ハプニング


あれから跡部からは連絡もないし、会ってもいない。
それはそれで私の精神衛生上いいので、別段問題はない。
けれど問題は不二君なんだよね…。

不二君は何事もなかったかのように振舞う。
あの日のあの出来事はまるでなかったかのように。
私もあの出来事はなかったことにしたいのでそのままそれっきり。
月曜日に学校に来たときには手塚部長は九州にある青学の付属病院に行くと決定していたから、私は跡部から渡された病院のパンフレットをゴミ箱に捨てた。
正直私の知らないとこで決まっていてくれてほっとした。
手塚部長が九州へ行く日、三年生のレギュラーのみんなは見送りに行った。
私も誘われたけれど、どうしても行く気になれず、青学に残った。

ぼんやりと夏の一日が過ぎていく。

どうして想い、っていうのは思うようにならないんだろう?なんてつらつらと考える。
視界の端には越前君に黄色い声援を送ってるコがいる。
あのコの想い、届くといいのにな、なんてつい思ってしまう。
私は不二君が好き。
好きだけどこの想いは不二君に届かない。
彼は私を家族のように、妹のようにしか思っていない。
大切にしてはくれるけど、それだけ。
たまに大石先輩が妹と話をするのを見かけるけど、私と不二君の関係にそっくりで内心溜息をつくばかり。
何よりショックなのはファーストキスが跡部に奪われたことと、それも不二君の間近で起こってしまったということ。
でも不二君は私に謝るだけで、どうということもないし、だからどう、というわけではない。
もうほんと妹がキスされるのを止めることができなくて悪かった、という感じよ。
あれから私はなんだかもう、抜け殻みたいで。
ひとり落ち込むばかり。
どうしてこんな風になったのかしら…。
ってやっぱり私自身の身から出たサビだよね、とほほ。







最近の様子がおかしい。
いや理由はわかるけど。
あの日、まさか自分ちにがいるなんて思わなくて、由美子姉さんと現れたは最近見慣れてしまった制服姿ではなく、由美子姉さんの着れなくなった服を着て現れて。
なおかつ跡部とデートとはね。
もちろんはデートとは思ってないようだったけど、跡部は間違いなくデートだと思っている。
というよりあの跡部だからに何するかわからない。
心配でたまらなくて、半ば押しかけるような形での側にくっついて跡部を牽制したつもりだったけど、やっぱりアイツは何枚も上手だよ。
まさかボクの前でにキスするとはね。
ボクも驚いて何もできなかった。
人間、ああいう場面では何もできないのだと思い知らされたよ。
は自分が跡部に好かれている、という事実すら知らなかったからそれはもうショックだったろう。
あれからはボクともあまり話さないし、回りともあまり話さなくなってしまった。

「おい不二。いったいはどうしちゃったの?最近沈んでるじゃん。」

菊丸が不二を咎めるような声音で言う。
部活が終わった部室。
今日、自主練習をして居残っているのは三年のレギュラー陣だけで、他の部員はとっくの昔にかえったあと。
4人、部室で着替えながらの会話である。

「確かにそうだな。この一週間、の溜息の数は600…、」

乾の言葉にうんざりした不二がそっぽ向く

「乾、もういいよ。の溜息が多いのは十分わかってるから。」

そういう不二もあまり機嫌がいいとは言えない。

「不二、いったいなにがあったんだ?お前もヘンだぞ。」

大石の言葉に不二はさらに溜息をついた。
自分でもおかしなことは十分気づいていた。
跡部とのキスシーンばかりが何度も頭の中でリフレインする。
守ろうと決めていたのに守れなかった自分が不甲斐なくてこんな風に落ち込んでいるのか。
不二が調子が悪いのは間違いなかった。

「守りたいもの、ってなんだろうね。」

ぽつり、と不二が言った。
菊丸と大石が顔を見合わせる。

「…大切なものなんじゃないのか?」

乾が答える。
不二は苦笑した。

「大切な、もの、か…。」

は確かに大切だと思う。
幼い頃から家族同様過ごしてきた間柄だし。
でも違う。
何かが違う。

「じゃあさ、傷つけたいときってどうして思う?」

ますます困惑する菊丸と大石。
今度ばかりは乾も何も言わない。

「わからないんだ。大切なのに傷つけたいと思ってしまう。いけないことなのに、どうしても思ってしまうんだ…。」

跡部とのキスシーンを見てから。
不二の中ではいつも思うことがある。
は間違いなく跡部とのキスで傷ついた。
今、の様子を見ればそれは一目瞭然で。
大切に思う。
だから不二もを傷つけないように、大切に守りたいと思うのに。
今思うのは跡部への苛立ちでもなく。
にキスしたい気持ちに駆られている。
それはを傷つけるだけだとわかっているのに。

「おまえ、本当にわからないのか?」

乾の言葉には半ば呆れが入っている。
大石と菊丸は溜息をつく。

「乾はわかるの?」

不二に切り替えされて乾は少し考え込む。

「当事者にならんとわからんな。でも友人としてこれだけは言える。」

乾の言葉に皆が注目する。
いったい何をいうつもりだ?といわんばかりに大石が乾を睨みつける。

「傷をつけないように守り通すことはできない。」

乾の言葉に一同呆気に取られる。
呆然とした顔で不二は乾を見た。

「それだけだ。じゃあ俺は先に帰るぞ。」

乾がラケットバッグを手にして部室を出て行った。
それを見送る一同。

「傷つけないように守り通すことがボクの使命だと思ったんだけどな。」

不二が苦笑する。

「なあ、不二。」

大石が声をかける。

「お前…、」

そこから先はどうしても言葉にならない。
いや言葉にしたくないのかもしれない。

「ごめん、大石。ボク、自信なくなっちゃったみたいだ。」

大石が何か言ったわけでもないのに不二は答えた。

「…そっか。」

菊丸があさっての方向をみながら言う。

「ちゃんと話をしたほうがいいよ、やっぱり。」

今まで黙っていた河村が声をかけた。

「話してないんだろう?不二。ちゃんとちゃんと話したほうがいいよ。」

河村の思い出すのは山吹戦でのの悲痛な表情。
不二を心配して、そしてそれは間違いなく――。

「不二が何も話さないからちゃんも沈んだままなのじゃないか?」

河村の言葉に不二が驚いたように顔をあげる。
不二の表情に河村は確信する。
不二は幼馴染のをひとりの女の子として見ていることを。
そして不二が大切なのに傷つけたいと思ってしまうほど、を思っていることに。

「不二、大石に先を越されてもいいの?」

菊丸の言葉に大石がぎょっとして赤くなる。

「エージっ!」

大石は慌てて菊丸の口を押さえようとするが、菊丸は身軽に大石の手をすり抜けてぴょんぴょんと飛び跳ねる。

「へへ〜ん。俺でもいいんだけどね♪」

べっ、と舌を出して大石に言う。

「エージっ!」

不二はやがてくすっと笑った。

「ごめん、タカさん。大石、エージ。みんなに心配かけるね。」

不二はベンチから立ち上がった。

「大事なときなのに心配かけちゃったね。」

自分のこと、のこと。
ぐるぐる回って出口が見つからない。
が大事だというのは事実。
でも今回のこんなことがあって、自分の中でのが変わっていることに気がつかされた。
あの日、自分の家で見た
そして跡部と会うために大人びた格好をした
どれも不二の知らないだった。
知らないに焦った。
焦って、驚いて、そして。

――わからないんだ。

にコナかけてくるヤツらは許せない。
同じテニス部員だって許せない。
だってみんなのことをわかっていないじゃないか。
元気そうで、明るくて、いつも楽しそうにしてるけど、本当は傷つきやすくて守ってあげなくちゃならないほど柔らかな心を持ってること、誰も気づいてないじゃないか。
大石だって、菊丸だって、越前だって、跡部だって。
のこと、なにひとつわかっていないじゃないか。
どれだけ傷ついて震えた心を持っているのかわかっていないじゃないか。

でも…。
ボクもわかっていなかった。
ひとりで跡部に会いに行くような、そんな気の強い面もあったなんて、ボクのほうこそわかっていなかった。
だからわからないんだ。
ボクものことをわかっていないヤツのひとりだったのかな。

「大石ー、今日はほんと驚いたよー。いきなり不動峰と練習試合なんだもんなー。ま、いい練習にはなったけど、あまり驚かさないでくれにゃー。」

菊丸はこの話を打ち切ろうと思ったのか、今日の練習の感想を言う。
今日は不動峰との練習試合だったのだ。
菊丸はよいしょ、とラケットバッグを持つ。

「ああ、悪かったな。あ、明日は聖ルドルフとだからよろしくな。」

大石が菊丸の言葉に爽やかに答える。
えっ?!という顔をして菊丸がラケットバッグを肩からずり落とす。

「えーっ!マジ?大石!」

菊丸の顔が見る間に青ざめる。
どうやら赤澤と戦ったときのあのぶれ球は菊丸にとっては天敵と認識されているようだ。
河村が笑う。

「あのとき俺は控えだったからなぁ。楽しみだよ、大石。」
「観月のデータ磨きがかかってるのかな?でも不二にはきかないよな〜。」
「おいおい、試合といっても練習だぞ。エージは特に体力を持続させることが今回の課題なんだから、あまり好戦的になりすぎるなよ。」

三人は何事もなかったかのように明日のことをしゃべりだす。
不二にとっては今はありがたい気持ちだった。

ああ、裕太も来るんだ。

もしかしたらは裕太に相談するかもしれない。
そうしたら少しはの顔も晴れてくれるだろうか。
が笑ってくれれば。
そうしたらボクは…?





次の日。
聖ルドルフの面々が青学にやってきた。

「よう、。」

裕太が真っ先にを見つけて声をかけた。

「裕太。今日は来てくれてありがと。」

はにっこりと笑った。
裕太がの隣に並ぶ。

「…なんか元気ないな。どうかしたのか?。」

裕太がが手にしているランドリーバスケットを取り上げる。

「あ、大丈夫…。私、そんなにヘンかな?」

が小首を傾げた。

「ヘン、ってそういうわけじゃ。ただいつも元気が有り余ってる、って感じなのに今日はそうじゃないからさ。何かあったのか?」

が部室に行くため裕太もそれに並ぶ。
他の聖ルドルフのみなはコートへと行ってしまっている。

「本当に何もないよ。心配しすぎだよー、裕太。」

はからからと笑った。
その笑いに一抹の虚ろさを感じて裕太はまじまじとを見る。

「裕太、も。」

二人並んで話しているところに不二が現れた。

「あ、不二君。裕太が手伝ってここまで運んでくれたのよ。」

がランドリーバスケットを指して微笑んだ。

「そうなんだ。サンキュー、裕太。」

不二がにっこり笑う。

「じゃ、私、これを干しに行ってくるね。みんなの試合を見に行けるようにしなくちゃ。」

はそういうと部室の裏手にある物干し場所へと行ってしまう。
その様子に裕太が首を傾げた。

「兄貴、になんかあったのか?なんか妙によそよそしいけど?」

裕太が訝しげに不二を見る。
不二は苦笑した。

うん、やっぱり鋭いよ、裕太。

「別に…というわけじゃないけど色々あったのは間違いないかな。」

不二の言葉に裕太の瞳が剣呑になる。

「何にもしてねぇだろうな、兄貴。」

裕太の言葉に不二は目を見開いた。

「なんだい、ソレ?」

びっくりしている不二に裕太はますます睨みつける。

「いくらが好きだからって、の嫌がることしてねぇだろうな、ってことだよ。」

不二は思わずまじまじと裕太を見た。
そのままたっぷり二人何も言葉を交わさないままお互いを見る。

「おーい、不二、今から聖ルドルフと挨拶して打ち合わせするから…。」

河村が大石に頼まれたのか不二を探しに来た。
ふたり、剣呑な様子で黙って立ち尽くす二人に河村はただならぬものを感じる。
不二が河村に気がついてはっとして振り返った。

「タカさん…、ああ今行くよ。」

不二も裕太も河村に従ってコートへと向かう。
不二はくすり、と笑った。

さすがだね、裕太。

不二は上機嫌でコートへと向かった。

「なんだよ、気味悪ぃな。何笑ってるんだよ。」

裕太が上機嫌の不二に嫌味っぽく言う。
どうやら先ほどの会話で不二が上機嫌になったのが気になるらしい。

「うん、裕太はやっぱりスゴイなって思ったんだ。」

裕太のように思いを素直に認めるのは難しいね。
やっぱり裕太はボクの弟だよ。
などとひとり上機嫌で自分の気持ちを素直に認めて。
そのときだった。

先輩、早くしないと!」

の手を引いて小走りに駆けていく帽子を被った一年生の姿がみなの視界に飛び込んできた。

「ちょ、ちょっと待ってよリョーマ君!」

の手にはスコアボード。

「あれ、…?」

裕太がいいかけたそのときだった。
の足がもつれてつんのめった。

「わっ!先輩っ!」

越前があわててを抱き止める。
でもいかんせん身長がとさして変らない。
そのせいかを抱きとめられずに二人して転がる。

っ!」

不二と裕太が驚いて越前との側に駆け寄る。
そして二人が見たものは。

「えーちーぜーんっっ!!!」

転がった衝撃でが越前の上におおい被さり、とぶつかるかのように越前とキスしている二人だった。
いくら偶然とはいえ、の保護者気取りの不二兄弟の登場に越前の顔が蒼白になる。

「…ご、誤解っス…。」

このあいだといい、今日といい。
はぽかんとする。

い、い、い、いったい何が起こったのよっ?!

あわてて飛び起きて思わず口を押さえ、真っ赤になってしまう
スゴイ形相の不二兄弟に溜息をついてる河村。
ひとり顔面蒼白になっている越前。
そして今起こったことは…。

はその日、早退届けをだして早々にその場を退散してしまった。