蝶戀歌6 ――斬れ 周瑜の言葉に一同は驚きを隠せなかった。 孫策が目を見開き、陸遜が眉を顰めた。 しかし周瑜は二人を一顧だにせずそのまま立ち上がって自室へと引き上げる。 斬れ、という言葉が誰を斬るのか理解ができず、一瞬呆けた孫策がようやく我に帰って周瑜の歩みを止めるべく、彼の前に立ちはだかった。 「何故斬る?おまえがあれほど愛した女だぞ?」 周瑜は顔をあげて冷ややかに孫策の顔を見た。 その瞳は冷たく、何の感情も読み取れない。 孫策は怯んだ。 「あれは敵将だ。」 孫策の脇をすり抜け様、短く呟くとそのままつかつかと自室へと下がっていった。 その場に取り残された孫策は苦虫を噛み潰したような顔になる。 「・・・っ・・・。」 陸遜はだまったまま頭を垂れる。 正直、周瑜の出方は計算外であった。 斬る、という言葉までは出ないと予想していたからである。 しかしそれが周瑜の本心でないことを孫策も陸遜も理解していた。 ただ、に対する本心が何かは掴めないでいたが。 「陸遜、を建業へ連れて行く。オレのもとへ連れて来い。」 ――それはちょっと困りますね。 陸遜は困った顔を全く見せなかった。 自分の真意などかけらほども見せないで、恭しく孫策に頷くとくるりと背を向ける。 室を出て行くために――。 そのとき室の扉が開かれた。 「ごきげんよう、皆様。」 であった。 孫策の目がきょとんと見開かれる。 陸遜もさすがにこれには驚いた。 しかし心の奥底では笑いがこみあげてくる。 思った以上に洞察力の鋭い女性かもしれない、と思うと陸遜のなかで手にして見たい、という欲求がわきあがる。 初めて会ったときのたおやかな清廉な美貌。 軟禁されたときの怒りに燃える瞳。 短檄を手にして監禁された部屋を脱出したときの手際のよさ。 そして今また隠れることをよしとせず、姿を現した凛とした態度。 どれも陸遜の心を躍らせるには十分であった。 だから欲しいと思った。 周瑜になど渡す気はなかった。 建業になど、の家族同然とも、庇護者とも言える孫呉の勢力圏内になど連れて行くつもりなどなかった。 彼女が劉備のもとに戻ればを手に入れるチャンスはいくらでもある。 陸遜のなかで劉備討伐はすでにできあがっているのであるから。 しかしは戻ってきた。 一体どのように考え、結論を出し、再び姿を現したのか。 周瑜とがどう向き合うのか。 ――都督はどのように出ますか・・・。 そんな陸遜の思惑など知りもせず、はつかつかと周瑜の室へと繋がる扉へと向き直った。 「席をはずしていただけませんか――?」 の言葉に孫策が目を見開いた。 どうして――?の言葉が出てくる前に、は孫策へと視線を投げた。 真摯な瞳。 孫策はわけがわからなかった。 周瑜にとっては初恋でもある愛しい女性である。 けれども今は斬れ、という言葉を吐かせるほど憎い女性でもあるはずだった。 は呉出身の前丹陽太守の養女であるが、今は劉備玄徳に忠誠を誓う敵将である。 今になってが彼らにとって危険であることを思い知る。 剣掌姫 に与えられた仇名。 そして義妹の孫尚香を指して弓腰姫と呼称されるのに対し、剣をよくするにつけられた仇名である。 「周瑜は・・・、」 ゴクリ、と息をのんで孫策が答えようとしたときだった。 不意に扉が開いて周瑜が現れた。 「来たか、。」 そういいざまに細身の剣を投げつけた。 がかろうじてそれを受け取る。 が受け取ったのを見て、周瑜がすらりと自ら佩刃している剣を抜いた。 「抜け。私を斬ったならばそなたを自由にしてやろう。」 の瞳がきらりと光る。 そしてすらりと細剣を抜くと周瑜に飛び掛った。 それを周瑜が難なく受け止める。 視線と視線がぶつかりあう。 周瑜は限りなく本気であり、剣の強さも今まで戦ってきた兵士たちから比べればはるかに重く、隙のない動きである。 ぶつかりあった剣にじりじりとが押される。 力比べになればはどうしても弱い。 そこを身軽さでカバーするのがの戦い方である。 ぎりぎりのところでは全身をばねのようにして勢いをつけて周瑜の剣を跳ね返すと、空中に飛び上がり周瑜の肩を狙った。 しかしわずかにそれて周瑜の鎧にわずかに傷をつけただけであった。 周瑜がすかさずに剣を繰り出す。 はその剣先を受け止めながら、微妙な間合いで周瑜の胸を狙う。 その二人の様子に孫策も陸遜も呆気に取られた。 そして我に返った孫策が大声を張り上げた。 「何をしてんだっ!いいかげんにやめろっ!」 孫策の怒声に驚いたが一瞬間合いをはずす。 そこへ周瑜の剣がへとふりかかった。 一瞬頭の中が真っ白になって、は凍りついたように動けなくなった。 そのときだった。 陸遜は素早い動作でをかばうかのように、周瑜の剣を自らの双剣で受け止めたのだ。 剣と剣がぶつかりあうすさまじい音がひびく。 その音は本気であるという強さの証。 決して修練のときに出る音ではなかった。 受け止めた陸遜も一瞬顔を歪めるほどの力である。 かなりの勢いだったのか、は剣と剣のぶつかる音に大きく身体を震わせ、その瞬間に透明な金属音をたてて金色の玉珥が床に転がった。 「陸遜!」 周瑜が驚いて剣を引いた。 そして怒りに震えた声で陸遜に向かって怒鳴りつける。 「何をする?!」 ぎりっ、という歯噛みする音が聞こえたかと思うほど、陸遜に邪魔に入られてその陸遜まで殺しかねない勢いである。 そんな周瑜の態度に孫策がつかつかと進み出て周瑜の胸倉を掴む。 「それはこっちのセリフだ。女相手に本気を出して戦うなんざ一体どういう了見だ?!」 は本気で周瑜に斬られると思っていたせいか、自分が無事でいることに驚き、戸惑い、その場にくず折れた。 陸遜が双剣をすぐさましまってを助け起こそうとする。 「怪我はありませんか、?」 はわずかに頷いた。 しかし手を取って助け起こそうとしてくれる陸遜の腕も空しく、は足に力が入らなかった。 はじめて斬られる、と本気で震えた瞬間だったからである。 「しょうがありませんね。」 陸遜はの手にしている細剣をそっとの手からはずして鞘にしまう。 そしておもむろにを抱き上げた。 は何か言おうとしたが、陸遜は意思の強い視線でを黙らせる。 そしてそのまま広間を辞した。 残された周瑜と孫策が何を話しているかなど陸遜には関係がなかった。 ただ、目の前の少女を危険な周瑜の前から連れ出すことだけを考えていた。 陸遜にとってははじめての焦りだったかもしれない。 あんな本気になって剣を振りかざす周瑜を初めて見たからだったからであろうか。 周瑜には間違いなくへの殺意があった。 ならばを建業には、孫呉の膝元へ連れて行くことは非常に危険なことだと思われた。 早く劉備たちのもとへ逃さねばならない。 陸遜は素早く考えをまとめ、を最初に軟禁された部屋へと連れて行った。 そして臥牀の上へと腰掛けさせる。 そして自分はが落ち着くようにとお茶の準備をはじめた。 近くの炊事場へ急ぎ行き、湯をもらってのいる部屋へと戻る。 は可哀相なほど震えて、頼りなさげだった。 「・・・ごめんなさい。」 のか細い声が陸遜の耳に届いた。 「なぜ都督と?」 陸遜はお茶を出しながらに背を向けたまま訪ねた。 陸遜の問いには答えない。 小さな湯のみ茶碗にお茶を注いでの手に握らせ、その細い手を陸遜が包み込む。 そうしなければの手から湯のみ茶碗が滑り落ちてしまいそうなほど、は小刻みに震えていた。 「帰りたい・・・。」 たまらなく趙雲が恋しかった。 優しく抱きしめてくれる広い胸が恋しかった。 何故。 周瑜はに本気で向かってきた。 本気で殺すつもりで。 それは紛れもない周瑜の愛情だった。 自分をも巻き込む激しい恋情。 小さな頃から孫策と供に兄とも慕ってきた周瑜とは思えないほどの感情である。 冷たい白皙の美貌。 その中身は自分へ向けられた激しい、道連れをさせようという明確な意思。 でもは。 「ごめんなさい・・・。」 でも周瑜を計ったのはまぎれもない自分。 周瑜は自分を殺さない。 賭けに出ては負けた。 結果がこの様である。 邸内に身をかくしているうち、周瑜がなぜ自分を軟禁したまま放置するのかわからなかった。 わからなかったからは推測した。 推測して、は結論を導き出した。 周瑜はを殺さない。 でもそれは間違っていた。 周瑜にあるのはへの明確な殺意であった。 顔をあわせたら殺さずにはいられないほどに、周瑜は自分を殺したいのだと。 「私・・・、やっぱり周瑜がわからない・・・。」 にとっては兄とも慕う美周朗。 常に憧れの存在で、お転婆な孫尚香とはしゃぐを孫策とともに見守り、導いてくれる人であった。 でも再会して後の周瑜はにとってよくわからない人となってしまっていた。 自分という存在が周瑜の感情をかき乱すことに最初は驚き、自分が周瑜と対等の立場になったような気がして胸が躍った。 しかしその後の周瑜は・・・。 は周瑜の口付けを思い出した。 すべてでぶつかってくるような激しさで自分を抱き寄せたのに、そんな激しさからは想像もできないような優しい口付けをしてきた。 先の長くない周瑜。 でもは何も周瑜に応えられない。 周瑜は呉の都督で小喬という妾がおり、は劉備の武将でありそしてすでに心に慕う人がいる。 どこまでいっても交わることのない二人。 周瑜はにとって兄ではなくなっていた。 家族ではなくなっていた。 多分、孫策も孫権もそう。 ここは自分の居場所ではない。 ただの過去の思い出の転がる場所なのだ。 「帰りたい・・・。」 定住する場がなくとも、に居場所があるのは劉備のもと、趙雲のもとであった。 「帰してさしあげますよ。」 陸遜が答えた。 その言葉に驚いてが顔をあげた。 「劉備殿のもとへ帰して差し上げますよ。」 そしてのちを呉に奪うのではなく、自分の、陸家に奪うという算段は言わないで。 「だから今はおとなしくしていてください。殿のおっしゃるように建業に連れていきませんし、都督の言うように斬ったりしませんよ。」 は驚いたように陸遜を見た。 端整な美貌に刻まれた笑み。 その微笑みは何故か信じられた。 は小さく頷いた。 陸遜の言葉が信じられたから。 自分は劉備たちのもとへ、趙雲のもとへと帰れると信じられたから。 だからは頷いた。 自分が自分の場所に帰ることができるということを信じて。 陸遜を信じて。 「何故を殺そうとした?」 孫策は人払いして周瑜の部屋で詰問した。 しかし当の周瑜は虚ろな瞳で孫策を見ようともしない。 と陸遜の去ったあとの広間に残されていた玉珥をそっと拾い、周瑜は何も言わずその玉珥を手の中で弄んでいた。 「周瑜、答えろ。」 孫策の声は君主のそれ。 有無を言わせない詰問だった。 「ともに・・・ともにありたいと思っただけだ・・・。」 どうせ死の近い我が身。 どうせならに殺されたいと願った。 そしてその黄泉の旅路にを連れて行きたいと願った。 ともに刺し違えて、二人死ねたら死など周瑜にとっては怖くなかった。 それだけを愛していた。 しかしの剣には迷いがあった。 それは自分という存在がのなかに入る余地がないこと。 ならば。 ならばを殺してともに黄泉路へと旅立ちたかった。 たとえが泣いて誰を慕おうとも。 暗い黄泉路でを抱いて――。 金色の玉珥を握り締め、孫策に背を向ける。 「所詮は私のわがままだ――。」 自分のものにはならない唯一絶対の存在。 孫策、孫権、孫尚香、とともに過ごした幼少期を、はすでに過去のものにしていた。 いつまでも淡い初恋に縋っているのは自分であることを痛いほど感じている。 でも。 終わりが近い今。 とともにありたいと願うのはきっと周瑜だからというわけではないはずだった。 「を、諸葛亮を劉備のもとへ帰す。」 搾り出すような声で周瑜が呟いた。 「・・・わかった・・・。」 孫策は周瑜の顔を見ないように答えた。 そして周瑜の部屋を出ようとしたそのときだった。 部屋の外で大きく呼ばわる声を聞いた。 「伝令ーーー!!諸葛亮孔明が周都督との面会を願っておりますーー!!」 人払いをしているため、緊急の伝令は部屋に近寄ることが許されないので、あらんかぎりの大声で要件を遠くから呼ばわった。 孫策と周瑜は厳しい顔つきで互いに見合わせた。 諸葛亮孔明は柴桑の館駅にて軟禁しているはずである。 その諸葛亮が来た。 「行くぞ。」 孫策の短い言葉に周瑜が頷いた。 館駅に監禁されていたはずの諸葛亮は魯粛を伴って営寨の裏手にある邸へと訪れた。 ここは孫家一族と都督の周瑜が起居するところであり、の監禁されている場所でもあった。 はきっと脱出を試みるだろうと踏んではいたが、孫家一族と周瑜はどこまでを閉じ込めているかいまひとつ把握することができず、がどのように扱われているか諸葛亮にはわからなかった。 いやわかっていたかもしれない。 周瑜のを見る瞳。 怒りと、憎悪と、それに勝るほどの恋情。 何度も空に瞬く星を見て諸葛亮はわかっていた。 巨星の落ちる日が近いことを。 が危ういとすれば、周瑜こそ気をつけねばならないことを。 きっと周瑜はを黄泉路へと誘う。 それを周瑜がどこまで理性で押さえられるかが諸葛亮には計算できない。 死を間近に控えた人間ほど、先の読めないものはない。 ましては趙雲を慕っている。 そのことを周瑜が知ったなら。 まだが無事なうちに。 諸葛亮は綿密な計画を立てて、改めて周瑜のもとへと姿を現したのだった。 できる限り早く、できる限り緻密に。 だから鳳雛先生と呼称される鳳トウをともに魏を打つ仲間に引き寄せ、魏へ送り込んだ。 あとは周瑜の策を完璧にしてやるだけでよかった。 邸のなかの広間へと案内される。 がらんとした広間にはゆらゆらと灯火がゆらめき、冷たい雰囲気を醸し出していた。 それはさながら周瑜の心のように凍てついた冷たさのようである。 「これはこれは周都督に小覇王殿。」 軟禁されてたとは思えないような恭しい態度で膝を折って挨拶をする諸葛亮に、魯粛は二人の顔を見比べて居心地の悪そうな、ばつの悪い顔をした。 孫策が苦笑して魯粛に下がるように手で合図する。 しかしなかなか魯粛は下がろうとしない。 諸葛亮がやんわりと間に入る。 「魯粛殿からお聞きしました。都督の完璧な策を。さすが周都督であられる。これなら魏軍100万も尻尾を巻いて逃げましょうぞ。」 諸葛亮が嫌味たっぷりに言う。 周瑜の眉間に皺がよった。 「何が完璧だというのだ?そなたならさらなる策があるとでもいうような態度だな。」 周瑜の言葉に諸葛亮は大仰に答える。 「とんでもございません。都督の素晴らしい策にこの亮、いたく感動しております。 私のもののような愚策など足元にも及びませぬ。」 周瑜は鼻で笑い飛ばそうとした。 しかしこのときの周瑜は何故か諸葛亮の話を聞いてみたい気がしたのである。 なぜそんな気になったのかはわからない。 をあきらめざるを得ないことで、周瑜は周囲にこの戦いを委ねてもいいような気がしていたのかもしれない。 「つまらぬ演技はよせ。そなた、私の策に不備があることを知ってそれを補完する策を授けにここにきたのであろう?魯粛から話を聞いて。」 諸葛亮はおや?と肩眉を動かした。 いつもの都督なら跳ねつけるであろう自分の策を聞きたいという。 ――なにかあったのか・・・。 用心深く諸葛亮は周瑜の目を見た。 穏やかで、何かをあきらめたものの目であった。 側に佇む孫策も様子がおかしい。 いつもなら茶々を入れたり、まぜっかえしたり、でもどちらかというと好戦的で野趣溢れ、理詰めで進む周瑜の瓦斯抜き的役割であるのにいつもの調子ではなかった。 「諸葛亮、話を聞こう。周瑜の策のどこを補う?」 いつになく真面目な声音の孫策である。 諸葛亮はもう一度周瑜を見た。 周瑜の目から殺気も何も見受けられない。 そこへ広間の扉を叩くノックの音が響いた。 「誰だ?」 うるさげに孫策が扉の向こうに声をかけた。 「陸遜です。」 涼やかな声が返ってきて、孫策はあわてて扉へと向かった。 孫策が扉を開けたことに陸遜は驚き、恐縮するが、諸葛亮が訪れていることにさらに驚いたようであった。 「陸遜、同席を許す。君も諸葛亮の話を聞くといい。」 周瑜の言葉に陸遜は目を見開いた。 もしかしたらこの周瑜は陸遜という人間をよく知っているのかも知れないと内心ひやりとする。 将来呉軍の軍師としてなれたらいいとは思うものの、周瑜がいる以上は自分が呉を軍師として率いることは難しい。 だから軍師としての勉強など陸遜にはいらない、と思われてしかるべきの今の状況である。 陸遜にとって諸葛亮の軍師ととしての技は尊敬に値すべきもので、いつか諸葛亮から教えを請うことができたら、というのが純粋に兵法を学ぶ陸遜にとっての願いであった。 それを周瑜に見透かされているようで陸遜は驚いたのである。 でももちろんそんな素振りは一切見せないで、周瑜と諸葛亮に頭を下げて場の一番下座を選んで座った。 「頭のよい青年です。将来この呉を背負う武将となることは間違いありません。同席をさせますことを許可願いたい。」 周瑜の言葉にまじまじと諸葛亮は陸遜を見た。 利発そうな涼やかな目元、しかし分をよくわきまえているところなど諸葛亮は好感を持てた。 確かに周瑜の言うとおり、将来呉を背負う武将の一人となることは容易に想像がつく。 諸葛亮は微笑した。 野に下っているときでは知りえなかった情報である。 「陸遜ですか。では陸家に連なる方なのですね?」 名家の陸家は野に下っているときにも諸葛亮の耳に届いていた。 ただ陸家は小覇王、孫策によって滅ぼされたはずではなかったか? 「俺がコイツを気に入って呉に登用させたんだ。コイツに陸家再興を命じてな。」 諸葛亮は頷いた。 ならば将来諸葛亮の君主劉備の前に立ちはだかるのはきっとこの青年であることが容易に想像がつく。 先の短い周瑜に変わる軍師をすでに呉は得ている、ということであった。 「私のようなものの愚策がためになりますかどうか。それでもよろしければお聞きくださいませ。」 諸葛亮はそういって羽扇を揺らした。 一連の諸葛亮の話を聞いて孫策が口を開いた。 「祭壇を設ければよいのだな?」 胡散臭い道術など信じる気はさらさらなかったが、ここは周瑜と魯粛に譲って改めて諸葛亮に確認をとる。 「甲子(きのえね)の日ならば東南の風を吹かせることができるというのだな?」 諸葛亮は頷いた。 「祭壇にはも必要となります。には私の護衛を言いつけてあるのではありますが、道術には女子の存在も必要となるときがあります。清らかなをここに連れてきたのは、私の道術が何某か必要になったときのためです。」 本当は道術には女子の存在はいらない。 しかし、その日趙雲が迎えに来る。 余計な手間を省くためにもを連れて帰るための嘘であった。 「道術は詳しくはないが女子が必要になるようなものは知らぬな。」 周瑜の言葉に内心ひやりとしながらも諸葛亮は自信たっぷりに微笑んだ。 「当然でございましょう。道術をよくするものは今では非常に少なく、また荒唐無稽であると思われていて当然なのですから。」 周瑜はしばし考えていたがやがて席をたった。 「そなたの好きにするがよい。甲子(きのえね)の日に祭壇が必要というならそうなのであろう。そのように用意するがよい。魯粛、そなたが諸葛亮のいう祭壇に必要なものを揃えよ。兵が必要であるなら直接私に言え。」 それだけ言い置くと周瑜は自室へと去っていった。 孫策も立ち上がる。 「わかった。諸葛亮の指示どおりこちらも作戦実行の手続きをしよう。魯粛、頼んだぞ。」 孫策も存外に落ち着いた声音である。 「魯粛、諸葛亮の策を実行するために館駅にて詳しく話を聞いておけ。俺は今から作戦会議の草稿を作る。陸遜、の様子をもう一度見に行き、諸葛亮の指示を伝えておけ。」 魯粛と陸遜は頷いた。 陸遜は素早く拝礼をすると広間から出て行った。 魯粛は諸葛亮とともに広間をあとにする。 帰り道、魯粛は浮き足立っていた。 「諸葛亮殿、貴殿の策、とくとお教えくださいませ。私にできる限りのお手伝いをさせていただきます。」 しかし、策を受け入れられた諸葛亮は浮いた表情など微塵もみせず、どちらかといえば難しい表情をしていた。 なぜ道術嫌いの周瑜と孫策がこの策を受け入れたかはわからない。 何かあったとしか思えなかった。 その何かはにかかわることだ。 しかしの姿は見えないどころか、の世話役である陸遜からも何も情報は得られなかった。 周瑜、孫策、陸遜の様子からは無事でいることだけが伺えた。 もしかしたらは呉へ行くことを望んでいるかもしれない。 しかし趙雲とともにいるときのの様子からはいまひとつ説得力に欠ける。 周瑜はに執着しているはず。 その執着がなんらかの形で崩れたとしか思えない。 ――なるべく早くここから脱出しなくては・・・。 もうが周瑜の心を乱すことは不可能であることを判断する。 諸葛亮は忙しく頭を働かせた。 |