ライバル


なんだかんだといったって、関東大会はやってくる。
つまり私たち青学と氷帝との戦いは避けられない、ということ。
なんだかとても不安な気持ちを私ひとりで抱え込んでいた。
レギュラーのみんなはひとりひとりが気合いが入って、不安なんて微塵も見せない。
それどころか、一年生のリョーマ君にいたってはさっさと倒したい相手、思っているのだから侮れない自信家だよね。

氷帝戦が始まってなんとかD1で一勝、D2で負けてS3の試合がはじまった。

ファンタを飲みながらひとり青学の応援団から離れてリョーマ君が観戦している。
不二君は次のS2に向けてアップ中。
私はなんとなくリョーマ君に近づいた。
大石先輩が出られなくなったのに、控え選手のまま登録された彼がちょっと可哀相な気がしたの。
何せ氷帝を倒すことに彼が一番熱意を持っていたのだから。

「リョーマ君。」

リョーマ君の隣に腰を下ろす。

先輩、なんか用スか?」

表情ひとつ変えず、憮然としたこのモノ言い。
一度先輩後輩の礼儀を教えてやらなくちゃ、なんて内心ひきつった笑顔でにっこり笑った。

「残念だったね。」

そういってリョーマ君に声をかける。
ふいっ、とリョーマ君が顔を背けた。

「まだまだっスよ。」

あら、拗ねてるのね。
意外と可愛いとこあるんだ。
ちょっと意外な面を発見してくすり、と笑った。
そのときだった。

「…!」

河村先輩がいきなり片手の波動球の構えを見せた。

「…河村先輩っ!」

思わず腰を浮かしかける。
リョーマ君も目を見開いて明らかに動揺する。
すごい勢いのフラットショットが相手コートへと返るけど、更に恐ろしいことに相手の樺地君も片手の波動球を全くコピーして打ち返してきたのだ。
河村先輩がさらにそれを片手の波動球で打ち返そうと構える。

「きゃあっ!」

私は思わず悲鳴をあげて目をぎゅっと瞑った。

「顔、あげて、先輩。」

悲鳴に近い喚声の中、リョーマ君が妙に冷めた口調で言う。

「見とかなきゃだめっスよ。」

リョーマ君の言葉に私はおそるおそる顔をあげる。
コートでは激しいフラットショットの打ち合いが続いている。
みんながやめろ、という悲鳴にも似た掛け声をかけている。

「全国、目指すってあんたも言ったんだ。ちゃんと見とかないとその資格ないっスよ。」

がくがくと震える私の横で冷静な声が私の心を鷲づかみにした。

そうだった…。

河村先輩は今全国へ向けて戦ってるんだった。
私も全国へ行きたいと言った。
私の願いはみんなの願いでもある。
だったらこの試合、顔を背けちゃダメだ。

やがて、相手の子。
樺地君がラケットを落とす。
カラン、という乾いた音。
一瞬の静寂。
そして――。





審判の声は非情だった。

S3はノーゲームとします。

唖然とした。
あんなに河村先輩は頑張ったのに。
苦しい思いをして頑張ったのに。
ぎゅっと拳を握り締めた。

「ねえ先輩。」

リョーマ君が声をかけてきた。

「何?」

リョーマ君のほうをちらりと見る。
そこには不敵に笑って私を見ているリョーマ君がいる。

「全国、行く?」

にやりと笑うリョーマ君に私はわけがわからず呆然とする。

「不二先輩にライバル宣言、してもいいっスよね?」

わけがわからず私はまばたきする。

「最近部内じゃ先輩と不二先輩の噂、もちっきりっスよ?」

リョーマ君の言葉に一気に顔から火が出そうになる。

「俺、決めたから。」

リョーマ君が立ち上がる。

「じゃ、ライバルの試合を間近で見に行って来ますよ。」

えっ、えっ、えっ????

「ちょ、ちょっとリョーマ君っ?!」

軽い足取りでコートに向かい、リョーマ君はそのままベンチに座ってしまった。
ちょうど不二君が河村先輩のラケットを手にしたところだ。
あわててコートの側へと私も駆け寄る。

。」

不二君が私の姿を見つけて側に寄ってきた。
心配そうな私に不二君が声をかける。

「越前がベンチコーチするよ。」

にっこり笑って微笑む。
あ、だめだ。
そのスマイル、何かよからぬことを考えてるスマイルよ。

「ボクに勝つのはまだ早いよね。」

なんて言ってるし!
あうう…。
S2って、不二君の相手って誰だっけ。
ちらりと相手コートを見るけどぼや〜っとした子が立っている。
えーと、芥川君だっけ。
あ〜、災難を被るわ。
ごめん、ごめんね、芥川君。
まったく君には関係ないけど、不二君、マジモードにスイッチが入っちゃってるし、だいたいなんで不二君がマジモードなのか私もよくわかんないし。
いったいなんなのよぉー!と叫びだしたくなる。

にっこり微笑んで不二君がコートに入る。
審判の掛け声がかかる。

「ザ・ベスト・オブ1セットマッチ、青学サービスプレイ」

背後に人を感じて思わず振り返った。

、久しぶり。」

声をかけてきたのは裕太だった。

「兄貴、いつも以上にマジモード入ってるな。」

う、うん。さすが不二君の弟よね。
不二君のことはちゃんとわかってるよ…ってそんな場合じゃないよーっ!

「でも氷帝のアイツ、実力は本物だ。いくらマジモードの兄貴でもヤバイかもしれない。」

裕太の声音に緊張が入っている。
裕太の視線の先、不二君はサービスをキープしてぽんぽんとボールを弾ませ、感触を確かめているようだった。
そして。

「えっ?!」

裕太の声に驚きが入る。

「アンダーサーブっ?!」

私ははっとして思わず食い入るように見る。
私の間違いでなければあのサーブは…。

「その打球、消えるよ。」

不二君の言葉のまま、サービスコート内でバウンドしたあと、芥川君の手元でボールが消えた。
それは芥川君だけでなく、誰からの目で見ても確かに消えている。
そしてころころと相手コートの信じられない場所にボールが転がっている。
皆がいっせいにどよめく。
あれは私とダブルスを組んでいたときに編み出した技のひとつだった。
カットサーブを応用したもので、あれはアンダーサーブしか打てない。
私は何度も練習台にさせられたのを覚えている。
見えている打球を打とうとしても、絶対に打てない。
そんなサーブ。

「兄貴…。」

裕太が呻いた。
リョーマ君は一体どんな表情をしてるんだろう。
あのサーブは滅多なことでは打たないはず。
不二君の性格上、サービスエースを取りに行くのは珍しいことなのだ。
不二君のテニススタイルはカウンターパンチャーで、トリプルカウンターを持っていることからわかるように、どちらかというと相手の力を応用して決め技を出すテニスをする。
パワーはあまりないけれど、相手の力があればあるほどトリプルカウンターの威力は増し、相手を翻弄する。

「さすがだね。こんなサーブ、持ってたんだ。」

リョーマ君の言葉には微妙に感心が込められている。
それはそうよね。
みんなの前では初めて見せるサーブだし。

、俺、やっぱり兄貴を越えたい。俺の目標は兄貴だ。」

裕太のわくわくするような、高揚した声がする。
そうか、裕太も不二君のカットサーブ、はじめて見るんだっけ。

「どうぞご勝手に。」

リョーマ君が笑いを含んだ声でひらひら手を振ってみせる。
チェンジコートで芥川君のサーブになる。
あら、なんかすっごく楽しそうな顔してるけど。

「でもアイツ、絶対油断できないんだ。」

不意に裕太の声が強張る。
ああ、そういえば都大会のコンソレーションで氷帝は聖ルドルフと当たったんだっけ。

「アイツ、どんな体制だろうと予想外なところにボレーを落としてくる。だからアイツを前に出させちゃいけないんだ。」

そっか、裕太はこの芥川君との試合に負けたんだよね。
その言葉どおり、芥川君は見事なほどの手首の柔らかさでもって、ポイントを取った。

不二君の顔が不敵に笑う。
不二君も楽しんでるよ、この試合。
相手が強い相手であればあるほど、不二君は強い自分を見せる。
そうかと思えば勝つ気がないのか、めいっぱい戦って十分楽しんだ、と思うとあっさり引いてしまうところもある。
そう、不二君は相手の力を限界ギリギリまで出すことに喜びを感じる人なのだ。
でもだからこそ相手も強くなるし、不二君自身も強くなる。

ぱあん。

ボールがスピードを増す。

「すげ…、アイツ、前に出れない…。」

不二君は右に左に芥川君を振り回し、ネットプレーをさせないべく、彼をベースラインに釘付けにしている。

3ゲーム終わってチェンジコートのために不二君がベンチに戻ってきた。

、裕太も。応援してくれてるの?サンキュー。」

にっこり笑う不二君に私も裕太も頬を引きつらせながら笑った。
応援しなくても勝てる試合だよ、とはさすがにいえない。

。」

リョーマ君からドリンクを受け取って一口飲む。

も見たことがないもの、今から見せてあげるよ。」

驚いてまじまじと不二君の顔を見る。
同じように裕太も、リョーマ君も不二君を見る。

「トリプルカウンターの最後のひとつ…。」

不二君が笑う。
それは今までに見せたことがない不敵な笑いだった。

「白鯨」

皆顔を見合す。
私もわけがわからなくて首を振った。
大体、私、不二君がトリプルカウンターなんてのを持ってるの、ここに来るまで知らなかったし。

「燕返しと羆落とし、よね。白鯨…、どんなのかしら。」

ひゅうっ、と風が吹く。
たいして強い風ではないけど、それでも私の髪を乱すには十分で、思わず髪を撫で付けた。




ボクに勝つのはまだ早いよ。

コートを変わってベンチにいる越前をちらりと見る。

ちゃんと見てたし、聞いていたよ。
を全国に連れて行くなんてね。
ボクに勝ってからそんなセリフは言って欲しいね。

噂を流しておけば余計な虫はつかないと思ったけど、まさかレギュラーの、それも一年に大胆なヤツがいるとはね。
ボクにライバル宣言か。
やってみるならやってみればいいさ。
わからせてやるだけだから。
まあ、のあの調子じゃわかってないみたいだけど。

越前。
ボクに勝つのはまだ早いよ。
ボクはテニスでものことも、誰にも負けるつもりはないから。

不二の打った打球がホップする。

驚いた顔の相手がたまらなくおかしい。
みんなの驚く声がする。

上昇した打球がベースラインぎりぎりに落ち、球は自陣にまで戻ってくる。
ぱしり、とそれを手で受け止める。
みなの驚きのどよめきが聞こえる。
でもそれ以上に相手の芥川の驚いた顔が情けないよ。

そのあとはもう完全に不二のペースでゲームが進められる。
あっさりとこのゲームをものにし、ゲームセットの声がかかった。

ふ、と顔をあげると跡部と目があった。
挑むような眼差しでボクを見る。
ふふ、とボクは笑った。
いつかテニスでお返しするよ、の分まで。
が君とダブルスを組んでとんでもない目に合ったと何度も聞かされたし、の事故だって跡部が半分責任があるようなものだしね。

ああ、でもその前に。
こっちにもよからぬ虫がいたんだっけ。
ちらりと越前を見て。

「まだまだっスよね。」

と越前が言った。
ボクは苦笑する。
ありがとう、買い被ってくれて。
これで思う存分君を叩きのめすことができるよ、なんて言ったらは悲しむかな。