敵情視察

は白い病院の前で何度も溜息をついた。
手にはひまわりをあしらった華やかな花束とケーキボックス。
神奈川のこの病院に立海大付属のテニス部部長が入院していると聞いて、はここまでやってきた。
とりあえず挨拶、というところである。
難病のために治療中で入院していることを知って、あの手この手でこの病院を調べたのである。
ひとりでここに来たのはほかの部員に知られたら面倒なことになりそうだったからである。
それに今レギュラー陣はそれどころではないほどに意識が高まっている。
しかし対戦相手の立海大付属の部長が入院していると聞いて、はいてもたってもいられなかったのだ。
青学の部長の手塚も入院している。
フィフティーフィフティーといえば聞こえはいいが、手塚と違って会いにいける距離にいる立海大付属の部長と一度会ってみたかったのだ。
どう転んでも同じ全国大会へ駒をすすめるもの同士である。
いつかまた対戦する可能性が高いのだ。
早いとこ幸村という人物を知っておきたいというのがあったのである。


「何しにきたのかとか言われたらどうしよう・・・、う〜ん、なんかいい口実というか、うー・・・。」


はぶつぶついいながらロビーをうろうろした。


「カーノジョ♪」


不意にの耳元の髪が一房つまみあげられて、息もかかるほどの近くで囁かれては心臓が鷲掴みにあうかのように驚いて飛び上がった。


「なっ、何っ?!」


は驚いて声の持ち主を振り返った。
そこに立っていたのはネクタイを緩めてニヤニヤとわらっている赤っぽい髪の学生だった。
手にはテニスバッグ。


「こんなとこでなにしてんだよ、青学のテニス部マネージャーさん?」


はさっと顔が青くなった。
よく見れば目の前の人物は立海大付属中学の制服を着ている。


「もしかして幸村の見舞いがてら偵察?やるねー、青学も。」


ヒュウッと口笛を鳴らす。
はますます青くなって一歩、二歩とあとずさった。
分が悪い。
こんなときは三十六計逃げるが勝ちという奴である。
何せ幸村に会いに来たのであって、間違っても立海大付属のテニス部の面々に会いに来たわけではないのだから。
そろそろとあとずさるに彼はちゃんと気がついていた。


「わ、私え、えと・・・さよならっ!」


くるっと振り返って走り出そうとしたの二の腕を掴むのはわけのないことだった。


「ちょっと待てよ。幸村に会いに来たんだろぃ?なのに帰っちまうのかよ!」


二の腕を掴まれて思わず手からケーキボックスが離れる。


「わっ!」


彼のもう一方の手がケーキボックスの底を間一髪でキャッチする。


「どんなもんだい!」


は驚いてにこにことケーキボックスを手渡す彼の姿を見た。
赤みを帯びた髪に大胆不敵なその表情。
でもどこかにくめなくてまるで少年のような素直さを見せている。


「あ、ありがとう・・・。」


はケーキボックスを受け取った。


「オレ、立海大付属中テニス部の丸井ブン太。あんたは?」


ごく自然な誘導には素直に答えた。


「青学2年、男子テニス部のマネ、です・・・。幸村部長さんにご挨拶しようと思って・・・。」


は観念した。
どうにもこの人物の前では言い逃れもごまかしもきかないように思えたのだ。
それになんとなく悪い人物ではないような印象を受けたのだ。
まるでいたずらっこがそのまま成長したような、そんな感じを覚えたのである。


「サンキュ、幸村も喜ぶって。一緒に行こ?」


ブン太がに手渡したケーキボックスを再び取る。
そしての手を掴んで歩き出した。
はすっかりブン太のペースに巻き込まれて従うしかなかった。




病室は個室だった。
個室の病室はそれだけナースの油断の許さない患者か、よほどの金持ちかが使用する。
幸村の病気がなんなのかは知らないが、あまり気楽に考えられない病気なのかもしれないと思うとは不安になった。
立海大付属のテニス部はどれだけ大変なのだろうかと想像するに難くない。
手塚を失った青学が大変なように、立海大付属も大変なのだろうと思う。


「よっ!幸村元気?」


個室のドアをノックすることもなく、ブン太はドアを開けた。


「ブン太、入るときはノックぐらいしろっていってるだろう?うん?今日は彼女連れ?」


涼やかな声がしてはおそるおそるブン太の背中から顔を出した。
窓際にパジャマ姿で立っているのが幸村だろう。
思った以上に柔和で優しげで、そして儚げな印象だった。


「はじめまして、僕は幸村精一・・・、あれ?立海のコじゃないんだ?」


はぺこりと頭を下げた。


「はじめまして、え、と私は青学2年のです・・・、あの、丸井君の彼女じゃありません。」


の言葉にブン太が唇を尖らせた。


「えー?いいじゃん、オレの彼女になれよー。」
「やっぱりね。青学ってことはテニス部のマネージャーかな?」


くすくす笑いながら幸村はに近づいた。
ははっと思い出して花束を差し出す。
そしてケーキボックスを探してブン太の手からあわててひったくる。


「大変なときに来てしまってごめんなさい。でも立海大付属の部長さんに挨拶に行ける距離なら、と思って・・・。今度うちと対戦させていただきます青学テニス部です。私はマネージャーのといいます。早くよくなってくださいね。」


の差し出したひまわりの花束に幸村はにっこり笑って受け取った。


「ありがとう、気にかけてくれたんだね、さん。こちらこそよろしく。僕がいなくても真田率いる立海大付属は十分強いから頑張ってね。」


幸村の言葉には苦笑いをした。


――スゴイ自信・・・。


でもそれはちゃんと裏打ちされたものだということもはよくわかっている。
月間プロテニスの井上が見せてくれた立海大付属の不動峰戦はその凄まじいまでの王者としての強さを見せ付けていた。
幸村がいなくても立海大付属は王者なのだ。


「う・・・、うちも負けませんよ?すっごく小生意気な1年生もいるし、抜群のテニスセンスを持ってる人もいるし、ほんと対戦し甲斐のある学校なんです。だから全力でお互い頑張りたいと思います。」


の言葉にブン太が目を見開く。
幸村も驚いたようにまじまじとを見る。
しかしは真っ直ぐにブン太を、幸村を見据えた。
簡単にはたおされない、いや勝つつもりでいるのだから。
王者だかなんだか知らない。
勝ち続けること。
今青学の皆は真っ直ぐにそれだけを考えている。
だから立海大付属に舐められたくなかった。
だからここまで来たのだから。


「おい、うちは手なんか抜かねぇぜ?やるからにはいつも100%本気だぜ?」


ブン太の声がワントーン落ちる。
その言葉にが頷く。


「もちろんです。あなたがたが今までの戦いで本気を出さないで戦った試合なんてないですから。だけどうちはそう簡単にたおせませんから。」


の言葉に幸村が噴出した。


「そうだね、関東大会も決勝となるとおいそれとは簡単にたおせないと僕も思うよ。真田には十分注意しておくよ。ブン太も十分注意するんだね。彼らはきっと簡単には勝たせてくれないだろうから。」


幸村の表情から笑みが消えた。


さん、うちは負けないよ。今までもそしてこれからも。うちを負かすつもりならそっちも全力で来るんだ。」


幸村の鋭い視線には急に不安になる。
確かに負けないつもりで、勝つつもりでいる。
けれども幸村のその強い視線にさらされて、彼が王者立海大付属を率いる部長なのだと改めて認識する。
不意に幸村はにこっと笑った。
その表情を見て、急に呼吸が楽になったような気がした。


「さ、もう帰ったほうがいいよ。真田が来るといろいろうるさいし。彼は真面目で融通が利かないところがあるから・・・。ブン太、彼女を送ってやって。」


幸村の言葉にブン太が頷く。
は恐る恐るもう一度幸村を見た。
間違いなく彼は場の空気を握ることなど容易くできる人物なのだと思い知らされる。


――この人、強い・・・。


は背筋に冷たいものが走るような気がした。
今まで跡部や手塚など強いテニスをする人を何人も見てきたが、幸村のもつ強さは今までが会ったこともない強さだった。
不意に幸村のテニスが見たいと思った。
純粋にテニスが好きだからこそ、どんなプレイをするのか見たくなった。


「あ、あの!」


の言葉に幸村が小首を傾げる。


「絶対、絶対コートに戻ってきてください!私、あなたのテニスが見たいです!楽しみに待ってますから!」


幸村は一瞬目を見開いた。
そしてにっこりと笑う。
その微笑は晴れやかで先ほどまでの微笑よりも数段輝いてみえた。
ブン太がぷっと噴出す。


「オマエ、サイコー。」


ブン太がの頭をくしゃくしゃとした。


「ちょっと何するんですかっ?!」


の抗議もなんのその、ブン太は笑っていた。


「いいマネもってるじゃん、青学も。ありがとな、幸村を見舞いに来てくれて。今まで対戦してきたとこのガッコの奴ら、誰も来なかったぜ?幸村は確かに入院してっけど、気持ちは俺らと一緒、ずっと戦ってるのにさ。ずっと孤独だったからすげー嬉しいはずだぜ。だからありがとな。」


ロビーを出ると夏の日差しがまぶしく照りつける。
は一瞬目を細めた。


「・・・あいつにもう一度コートに立ちたいって奮い立たせてくれてサンキュ。やっぱりさ、入院生活が何ヶ月も続くと凹むからさ・・・。」


手術を前に不安にならない人はいない。
自分のしたことはまちがいではなかったのだろうかと不安になっていたに、ブン太は照れくさそうに感謝を述べた。


「サンキュ、戦うのを楽しみにしてるぜ。。」


不意に名前を呼び捨てにされてが眉を顰めた。


「オレのカノジョになる話、マジ考えといてよ。オレ、のことすげー気に入ったんだ。」


ブン太のセリフには真っ赤になった。
恥ずかしげもなくよくもまあ、あったその日によく言えるもんだと半ば呆れ、半ば感心する。


「考えないわね。間に合ってますから。」


ただでさえできたてほやほや、幼馴染から彼氏に昇格した不二の扱いにどうしたいいかわからず悩む日々だというのに、これ以上何を考えろというのか、はつんとして答えた。


「間に合ってる?」


の言葉にブン太が反応する。
そしてははっとして自分の失言に激しく後悔する。


「ふ〜ん・・・、負かす。そいつぜってー負かす。」


ブン太の鋭い視線にはどっと疲れを覚える。
ああ、これで不二がブン太とあたったたらどうなるのかと思うだけで胃が痛くなりそうである。


「惚れさせてやるからな。にオレの妙技を見せてやる!」


ひとりで盛り上がり始めたブン太に疲れを覚えて早くバスが来ないかと視線を彷徨わす。
運良くバスが来た。


「あの、今日は幸村さんに会わせてくれてありがとうございました!じゃ、バスが来ましたからっ!」


バスがの前に止まる。


「あ、おい、」


バスに乗り込もうとするをブン太が声をかける。


「試合、楽しみにしてるからなっ!」


にやりと笑うブン太には思わず笑った。
どうやらブン太も相当のテニス馬鹿らしい。
返事を待たずにバスのドアが閉まる。
動き出すバスの窓からブン太を見ると大きく手を振っていた。










その夜、不二からの電話に、不二が不機嫌になったのは言うまでもない。


「全くは罪作りだよね。」


呆れるような不二の言葉には頬を膨らます。
どうして自分が罪作りだというのか。


「でもそこがのいいとこなんだよね。」


不二の言葉が微妙に何かをはらんでいるように聞こえるのは何故だろうか。


「・・・不二君、何考えてるの・・・?」


恐る恐る聞くに不二が明るく答える。


「別に、何も。」


不二の答えは明るく明朗で。
それもそのはずである。
がブン太の誘いを断ったのは、ちゃんと自分を彼氏として認めてくれているからだとわかって。
の中で、ちゃんと自分が特別の位置にいることを知らされて。
不二は嬉しかったのだ。
どうしても青学の中だけでは他の部員と同等に扱われている気がして、いまひとつ満足がいかなかったのだ。
ブン太には悪いけれど、の愛情を感じた瞬間である。


、あのね・・・。」


の耳元で自分の声が届いてる。
だから優しく、いつも以上に優しく、そして明確に意志を持って。


「ボクは負けないから。」


――君を連れて行くと、世界に連れて行く約束は必ず守るよ。


耳元の不二の言葉はいつも以上に優しく、そして真剣だった。
だからは頷いた。
携帯電話の向こうで、きっと自分が頷いたことを不二はわかっている。
世界に連れて行ってくれると約束してくれた人。
だから負けない。
きっと不二は負けない。


「勝って・・・。」


の声はか細かった。
はじめての口から聞いた不二への言葉だった。
不二は頷いた。


「信じていて。」


はこの立海大付属戦をかなり不安に思っているであろうことが手に取るようにわかる。
が不二にこんなことを言うのははじめてだから。
を世界に連れて行くと約束したのだから
不二は決意を新たにする。
絶対に勝つと心に誓った。