嫉妬


好き

その言葉の次は

いったい何があるんだろう?






「じゃあ、頼んだよ。」

テニス部顧問、竜崎スミレの言葉にはにっこりと頷いた。
手にしているのは何枚かの書類の入ったA4サイズの封筒。

「まかせください。あ、今日はこのまま家に帰ります。いいですよね?」

用事を済ませて一旦学校に戻るとなるとすでに部活動が終わっている可能性が高い。
だったらこのまま家に帰ってしまってもいいと判断しては竜崎先生に確認をとった。

「ああ、もちろんさ。時間もかかるかもしれないしね。書類は月曜日の朝にでも持ってきておくれ。」

そういって快く竜崎先生はを送り出した。
授業後、部活のはじまる時間だというのに、は制服姿のままかばんの中に書類の入った封筒を大事そうに入れ、職員室をあとにした。

校舎を出て校門へ向かう途中テニスコートが見える。
レギュラー陣は当然、部員皆が練習しているのが見えた。
みんなが一生懸命になっているのを見て、はくすり、と笑う。

さ、行かなくちゃ。

は意を決するかのようにテニスコートから視線を腕時計を見る。
時間はあまりない。
早足では校門を駆け抜けた。






「あれ?は?」

不二はきょろきょろとあたりを見回した。
いつもならベンチサイドでタオルやドリンクを準備したり、レギュラーの個々の練習メニューの確認をとったり、練習試合のスコアを取ったりと目まぐるしく動くマネージャーの姿が今日はない。

「ああ、今日は竜崎先生のおつかいでもう帰ったよ。」

大石が柔軟をしながら答える。

「竜崎先生のおつかい?」

菊丸が首を傾げる。

「ああ、全国大会出場は決まっただろ。だからその前にレギュラーだけで夏合宿をしよう、ってなったんだ。時間もあまりないから近場だろうけど、はその打ち合わせに出かけたんだ。」

大石の言葉にレギュラー陣がへえ、と頷く。

「でも大石、合宿なんて必要あるの?」

菊丸の素直な問いには皆頷く。
他のレギュラー陣も同じように思っていたらしい。

「さあ…それはどうなのかわからないな。まだ全国大会がどこで開催されるかわからないし、関東大会終わって全国大会までに少し時間があるから、体調の調整と気の緩みをなくしたいっていう思惑なんじゃないかな。夏休みに入るしね。」

ふーん、というレギュラー陣の言葉に大石はくすっと笑った。

「ま、マネージャーがいなくてやる気も半減かもしれないけど、さ、練習、練習。次は六角だからね、頑張らないと。」

大石の言葉に皆がばらばらと散っていく。
不二はひとり微笑んだ。

「どうしたのさ、不二。」

菊丸の言葉に不二はちらり、と大石を見る。

「言いえて妙、だよね。」

不二の言葉が理解できず、菊丸は首を傾げた。

がいないとやる気も半減、ってことだよ。」

そういって不二は菊丸を置いてコートへと行ってしまった。
取り残された菊丸は首を傾げるばかりである。
確かにのいない部活は華がなくて寂しい。
でも不二からそんなことばを聞くと菊丸としてはいったいどうなってるんだ?首を傾げざるをえない。

「…何かあったのかな?」

いつもの不二ならこんなことは言わないだろうし、ふーん、くらいで終わってしまうだろう。
しかし今日の不二は何か余裕すら感じる。
何が余裕なのかは皆目見当がつかないが。
その余裕とは不釣合いなあのセリフも妙である。
いったい不二に何があったのだろうか?

菊丸はぶんぶんと頭を振った。

とにかく次は六角戦である。
互いを知り尽くした間柄である。

「佐伯には負けらんないよねっ。」

うん、と伸びをしてラケットを握りなおし、コートへと走っていった。










「久しぶりだよな、。」

嬉しそうに六角の副部長、佐伯がにこにことの差し出した書類を受け取る。

「うん、ほんと久しぶり。去年の新人戦以来だっけ?」

は佐伯と並んで六角中の校内を職員室へと歩く。

「そうだね。足はどう?少しはよくなった?」

佐伯の言葉には肩をすくめた。

「ちょこっとだけね。軽く程度なら打ち合いもできるけど、試合に出れるような動きはできないよ。」

の言葉に佐伯が残念そうな顔をした。

「一緒にやりたかったんだけどなー。」

昔を思い返すのか、佐伯は一瞬遠い目をした。

「仕方ないでしょ、お互いサーブ&ボレーヤーがダブルスなんて目も当てられないよ。」

がくすり、と笑う。
佐伯のプレイスタイルはサーブ&ボレーヤー、と同じプレイスタイルである。
ということはダブルスにおいてはどうしても隙ができてしまう。
だからコーチもと佐伯をコンビにさせるのではなく、と不二をコンビにしたという経緯があるのだ。

と一緒に組めるなら俺がプレイスタイルを変えてもいい、って思ったんだけどな。」

佐伯の言葉にが笑った。
絶対無理だからである。

「ま、そんなこといわないで。それより合宿の件、了解してもらえてほんとよかったわ。」

の言葉に佐伯はますます嬉しそうに笑う。

「当然、の頼みならなんだってオーケーだって。ちょうど俺たちも合宿を考えていたし、青学とはいつも顔をあわせてるから気心も知れてるしね。でも何より楽しみなのはが合宿に来てくれることだよな。」

と嬉しそうに笑う佐伯にはぱしっと軽く佐伯の頬を叩いた。

「どうして私も行かなくちゃいけないのかしらね。それが条件、っていうのはどうかと思うけど?」

幾分声を低くして軽く佐伯を睨みつける。
そう、今回の合宿の条件は何故かも一緒であることなのだ。
もともと六角のテニス部は自分たちがやりたいようにやる、おおらかな部である。
そんな彼らに二言三言とアドバイスするのがオジィである。
だからこの合宿への条件にと一緒、というのは六角の連中、それも佐伯個人から切り出された条件と言ってもいい。
副部長といっても実質権限を握っているのは佐伯のようなものである。
1年の部長、葵は六角中テニス部の中ではムードメーカー的存在で、部の運営の実質は佐伯が握っているといっても過言ではないからだ。

「そりゃだっての水着姿がみたいじゃん・・・でっ!」

今度こそ本当に思いっきり力を込めてが佐伯の頬を引っ張った。

「えっち!」

に睨みつけられても佐伯はなお笑みを絶やさない。

「いいじゃん、減るもんじゃなし。」

佐伯の言葉にはつん、とそっぽ向いた。
そんな姿すら佐伯には可愛くて仕方がない。
佐伯はくすりと笑うとの顔を覗きこんだ。

「テニスを続けてればにまた会える、ってずっと思ってたんだ。せっかくまたこうして会えたんだし逃がすつもりはさらさらないね。」

佐伯の言葉に強い意思を感じる。
迷いのない明確な言葉。

「俺は不二に勝つよ。」

佐伯の視線は射抜くような鋭さを持っている。
はびっくりしてまじまじと佐伯を見た。

「ちょっと待ってよ、なんでそこに不二君が出てくるのよ。」

だいたい今度の六角戦で不二と佐伯が当たるかどうかすらわからないのに。
何を確信を持ってそんなことを言うのか。

「不二はが好きだろ?だから俺は不二には絶対負けたくないんだよ。」

真っ直ぐな視線でを射抜くように、にも身に覚えのあることを言われると全身が真っ赤になるような気持ちをは覚えた。

「…ふーん…、そういうわけ、なんだ。」

何もかも知っているような素振りで佐伯がを壁際に追い詰める。
は追い詰められたまま頭がパニックになる。
すでに今の佐伯はの知っている佐伯ではなかった。
まるで跡部と話をしているときのような居心地の悪さを覚える。

「不二を負かしたらチャンスを俺にもくれる?」

佐伯の言葉にはぎょっとした。
チャンスというのは?

「そしたら今度こそ、逃がさない。」

佐伯のセリフには目を見開く。
つまり今度の準決勝は負けるつもりはさらさらありません、ということである。
さらに恐ろしいのはどうやら佐伯が自分に対してマジだということを感じる。
さすがの天然鈍感でもここまでストレートに表現されては身の危険も感じるというもの。
佐伯はその指先でそっとの頬に触れる。

「不二には負けないよ。」

その言葉が重くにのしかかる。
佐伯の顔が視界いっぱいに広がり、思わずはぎゅっと目を瞑った。
頬に感じる温かな温もり。

「好きだよ、。」

一言一句、はっきりと、そして込められた明確な意思。
そのとき佐伯の名を呼ぶ声がした。

「サエさーん!」

一年生ながらに部長になった葵剣太郎である。
忌々しそうに佐伯がから離れた。
はほっとして壁から身を起こす。
葵が側に来たときにはふたりは並んで立っていた。

「やるなあ、サエさん、青学のマネージャー相手に。オジィ、今部室にいるからそっちへ行ってもらっていいかな。はじめまして、青学のマネージャーさん。ボクは葵剣太郎。ヨロシクね。」

六角テニス部の一年生にして部長である葵の登場には安心したように息を吐いた。
いくらなんでも葵がいればこれ以上の佐伯の危険なセリフと行動はないからである。
それはその通りで、佐伯はにそれ以上接近をしなかった。
そして合宿の打ち合わせをすまし、校門まで佐伯に送ってもらう。

「あのね、佐伯君。」

は意を決したように佐伯を見上げた。

「私が好きなのは不二君だよ。試合に私を賭けるのはやめて。」

見上げるの視線に佐伯は目を見開いた。
そしてくすりと笑う。

「もちろん試合にを賭けることはしないよ。でもが俺に惚れるくらいいいプレイを見せるから、そのときは遠慮なく不二を振って俺ンとこ来いってこと。」

絶対ないよね、とはあえて言わなかった。
なぜなら佐伯のプレイも見ていてわくわくするほど素晴らしいものがあるからだ。
そんな佐伯のテニスに水をさすようなことはしたくない。

「じゃ、惚れさせてみせるくらいのプレイをしてみせて。本当に惚れたら大事にしてよ?」

くすっとが笑った。
佐伯がぽす、との頭を撫ぜる。

「どこにも目が向けられなくなるくらい大事にするよ。」

くしゃくしゃと髪を撫でられて、はなんだか嬉しくて佐伯を見上げる。
こんな佐伯は昔からの、のよく知っている佐伯である。

「楽しみにしてるね、試合。」

はそういうと校門を一歩でて振り返った。

「うん、俺も楽しみにしてるよ、合宿も!」

は途端むっとする。

「水着なんて持ってこないからねっ!」

佐伯に向かって舌を出す。

「だったら裸で泳ぐのもいいぜー!」

途端には真っ赤になる。
どうしてこう、あっさりとしているのか。

「死んでもごめんだわっ!」

そういってつん、と身体の向きを直す。

「うそうそ。不二にもよろしく言っといて!」

佐伯の言葉にはちらっと振り返り、そしてにっこり微笑んで手を振った。
久しぶりに会う幼馴染は少し大人になって、の知らない面をたくさん持っていて、でも昔のように変わらない面もあった。
が電車に乗る頃にはすでに日は傾き、夕暮れが迫っていた。





自宅に帰るとすでにもう夜になっていた。
かばんを放り出し、着替えをしようと制服のリボンに手を伸ばしたそのとき、携帯が鳴った。
はかばんを漁って携帯を取り出す。
不二からだった。
小首を傾げては取る。

「不二君?どうしたの?」

『やあ、。』

電話の向こうから聞こえてくる不二の声はいつものもの。
キスをしてからこっち、不二との会話はいつも照れてしまって、まともに話すことができないのだが、今日は佐伯に会ったあとだからか、いつもより饒舌に言葉が出てくる。

『今日、部活来なかったよね?どこに行ってたのかなって思って。』

不二のにこやかな言葉には冷や汗をかく。
竜崎先生の指示で、合宿先は隠してあるのだ。

「あはは、今日は竜崎先生のお使いだよ。」

はそういうと思わず頭を掻いた。
まあ、どうせ明日試合の会場に行けば聞かれることだから別に今聞かれても同じように答えるだけ、なのだから。

『…今日の、なんだか以前に戻ったみたいだね。』

はぎくっとして携帯を取り落としそうになる。

な、な、な、なんでそんなこと言うの?!

『別に以前のがどうとか、今のがどうっていうことじゃないけど…、どこに行ったのか気になるな、と余計に思っちゃうよ?』

冷や汗たらたら、というのはまさにこのこと、とは顔から血の気がひくのを感じずにはいられない。

『…今から会える?まだ着替えてないでしょ。』

不二の言葉にはびっくりして今度こそ本当に携帯を取り落とした。
そしてそのまま部屋の窓のカーテンを勢いよく開けて外を見る。
道路に面しているその部屋を携帯片手に見上げて手を振る人物に、は今度こそ本当に疲れを覚えた。

なんという…。

仕方なく部屋を出て階段を降り、玄関へと向かう。
外では不二がにっこり笑って手を上げていた。

「心臓に悪いことしないでよ、びっくりしたじゃない、もう…。」

は大仰に溜息をついた。
しかし不二はなんのその、という態度でにっこり笑う。

「そりゃだって今日は一回もと会えなかったからね。ほんとは会わなくてもの顔を見たら帰ろうと思ってたんだけど…。」

ちら、との見る不二はいつになく真剣だった。

「帰ってくる、なんだか浮かれてたし、さっき携帯で話をしたときの感じも気になるし、ね…。」

そんなとこまで見ていたのか、と思うとは余計に疲れを覚えずにはいられない。
だいたい浮かれてる、とはなにごとだ、とも思う。
しかし久しぶりに佐伯と会って、あんな態度を取られたのは少しショックだったけれども、楽しかったのは事実で、最後には昔に戻ったような気さえしたのは事実である。
不二がそれを浮かれてる、ととったのであれば、隠し事をできるような人でないことをは改めて思わされた。

「…内緒だよ?六角中に行ってたのよ。」

の言葉に不二が目を見開いた。

「六角?佐伯と会ってたの?」

六角は次の対戦相手である。
そして佐伯はと不二の幼馴染でもある。
そして今日の大石の言葉を不二は思い出した。
合宿先に打ち合わせに行っていると。

「え…じゃあ、今度の合宿は六角なんだ?」

はこくりと頷いた。

「あー、ばれちゃったって竜崎先生にどうやって言い訳しよう。」

ぶつぶつと頬を膨らませてあらぬ方向をみてぼやいている
そのの顔を両手で挟み込むと、ぐっと真正面を向かせた。

「それで、妙に浮かれてたの?」

ぎょっとしては青くなる。

「ち、違う、そんなことないっ!」

は慌てて言い繕うと、不二はくすっと笑った。

「佐伯と何かあった?」

どきっとしては硬直する。
確かに佐伯からそのものストレートに好きだと言われたけれども、どうしてそれを不二が知っているのか。
いやそれよりも不二のカンの鋭さには驚き、言葉をなくす。
その様子に不二が小さくため息をついた。

「やっぱりね。」

その言葉にははっとする。

「ちょ、ちょっと待って!!何にもない、ほんと何にもないよっ!」

不二はくすっと笑ってそしてそして次の瞬間にはひどく真面目な顔をしてを見た。

「もちろん、何かあったら佐伯をただじゃ済まさないよ。」

そこまで言われてはさーっと青ざめた。
ちらり、上目遣いで不二を見る。

うっ!目が笑ってないってば!!

これは本気だ、と思うとは思わず一歩あとずさった。
それに不二が気がついてようやくから手を離す。

「まあね。ボクも久しぶりに佐伯とテニスをするのが楽しみなんだ。佐伯は多分D1で来るから、ボクもエージと組んでD1だよ。ま、楽しみにしてて?エージも頑張ってるしね。」

にこっと不二が微笑む。
はようやくほっとしたように微笑んだ。
不二は少し肩をすくめた。

「でも佐伯のおかげかな。がこうしてボクに普通に接してくれてるから。」

ははっとして不二を見る。

「好きだよ、。ボクを意識してくれるのは嬉しいけど、こうして普通に話してくれるがもっと好きなんだ。」

の耳元にそっと囁くように言う。
は真っ赤になってしまった。
意識していたのは事実。
意識しすぎていつものように接することができず、意識して避けていたことに少なからずの罪悪感を抱いてきたこと。

「今日は遅くにごめんね。じゃあ明日。」

耳元で囁いて、セリフの最後に触れる唇にはますます赤くなる。
手を振って駅のほうへと歩いていく不二を見つめながら、不二の唇が触れた頬にそっと指を這わせる。
熱くてどうにかなってしまいそうだった。
昼間、頬にキスした佐伯と奇しくも同じ場所。
でも不二のキスのほうがはるかに熱い。
熱くて熱くて、そして呼吸が苦しくなりそうなくらい、胸がきゅっとしなるような感じがする。
高鳴る胸の鼓動と、切なくなるほど不二のことが好きなんだと感じて。
は明日の試合に思いを馳せる。







やるね、佐伯。

不二は帰り道すがらのことを思い出す。
間違いなく佐伯のことだからを自分のものにしたい、なんて言ったのだろう。
それも幼馴染という間柄をぎくしゃくさせないようなやり方で。
けれど不二はに意識させてしまい、返って避けられることとなった。
こうなることは十分予測はしていたけれど、やはり以前のように構えることなくと話がしたい不二にとっては試練でもあった。
どうやっての警戒心を解こうか考えあぐねていたときの佐伯の登場。
結果、不二のできなかったの心を解くことをあっさりとやってのけた。
それは幼馴染という枠があるからこそできたもので、でもそれは不二にはおもしろくない。

油断がならないよね。

佐伯はするり、との心の中に入ってくる。

ボクはの心の中で特別な位置にいるのかな。

幼馴染。
同じスタートラインにいたもの同士、意識せずにはいられない。
今は一歩リードしていても、いつの間にかそのポジションが取られることもある。
不二はくすっと笑った。

まったく鈍感なお姫サマだよね、
君はいったいどれだけの心を惑わせるんだろう?
でもボクは負けるつもりはないよ。
テニスでも、君のことでも。

流れる街の明かりを見ながら。
明日の試合が楽しみだと不二は思った。