる。
彼は本気だ。

「挑発しているのは俺か。」

どん、という衝撃とともに気がつけば柳に押し倒されていた。
一瞬、ほんの一瞬私の顔が歪んだ。
押し倒された痛みを背中に感じたからだ。
反射的に起き上がろうとして、柳に両手を床に縫いとめられる。

「離して。」

冷静に言ったつもりだった。
でもその声は自分でも信じられないほどか細く、かつ恐怖に震えていた。

「そちらが先に仕掛けたんだろう?」

柳の声はあくまで冷静で、かえってそれが私の恐怖を煽る。
つとめて表情に出さないように、冷静さを保たなければ、と思うものの、恐怖に慄く体の震えが止まらない。
口の中がからからに渇いていく。
思わず舌で唇を舐めた。
そのときふ、っと柳が笑ったのだ。
そしてそのまま手を離して起き上がった。

私は思わずほっとして起き上がる。

「怖かったんだろう?」

押し倒されたときに乱れた制服のネクタイと髪を手でなでつける。

「…違うわ。」

抵抗のつもりで答えたけれど、いまだに声が震えて言葉とは裏腹に自分の恐怖を物語り、嘘だとばればれである。

「俺は計算の高い女は好きだ。お前は幸村をダシにして俺をおびき寄せるつもりだったんだろう?」

そういって柳の視線が私をまた射抜く。

そうよ。

と言ってしまうにはあまりにもプライドの高い私。
視線をあわせないようにそっぽ向いた。
つかつかとまた柳が私の耳元に唇を寄せた。

「今日のところは負けておく。しかし俺を本気にしたこと、後悔するんじゃない。」

そういって不意に唇に温かな感触を覚えた。
それはあまりにも驚いて。
私は思いっきりあとずさった。

きれいな顔。
きれいな髪。
きれいな指先。
ぞくぞくするきれいなテノール。
どうしよう。
はじめて自分のしたことに後悔する。
どうしよう。

でも期待する私がいる。

どうしよう。
彼は侮れない。
やっぱり侮れない。

ふ、と柳は微笑んだ。

「可愛いところもあるんだな。」

そういって彼は部屋から出て行った。
あとにひとり残されて。
私はどきどきするこの胸をひとりもてあます――。




でもそれとこれとは違うわ。
私は念入りにまとめられた男子テニス部の報告書を手に臨時の部長会に臨む。
案の定、幸村は柳をつれてきていた。

「わざわざ来てくださってありがとう、柳君。」

ひとこと、他人行儀な挨拶をする。
ちらり、と私を見るがその顔には何も表情が浮かんでいない。
正面に座った柳の指先とか唇にどうしても目が行きそうになる。
あの手で私を。
あの唇で私を。
あの声で私を。

翻弄したのは誰?

「というわけで、前年度と同額の予算にはいかなくとも、今回の予算が部を運営していくうえで不足しているのは明確である。早急に予算編成を組みなおしてもらいたい。」

柳の報告は実に明解だった。
報告書など読み上げてなどいない。
提出された男子テニスの現時点での収支報告書。
それをつらつら見る。
確かに無駄はない。
必要以上にお金をかけているわけでもない。
練習試合も我が校の高等部と行っている。

「なるほどね。でもあなたたちは常勝立海大付属に泥を塗った。この責任はどう取るおつもり?」

挑むような視線で柳を見る。
幸村、真田、柳は三年生。
来年、部をまとめるのは2年の切原だろうけれど、私から言わせれば心もとない。
三人の達人とも言えるテニスで全国大会を連覇してきたのに、あなたたちが三年生になったとたんこの様よ?
来年のことを考えたら常勝なんて無理もいいとこなんじゃない?

「大丈夫。」

幸村がにっこり笑う。

「精一。」

柳が幸村を振り返った。

「赤也なら大丈夫。」

にっこり笑うその笑顔。
幸村って底の知れないヤツ、なんて思う。
幸村の笑顔を見てか、柳もわずかに頬を緩ませた。
ああ、こんな微妙な変化、きっと気がつくのなんてこの会議に出席している人のどれだけなんだろう。

「我が校テニス部の層は厚い。俺たちが卒業してもきっとこの立海大付属は常勝のまま全国へと行く。」

確信に満ちた柳の言葉に私は吐息をひとつ吐いた。
だめだわ。
幸村のヒトコトが同席している他の部の部長たちの心を捉えてるもの。
そして予算案は男子テニス部の予算案を再考慮することになってこの臨時部会はお開きになった。

「生徒会長。」

呼び止める声に私は振り向いた。
そこには幸村が立っている。
まだ何か私に用でもあるの?
ちょっとイラついて投げやりな視線で幸村を見る。

「コワイ顔、台無し。」

くすくす笑う幸村に私は不快感を覚える。
何よ、コイツ。

「大丈夫だよ。」

にっこり微笑んでぽん、なんて私の頭を軽く叩いた。
まるで子供をあやすかのように。
いったい男子テニス部ってなんなのよっ!

「ちゃんと柳を見ててやって?アイツ、あれから何度も何度も生徒会室を見上げてるんだ。」

顔が朱に染まるのがわかった。
顔が熱い。
顔から火が出るという表現はこのことだったんだ。

あのことがあってから、私は生徒会室に残らなくなった。
皆と同じように帰宅する。
本当は毎日見たい。
柳のテニスしている姿がとにかく見たかった。
でもあんなことがあってから私はテニス部を見るのをやめてしまっていた。

「誰を探してるんだと思う?」

にっこり微笑む幸村の顔が悪魔に見えてくる。

「だからね、大丈夫だから。」

そういって幸村は去っていった。
生徒会室に足を運ぶ。
窓辺に立つことを頑なに拒否し続け。
それでも私は柳を見たいのだ。
もしかして踊らされていたのは私?
なんだか彼らが負けたのでさえ、計算づくだったんじゃないか、と思ってしまう。
まあ、そんなリスクをおかして得られるものがないから本当に負けたんだろうケド。

まだ明るい授業後の校内。
ここの窓からは校内の風景がよく見える。

知らず窓辺へと向かった。

「あれ?生徒会長、珍しいですね外を見るなんて。」

役員の一人が不思議そうに声をかけた。
珍しいのも当然。
ここはずっと日が落ちてからの私の秘密の指定席だったのだから。

「ここからだと本当に色んなものがわかるのね。」

さざめく木々の梢、グランドで練習している運動部の人たち。
斜め前の校舎からは合唱部の歌声。
そしてテニスコート。

あなたはずっと気がついていたんだね。









遅くなってしまった。
生徒会のことを先生と打ち合わせをしていたらあたりはすでに真っ暗。
いくらなんでもこれはヒドイ。
昇降口で靴に履き替え、校門へと急ぐ。
とそのとき校門のところに柳がいた。

「…柳?」

思わず口について出てしまった言葉。

「ほう、今日はいつになく素直なようだ。」

つかつかと柳が私の側による。

「今、帰りなの?」

柳の言葉をあえて無視して聞いた。
ぴくり、と片方の眉があがったがそれを見なかったことにする。

「ジュニア選抜に選ばれたからな…。練習は欠かせん。」

ああ、そういえば今年は真田、柳、切原が選ばれたんだっけ。
私はつらつらと文書で回ってきた報告書を思い出していた。

「どういう心境の変化だ?」

どうやら昼間窓辺に立っていたことについてのようだ。

「立ってちゃいけない?」

わざと挑戦的な言葉で柳に聞く。
柳はしばらく考え込むように黙っていたが、やがて私のほうを向いた。

「大勢の目に止まるのも会長だからか。」

だからなんなのよ。
じれったいな。
うん、とてもじれったい。
私はさっと手を伸ばした。
柳と私では身長に差がありすぎる。
私は柳の制服のネクタイを引っ張った。
自然、前かがみになる柳に顔を寄せる。

「お前は俺のものだって言ってみなさいよ。」

そういって私から柳に口付けをする。
最初驚いたみたいだったがわずかに柳の唇の端が上がったこと、私はちゃんと気がついてる。

気がつけば私は柳に抱きしめられていた。
深くなるキスは私から仕掛けたものなのに、主導権は柳にいつのまにか移っていて、柳の舌が私の中に入り込んでくる。
頭の中が真っ白になって、身体が震える。
柳が強く抱きしめていなかったらくず折れてしまいそうなほど、甘い甘いキスに酔わされて。
やがて離れた唇に柳がふ、と笑った。

「そんな顔を見られるのは俺だけだからいい。」

柳に抱きとめられたまま、震えるようなテノールで私の耳元で囁かれる悪魔の言葉。

「お前から先に仕掛けたゲームだ。最後までつきあってもらうぞ。」

私はこの日、柳蓮二とつきあうことになった。