先輩後輩 大石先輩とは多分、同じ部内で一番よくコミュニケーションを取る人だと思う。 「。」 先輩が私の教室に顔を出すことも少なくはない。 なぜなら。 大石先輩は乾先輩の提案する練習メニューを調整したり、大会のオーダーを調節したり、その他部活動の事務的なことも把握している人だからである。 当然私も頼りにすることも多く、なおかつ、スケジュール調整、個々の練習メニューを組む上での各人の体調管理など私が背負ってる部分もあるので、大石先輩が私を頼る面も多い。 「今度の大会のスケジュールだけどの案でいいと思うよ。あとは竜崎先生に提出しておいてくれるかな。」 大石の持ってきたスケジュール予定の表をに返す。 「そうですか?わざわざありがとうございます。おかげでお昼までに竜崎先生のとこに持っていけます。」 はにっこり微笑むと書類を何枚か受け取る。 「あ、そうそう、今日の練習メニューですが、桃城君の左足が少し気になります。練習メニューを少し変えた方がよさそうな気がしますが…。」 はレギュラー陣の当の本人達すら気がつかない点まで気を配っている。 「左?右じゃなくて?」 大石が首を傾げる。 「ええ、多分、右足を庇う癖がついて左足が疲労を起こしかけてるかも。」 こういうところは本当に鋭い。 多分、桃城自身すら気がつかない点であろう。 「わかった。ありがとう、。じゃあメニューの変更をにまかせてもいいかな?」 「ええ、いいですよ、私でよければ。」 にっこりとは笑った。 単に忙しい大石の仕事を少しでも減らせれば、というレギュラー陣のひとりであり、いつも部内の実務的なまとめ役を買っている大石への配慮の言葉であった。 「いつもありがとう、マネージャー。」 こつん、と手にしていた教科書の角での頭をこづく。 「大石先輩?」 が小首を傾げる。 優しい大石の微笑みがいつにも増して優しく感じられる。 、とは愛称を呼ばずにわざわざマネージャー、というあたり、信頼をしている、とでもいうような言葉の選び方である。 「じゃな、頼んだよ。」 移動教室なのか、大石は来た方向と逆の方向へと去っていった。 不意に背中に注目を浴びてが振り返った。 「大石先輩と仲がよさそうね〜、。」 ぎょっとして見ると女性徒が何人かを取り囲んでいた。 「いいなあ、大石先輩ならすっごく優しく大事に守ってくれそうだよね♪」 「大石先輩って文武両道でしょ!何もかも頼れるーってカンジ!」 「頼れる先輩よねーっ!」 は天を見上げた。 いくらなんでもそれはない。 大石はともかく、には単なる先輩でしかない。 よく部内をまとめているし、細かなことにもよく気がつく。 だから尊敬はするものの、だからといって恋愛感情を持つ相手ではない。 「ただの先輩だよ、大石先輩は。」 が受け取った書類をファイルにはさみながら呆れたように言う。 周りの女性徒たちはそれでも黄色い冷やかしをかけるが、は相手にしない。 「勝手に言ってて。ホントそんな風じゃないんだから。」 が呆れたように言うと丁度授業のはじまるチャイムが鳴った。 クラスメイトたちの冷やかしをすり抜けて、授業が終わるとすぐに部室へと急いだ。 早くしないと部員たちが着替えにやって来る。 そのまえに今日の練習メニューの変更点を記した手書きのメモを置きに来たのだ。 そろそろと部室のドアノブをまわす。 しかし開く形跡がなく、まだ誰も来ていないことに内心ほっとする。 不可抗力とはいえ、男の子の着替え現場に踏み込む、ということがないからだ。 だからは部室に入るときはいつも用心する。 いくらマネージャーといえど、男の子の着替え現場にふみこむのはやはり乙女の羞恥が許さないのだ。 ポケットに突っ込んだ部室の鍵をだすと、鍵穴へと突っ込む。 「?どうしたの?」 不意に背後から声をかけられてびくっとする。 「不二君?」 振り返った先には学生服姿の不二がテニスバッグとかばんを手にして立っていた。 「ちょうどよかった。大石のクラスより早く終わっちゃって。、鍵あけてくれてありがとう。」 ありゃ、菊丸先輩は? と顔に出ていたのだろうか。 「ああ、エージは今先生に呼び出し中。授業中寝てたのがばれちゃったんだ。」 いたずらっこそうに不二が笑う。 なんとなく先生が寝てる菊丸を注意したきっかけを作ったのは不二のような気がして、は内心冷や汗をかいた。 「あはは…(汗)それは可哀相ですね。」 きっと不二君だよ…、なんて絶対言えないわ。 は苦笑しながら部室のドアを開ける。 きちんと整頓された部室の中にベンチがあり、そこにかばんをおく。 かばんの中からファイルを出すと何枚か確認してそれを連絡用ホワイトボードのマグネットにはさむ。 「桃、練習メニューを変更なんだ。どうして?」 不二がに並んでホワイトボードのマグネットに挟み込まれた手書きのメモをのぞきこむ。 「ええ、桃城君、どうも左足がちょっと疲労気味かな、って。大会本番までは足に負担のかからないメニューに切り替えて、と思ったの。」 はそういいながらレギュラー陣の練習メニューを張り替えていく。 「そうなんだ…、気がつかなかったな。」 不二の言葉は微妙に重い。 その言葉に気になってが不二へと振り返った。 珍しくにこやかな微笑が消えている。 「私の気のせいかもしれないの。そんなに心配しなくても。」 がにっこり微笑むと不二はますます表情が強張った。 「不二君?」 不二の様子にが不信そうに声をかけた。 「君は本当によく気がつくんだね。」 場合によってはほめ言葉ともとれる言葉に棘が含まれているのを気がつかないではない。 は一瞬目を見開いた。。 「よくできるマネージャーがいるから安心だよね。」 そういうと不二はくるり、とに背を向けてしまった。 驚いたは不二に何か言おうとしたとき、どやどやと部員たちが入ってきた。 「ああ、、先に来てくれてありがとう。」 たくさん一気に現れた部員たちを押しのけて、大石がひょっこり顔を出した。 背を向けている不二の様子に大石がすぐに気がつく。 声をかけようとしたが、他の部員たちがどやどややってきてあまりにうるさい。 話をするどころではないし、不二は知らん顔をしている。 は小さく溜息をついた。 「じゃ、私更衣室で着替えてきますね。レギュラーは練習メニューの変更点、各自見ておいてください。」 ぺこり、と頭を下げるとはベンチに置いたかばんを手にさっと部室から出て行ってしまった。 「不二、何かあったのか?」 大石が制服を脱ぎながら不二に声をかける。 「いや…何も。」 いつものようににこやかな微笑みで、本心を見せない笑顔で答える。 大石の眉間にわずかに皺がよる。 の小さな溜息を見過ごすはずのない大石である。 「なんでもいいけど、も部員の一人だ。部に亀裂を入れるような真似だけはしないでくれ。」 大石の言葉が固くなる。 何があったか知らないわりに、核心をついてくるような言葉だ。 不二は苦笑した。 大石はを、部員をよく見ていることを今更ながら思い知らされる。 自分でも何であんな言葉をに投げつけたかわからないのに、大石は自分以上に自分を知っているのかもしれないと思う。 「了解…。大丈夫だよ。」 さっさと着替えを済ませ、ラケットを手にコートへとひとり向かう。 心の中のさざなみが収まらない。 なんでこんなにささくれたような心になるのかもわからない。 幼馴染として、妹のような気がしていて、苦しんでいる彼女の力に少しでもなりたくて、テニス部のマネになってもらったというのに、何故か今ではそれが疎ましかった。 そしてそれがそのままテニスへと出たのだろうか。 河村と出たダブルスでものの見事に負けてしまったのだ。 確かに相手は全国大会に出たペアである。 息もあっているし、絶妙なコンビネーションをみせるテニスだった。 しかし破って破れない相手ではなかったはずである。 心配そうにがスタンドから見ているのもよくわかっていた。 だからなのか。 勝とうと思わなかった。 それは全国大会へ歩を進める青学のレギュラーとして、あってはならないことだった。 を無視するように、わざわざ遠回りして遠いところにある自販機に不二はジュースを買いに行った。 「不二。」 後ろから河村が追いかけてきた。 「タカさん。」 不二はわざわざ追いかけてきた河村に少なからず驚いた。 しかし、青学のメンツが誰もいない、というのが不二の心をほんの少し緩ませたのか、少しほっとした顔をする。 河村は不二に並んで同じくジュースを買う。 「今日は本当にごめん。なんだか調子が出なくて…。」 河村に謝るのは本心からだった。 あの日、心のなかで起きたさざなみは今もおさまらなくて、こうして河村に迷惑をかけてしまったのだから。 二人、側のベンチに座る。 「あはは、何言ってるんだよ。カバーに入れなかった俺も悪いんだし、不二一人のせいじゃないよ。」 テニスラケットをもっていない河村は照れたように笑いながら、それでも不二の失態を許してくれた。 「不二、試合中、ちゃんがすっごく心配して不二をみていた。何かあったのか?」 河村の言葉に不二はふふっと笑った。 「はレギュラー思いだから。」 きっと異変があれば真っ先に心配して駆けつけて。 そう、はそんなマネージャーだ。 「うーん?そうかな?ちゃんは確かにレギュラー思いなのかもしれないけど…」 河村はうーんと唸って顔をあげた。 「不二、一度きちんとちゃんと話をしたほうがいいと思うよ。」 河村は気がついていた。 試合中、が誰を心配そうに見ていたのか。 ダブルスは二人で組んで行う。 もしそのペアが不調であるなら両方を心配するはずであろう。 しかしは真っ直ぐに一人の人しか見ていなかった。 それが河村でないことはすぐにわかった。 きっと今頃はは不二を探しているだろう事も。 不二は視線を彷徨わせている。 でもそれ以上河村も何もいえず。 「そうだね…、ありがとうタカさん。」 河村の言葉に不二は迷いながらも答えた。 きっと自分でも何をと話したらいいのかわらないのだ、と河村は推測する。 これ以上、不二を追い詰めるのは得策ではないと判断して。 「俺、黄金ペアの試合見てくるな。」 ぐっと、残りのジュースを煽るように飲むと、河村は立ち上がった。 にっこりと笑って不二が手を振る。 「応援よろしく、タカさん。」 とても今の心理状況では仲間の試合を見ていられなくて、応援に行く河村に手を振った。 河村は空き缶をダストボックスに放り込み、不二に軽く手を上げると大石と菊丸がダブルスをしているであろう会場へと走り去った。 都大会決勝なのに仲間の応援にも行くことができないほど、今の不二は落ち込んでいた。 いや、それはまわりも、不二自身も気がついていないのであろうが。 不二はゆっくりとジュースの缶をながめた。 プルタブを開けることもせず、ジュースを買って手にしてそのまま。 飲む気力すらない。 「不二君、見つけた。」 がこちらへ駆けてきた。 こんなとこにいるなんて誰も思わないだろうから探したはずなのに、不二の表情は明るくならない。 それどころか。 「タカさんに聞いたの?」 不二の言葉は自分でも思っていないほど棘を含んでいる。 しかしはおかまいなしに不二の隣に座る。 「河村先輩?一緒だったんですか?」 が小首をかしげながら不思議そうに呟いた。 「ごめん、どうかしてるね、僕。」 がここへ来たのは河村に関係がないとわかると、不二は締め付けられていた胸が緩むような気がした。 「私もジュースを買おうかな。」 制服のポケットから財布を取り出してジュースを買いに立ち上がる。 出てきたジュースを取り出して再び不二の隣に腰をかけた。 しばらく沈黙が続く。 そしておもむろにが謝った。 「ごめんなさい。」 手にしたジュースのプルタブを開けることもせず、俯いたままは不二に謝った。 「え?」 驚いたのは不二のほうだった。 の言葉の意味がわからない。 は何を不二にあやまりたいのだろうか? 「私のせいだわ。あの日から、不二君の調子が悪くなったもの…。今日の試合もそう。不二君らしくないプレイをさせてしまったもの…。」 「僕が調子悪くてなんでのせいになるわけ?」 「だって、あの日からだもん。私の何が不二君をいらだたせたのかわからないのは悔しいけど、間違いなく私のせいだわ。」 あの日、部室で他のレギュラーのことをよく見ているにいいようのない苛立ちを感じた日、あれから不二は周囲に気取られないように苛立ちを隠し、いつものように振舞っていたはずだった。 にもちろん同じように。 でもはわかっていたのだろうか。 自分の心にある、自分ですらわからない苛立ちを。 そしてそれがのせい、というのは不二も認めたくないところではあったが、そのさざなみをおさめることができるのは、やはりだということを。 「大石の試合、見に行かないの…?」 不意に不二がに聞いた。 なぜはここにいるのか。 今は大石と菊丸が試合中のはずだ。 なおかつ試合相手は大石が去年負けた相手。 このダブルスは苦戦すると十分予想できる。 だからこそ応援したいだろうに、なぜここにがいるのか聞いてみたかった。 「大石先輩より不二君のほうが心配だよ…。私のせいなんだし…。」 の言葉に不二は自分の心が不思議なほど軽くなって、あんなに自分を悩ませた苛立ちすら消えていることに気がつく。 なんでだろうね…? 君がほかの誰でもなく僕のことを見てくれているということ。 ただそれだけで心が凪いだ。 河村の言葉が思い出される。 きちんとと話したほうがいい、ということ。 でも何を話したらいいのかわからない。 何を話していいのかわからなくて。 不二はの頬に自分のジュースの缶を押し当てた。 「ひゃっ!」 買ってからちょっと時間はあったものの、それでもを驚かすには十分な冷たさを持っている。 びっくりするに不二がにっこりと微笑む。 「ありがとう、。」 は目を白黒させる。 「不二君っ!」 が目を吊り上げて不二のテニスウェアをひっぱる。 上目遣いにに睨まれて、不二は久しぶりに心からの笑顔を見せた。 「ほんと、はやっぱりできるマネージャーだよ。」 だってほら、こんなにも僕の心は軽くなったよ。 「もう!不二君!」 言い募るの頭をぽんぽんと叩く。 ねえ、。 いつか、この先輩後輩の関係を超えてもいいかな? と話すのは今じゃなくてもいい。 いつかきちんと話をするときは来るであろう。 でも今はもう少しだけ。 「気がつかなかったよ、が原因だったってこと。」 不二はちょっと意地悪そうにを見た。 「え?え?え?」 の顔が青ざめる。 「でもね、もう平気だよ。」 こうして君は僕を見てくれているから。 「不二君…??」 はわけがわからないという顔をする。 「だからね、もう何も心配しなくていいからね。」 つまらない嫉妬だと気がついたよ。 君はちゃんと僕を見ていてくれるのに、他の誰かに向ける視線が気に入らなくて困らせてしまったね。 は不二のテニスウェアからそっと手を離す。 心配そうに、そして不思議そうに。 「大丈夫だよ、本当に。」 不二はうん、と伸びをしてベンチから立ち上がった。 「さ、黄金ペアの試合を応援しに行こう。このあとは桃と千石のS3もあるし。ま、あいつらなら大丈夫だと思うけど。」 こんなレギュラー思いのマネージャーを心配させるのは僕だけで十分だし。 不二はに手を差し出す。 満面の笑顔の不二を見て、は少し笑った。 何が原因だったのかなんてわからない。 でも不二の中で何かが解決したのならそれでいい。 そう納得して。 小さくは頷いて、不二の手をとった。 |