憧れ



いつから目であなたの姿を追っていたのだろう?

いつからあなたと話をするのが好きだったのだろう?

あなたはちょっと笑って困った顔をして。

そしてありがとう、といって、

そしてごめんね、というのだろう。

わかっているけど、

わかっていても止められない。

気がつかないで、私の思いに。

気がついて、この色づく思いに。

このままあなたと同じ距離を

保つにはどうしたらいいの…?。






「ねぇねぇ、って不二とどうやって知り合ったの?」

テニス部の休憩中、は怪我をした二年生の手当てを終えて、ベンチに座って救急箱にこまごましたものを片付けていたところへ、菊丸がやってきて隣に座った。

「あれ?不二君から聞いていないんですか?」

包帯をきれいに巻きなおしながら、がちらりと菊丸を見る。

「うんにゃ、全然聞いてない。」

菊丸の言葉にはうーん、と唸った。
皆知っていると思っていたけど、どうやらそうではないらしい。

「単なる幼馴染、といっても納得しない、かなぁ。」

の言葉に菊丸が頷く。
二人が幼馴染だということは知っている。
しかし、電車で通っている不二に対し、はバス通学。
二人の家の方角はそんなに離れていないが、幼馴染、というにしてもいささか不自然である。

「親がね、不二君の親と知り合いなの。」

これは嘘ではない。
実際、だから同じテニススクールに放り込まれたのだから。
いやもしかしたら、だから青学に放り込まれたのかもしれない。
今でこそ裕太のほうは聖ルドルフに転校してしまったが、最初は青学に通っていたのだから。
不二の姉の由美子とは実の姉妹のように仲がいい。
家族ぐるみの付き合いなのだ。

「ふうん…。」

菊丸は神妙な顔をする。

「それだけ?」

菊丸の言葉にがどきりとする。

「な、なんでですか?」

菊丸がじーっとを見る。
猫のような目でじっと見られてはも居心地が悪い。
ほかに隠すことなんて何もないから余計にタチが悪い。

「じゃ、なんでテニス部のマネになったの?」

うっ、そういう展開でくるのね。
自分とテニスについての関わりは話したくないんだけどな。

「テニスが好き、ってだけじゃ答えになりませんか?」

もうここまででご勘弁ください、って感じよ。とほほ。

「ふーん…、不二がテニスをしてるからテニス部のマネになったのかと思ったけど。」

どんがらがらがらっ☆
な、なんですって????
そ、それは…(冷や汗)

いきなり衝撃的なことを言われて、の頭は一気にパニック状態になる。

「き、菊丸先輩っ!」

驚いたが何か言おうとしても上手く言葉にならない。

「さ、休憩終わりっ、と。じゃねっ☆」

言いたいことだけを言うと菊丸は次の練習メニューに入るため、コートへと走って行ってしまった。
は驚きすぎて、巻いていたはずの包帯を取り落としていたことに気がつく。
あわててそれを拾って再び巻き始めるも、どうも菊丸の言葉が頭の中を離れない。

不二君のテニスが好きだからマネになった?
これじゃ不二君のファンとなんらかわらないじゃない。

なんてこと、と思いつつそっと不二を探して視線が彷徨う。
そして不二の姿を見つけて思わず赤面し、あわてて顔を伏せる。
赤面したは激しく後悔する。
こんな態度を取っていれば後から不二に問い詰められることは間違いない。
は急いで救急箱を片付けると、部室へと急いだ。
心臓が跳ね上がりすぎて、どうにかなってしまいそうである。
どうしてしまったんだろう、と自問自答を繰り返す。
確かに不二のテニスが好きだ。
それは間違いない。
隙のない天才と呼ばれるにふさわしいテニス。
同じクラブにいるときも、そして今も。
不二のテニスはのあこがれでだった。
なぜ不二なのだろう?
カウンターパンチャーであるテニスプレイヤーは不二に限らない。
例えば大石だってそうだし、海堂だってそうである。
天才的なテニスといえば手塚もそうであるし、越前だってそうである。
でもは不二のテニスが好きなのだ。
幼い頃から見てきて、一緒にプレイもして、それは今でも変わらない。
でもそれはきっと。

私、不二君が好きなんだ……。

気がついてしまったらこの想いなど殺すことはできない。
このままマネージャーを続けられるのかすら不安である。

「菊丸先輩のバカ…。」

気づかされたのは菊丸の何気ないヒトコト。
でもそれはに大きな衝撃を与えて。
自分の想いに気がついた今、どうしようもできないまま。






その日、部活が終わって。

。」

の後を追ってくるものがいた。
大石である。

「大石先輩。」

小走りで近づいてきて、の横に並ぶとはあ、と息を大きく吐いた。

「ごめん、今日エージのヤツ変なこといっただろう?」

はきょとんとする。
大石が困ったように溜息をついた。

「本当にごめん、エージにあんなことを言わせてしまったのは俺なんだ。」

菊丸に言われたあんなこと、ということでの顔が一瞬にして朱に染まった。

「で、でもなんで菊丸先輩が?え、えと、どうして大石先輩が?」

は菊丸に言われたことと大石の言っていることがいまいち繋がらなくて、しどろもどろになる。
というより、あのときの菊丸のセリフからまさか自分の想いに気がつくことになってしまったことから、のほうが焦る。

「本当は俺たちが引退するまで言わないでおこうと思ったんだけど。」

大石は目を閉じて深呼吸する。
こういうときの大石は何か重大な決意を秘めているに違いない。
が頬を染めたのは自分が誰を好きか気がついたからに他ならない。
しかし大石のセリフと菊丸の発言の繋がりが掴めないばかりか、大石がどうやらとんでもない勘違いをしていることにさらに焦る。
そのときだった。

、大石。」

部活が終わる時間だから一緒になっても不思議ではない。
けれど、いつも最後まで部室の片付けとか、鍵をかけたりするのはと大石であることから、自然二人の帰りは部活の皆と一拍遅れる。
だから最後だと思い込んでいた二人が突如後ろから声を掛けられて驚かないはずがない。
まして大石は決意を秘めた言葉をたったいま、口にしようとしているときである。

「ふ、不二?」
「不二君?」

驚く二人を尻目に不二が二人へと駆け寄った。

「偶然だね。ちょうど教室に忘れ物があって取りにいってたからちょっと遅くなって。偶然、と大石がいるんだから。」

屈託なさそうに笑う不二に、大石はまいったな、という顔で笑った。
は抜き差しならない状況をなんとかパスできたことに少し安堵する。
しかし、意識し始めた人間が現れたことに返って心臓の音が跳ね上がる。

校門を出るとすぐに大石の乗降するバス停が見えてくる。
すでに信号のところでバスが来ていて、大石はもうと話す時間はないと判断した。
の乗降するバス停は道路を挟んで向こう、つまり大石とは反対方向である。

、今日のこと忘れて欲しい。エージの言ったことも含めて。じゃあな。」

丁度よく来たバスに乗る間際、に早口でそういうと、大石は二人に手を振った。
バスはあっという間に見えなくなってしまう。

「何を忘れるのかな?」

不二がちらりとのほうへと振り向いた。
が一瞬青くなる。

忘れて、って忘れられるわけないじゃないのっ!

「そういやなんかエージと話をしてたよね。そのあとの、なんか変だった。」

どうしてあなたはそんなに鋭いのよっ!
はあたふたとしながら言葉がでてこなくて冷や汗が流れる。

「でもまあ、大石が忘れて、って言ってるなら忘れたほうがいいと思うけど。」

大石や菊丸の言葉を忘れろ、といったってそう簡単には忘れられそうもない。
なぜなら、菊丸の言葉がきっかけで自分が不二のテニスを見ていたくて、そしてきっと不二の側にいたくてマネージャーになったことを思い知らされたからだ。
それは不二をテニスプレーヤーとして見ているのが好き、なだけではない、ということだった。
単なる憧れではない。
学校にいる、不二のファンクラブの女生徒とは明らかに違う。
気づかされたこの想いを忘れることなんてできはしない。

「………馬鹿…。」

忘れるなんてできない。
気づいてしまった想いは育つ前に埋めてしまうことなんかできはしない。

「…えっ?」

の小さな呟きに不二は思わずの顔を覗きこむ。

「不二君のばかっ!!」

はくるりと不二に背を向けて走り出そうとした。
そのときクラクションの音が響いて、右の二の腕がきつく掴まれて身体ごと勢いよく引っ張られる。

っ!」

気がついたときには不二に抱きしめられていた。
の目の前が真っ赤になる。
不意に密着していた身体を離されて不二の手が肩に置かれる。

に馬鹿呼ばわりされても、無視されてもいいけど頼むからいきなり赤信号の横断歩道に飛び出さないでくれるかな。心臓に悪すぎる。」

大きく溜息をつく不二には呆然と不二を見上げた。
は今起こったことがいまだ判断できず、さきほどの急接近にの心臓がばくばくいったまま、今の状態に恐慌を起こす。

「もしかしても大石のこと好きだったのかな?だったらボクがこんなこというのはよくないことだったけど…。」

不二の言葉に今度こそは打ちのめされた。
どうして好きな人の口からこんな言葉が出てくるのだろう、と思うと涙が出てきそうになる。

「もう、いい……。」

は不二の手をそっとどけた。
くるりと振り返ると信号は赤から青に変わっていた。

「帰る。」

は小走りに信号を渡った。

?」

不二の声も無視して信号を渡りきる。
不二が追いかけてくるはずもなく。
信号が再び赤に変わった。
比較的交通量の多いこの通り、車の流れで反対側の不二の様子はよく見えない。
やがてバスが来て止まった。
バスに乗り込んでは窓の外、反対車線の歩道に不二の姿を探す。
けれどもその姿は見つけられなかった。
胸が締め付けられそうになる。
こぼれそうになる涙を必死に堪え、は空いている座席へと身を沈めた。
かばんの中からハンドタオルを出して口元に当てる。
不二を好きな自分が悔しくて。

どんなに好きでも不二にはきっと届かないこの想いをもてあまして。

それでもあきらめられない自分がそこにいる。

それはあまりにも悔しくて悲しくて。
どうにもならないこの想いに一人もてあますだけであった。